17話 魔族領のトイレ事情(ユイの限界)
「ユイ様。服は出来上がり次第、お持ちさせていただきますね」
「は、はい。よろしくお願いします」
服の採寸をしてくれた人が出ていくまでニコニコと笑って頑張って見送っていた私だが、扉が閉まった瞬間、その場に座り込んだ。
つ、疲れた。
「オーダーメイドって……恐ろしい」
私は思い返して、ため息をつく。ひん剥かれてあちこち採寸された上に、生地はどうするとか、デザインはどうするとか、あげくの果てに髪飾りまで言われた瞬間、短いからいりませんと慌てて断ることになった。恥ずかしさと、想像以上の情報量に心身ともにぐったりだ。
それにオーダーメイドだなんて、……いくらお金がかかっているのかはあまり考えたくない。私が支払うわけじゃなくてもだ。
実はこの服代の請求先は私ではなく、魔王城になっていた。後で金を返せとか言われたらどうしよう。あんな貴族の人しかしてもらえなさそうなこと、私の給料何か月分なのか。
どうして私がオーダーメイドで服を新調することになったかと言うと、メイド、厨房から、さらに部署異動がかかったからだ。新しい仕事は、魔王様の家庭教師。
そう、家庭教師。ついに私が魔王様に会ってもOKだとGOサインが出たのだ。
この唐突な異動は、本の作成が終わったからラグが推薦してくれたのかもしれないし、最近ハティーがメイド長に私の仕事は問題がなかったと言いに行ってくれたからかもしれない。
ハティー曰く、新人研修に限らず仕事で他部署に飛ばされたならば、自分からアピールしていかないといけないらしい。そうでないと、万年人手不足な部署は手放さないそうだ。さらに優秀ならなおさらだと言われた。私の場合は、真面目に働いていたが優秀とまではいかなかったと思う。でも残念なことに、メイド業務も厨房業務も実は万年人手不足な部署だった。
安全管理の為、身元がしっかりしていて、なおかつ貴族または貴族とつながりがあるものしか就職できない狭き門だが、そもそも貴族はあまりメイドや厨房ではあまり働きたがらないそうだ。勿論魔王様と直接的にかかわるメイドは倍率が高いのだけど、私がやっていたシーツの張替えや洗濯などはやりたがる人が少ないらしい。
なので上への報告が上手くいっていなかったというのが、ハティーの説明だ。
まさかのである。
まあ、でも慣れたならそれでよし。終わりよければすべてよしだと思ったのだが、ここで再び問題が発生した。
メイドや厨房は制服がある。しかし家庭教師には制服なんてないのだ。
元々家庭教師は貴族の仕事。なので制服なんてなくてもしっかりとしたお召し物を持っている。しかし私は残念なことに、無一文で新聞紙でくるまって異世界で転がっていた立場だ。そんなもの持っているはずがない。
最初は古着屋で買ったやつでいいかと思ったが、その姿を見た魔王の身の回りの世話をしているメイドに山ほど駄目出しをされた。そして魔王様に会うのですからといい、上司に相談した。そして、あれよあれよというままに、オーダーメイドで服を作る事が決まったのだ。
本当に魔王城は金持ちである。
でも魔王城が出してくれたという事は、それだけはちゃんと働けよという意味でもあるのだ。やっぱ無理と言って放り出せないし、ダメだった時は……やっぱり体で返せだよねぇと思ってしまう。メイド、厨房ときたので、今度部署異動がかかるとしたら庭師あたりだろうか。あそこも万年人手不足だそうだ。
「賢者様。入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
声をかけられ、私はあわてて立ち上がった。さすがに地べたに座り込むのはマズイ。いまどきの若者はと眉をしかめられるだけじゃすまない可能性もある。
家庭教師は人に色々教えるのだから、それなりの振る舞いをするべきだろう。特に、魔王様をこれから相手するなら、なおさらだ。
「採寸お疲れ様でした」
「いえ、ルーンさん。こちらこそ、ありがとうございます」
部屋へやってきたルーンに対して、私は頭を下げる。
「あんな風に服を作ってもらうなんて初めてで」
ルーンはラグの家庭教師かと思ったが、実はこの城で魔王様の側近として働いている事が分かった。やはりできる男は違うとというやつだろう。ラグとは従兄弟か何かだろうか?
家庭教師と禁断の愛という題名がぽわんと浮かびそうになって、慌てて雑念を打ち消す。攻めが無駄にチートキャラというのは超萌え要素だけど、今は耐えなければならない時なのだ。ラグのみならず、幼い魔王様とも知り合いなんておいしすぎるけど、ダメなのだ。私には裏切れない人、勇者(受け)がいる――というか、こんな妄想バレたら魔王城から叩き出されてしまう。
「気に入っていただけて良かったです。是非とも賢者様には、ここで末永く働いていただきたいですから」
「はい。……ただ、その。賢者って呼び方は、なんとか止めていただけないでしょうか?」
元教え子に対してまで、【賢者】はないと思う。しかしルーンさんは、首を振ると柔和に微笑んだ。
「賢者様というのは名誉な呼び名です。ハン伯爵からの推薦があるものの、平民が家庭教師をやるのを快く思わない貴族の方も見えるでしょう。しかし賢者様と呼ばれているならば侮られることもありません。貴方はとるに足らない平民などを家庭教師につけたと、魔王様を笑いものにさせたいのですか?」
「い、いえ。賢者でもなんでもいいです」
ルーンさん怖いです。
柔和に笑ったまま説教をされるとは思っていなかった私は、ぼそぼそっと答えた。そうか。平民が魔王城で働くとなると、色々不都合もあるんだなぁ。
身分不相応すぎる噂に戦々恐々な心地だが、この噂がないと家庭教師がやりにくいのならば、しばらくはその状態で目を瞑っておこう。……う、噂はあくまで噂だし。私が流したわけじゃないから、詐欺でもないし。
「それから、賢者様にはおつきのものをつけたいと思います」
「結構です」
反射的に断ると、じっとルーンさんが私を見てきた。怒ったような雰囲気はないのだけど、物を言わずにじっと何か言いたげな目で見られると、悪い事をしていると認識させられるので不思議だ。
「えっと、私ごときにおつきのものがいるのは、その……身分不相応と言いますか。その……おつきの方は、一体何をする方なんですか?」
誰かに何かをやってもらうなんて慣れていないし、ぶっちゃけ本気で今のところ不自由していないからいらないのだけど。説明も聞かずに断ったのは不味かったかと思い付け足す。それぐらい、ルーンの目線が痛い。
「賢者様の身の回りの事をします。例えば服のおめしかえの時にお手伝いさせていただいたり、荷物を運んだりするのも手伝ったりしますね」
「えっと、今のところ大丈夫かなぁと思ってみたり……」
メイドの時だって、服の着替えもちゃんとできたし、筋肉も日本にいた時よりもついた気がする。車やバリアフリーに慣れ親しんでいた時よりも歩く量は半端なく増えているし、重い荷物もいっぱい持ったりした結果だ。今更、重たくて持てないなんて事、中々起こらないように思う。というか、箸より重たいものを持ったことがないのとか言ったら白々しいというものだ。
それに誰かが常にいるなんて、恐怖である。私は、そんな事より自由が欲しいし、やっぱりひとりでいる時間もないと発狂してしまう。
「貴方の身の回りの世話をやくものは、貴方自身を護衛する義務がありますから、安全性から考えても必要だと思いますよ。魔王様の家庭教師なのに、誰も貴方を守る人がいないというのは困ります。それに授業中、尿意をもよおした時など、おつきのものがいないと困るでしょう」
「は?」
護衛云々辺りまでは話が理解できたのだが、後半の言葉が理解できない。いや、できないわけではないけれど、どういう意味だろうか?
「えっと、よく意味が分からないですが」
「魔王様の近くで働くという事はそれだけ危険も伴いますので――」
「いや、そっちは何となく理解できたんですけど。どちらかというと、後半の方が……」
おつきのものと排泄の関係がさっぱり分からない。そもそも、ルーンような美形が尿意だのなんだのと話すのは、何か当然現実に引き戻されたかのような気分だ。
「ああ。平民の方は共同の尿壺を使われますが、高貴な方はおつきのものに壺を持たせ、個別でできるようになっているんです。これがあれば、いつでもどこでも排泄が可能となりますので、家庭教師をしている最中にもしも――」
「絶対嫌です」
私は最後まで言わせずに、ルーンの言葉をぶった切った。
無理。それは無理。絶対無理。死んでも無理。もう限界だ。
今まで、これに関しては我慢に我慢を重ねてきたが、人前で排泄するなんてどんなプレイだ。私は排泄に興奮するような性癖は持っていない。
「もちろん、壺対応というのも本当はかなりというか、ものすごく嫌だったんですけど。でも自分がしたものを誰かが運ぶとか、おつきの人の前で排泄とかあり得ません。羞恥心の部分でも言いたいことは色々あるんですけど、衛生的にみて、いつでもどこでもは絶対アウトです。好感度がゼロを通り越してマイナスになったらどうするんですか?!もう我慢できません」
やはりどんな世界でも、清潔感があるというのは好感度の項目として割合が大きいと思う。
人族領のトイレ事情がどんな感じなのかは分からないが、もしも日本に近い形だったら、勇者がその光景に耐えられるとは思えない。美女はトイレに行かないと言われたりもするが、ぶっちゃければイメージしたくないのだ。
ならば同様に、美形の魔王様のトイレ事情がとても残念なものだと知ったら、100年の恋も一気に冷める可能性がある。また勇者が、こんな場所ではトイレができないと言って折角魔族領に来たのに人族領に帰ってしまったら、魔王×勇者エンディングを迎えられなくなってしまう。トイレ一つで、世界が滅んだら泣くに泣けない。
「あ、あの。賢者様?」
「とにかく、ルーンさん。トイレは今、革命を起こすべき時に来ていると思います!」
まだ見たことのない勇者の為にも。
私はそう、ルーンに直談判した。