11話 魔王城の料理本(ユイの糸口)
「へぇ。魚って、塩水で洗うんですか」
「そうさ。これをしないと、生臭いしヌメるんだよ」
なるほど、なるほど。
私は調理人に料理のいろはを教えてもらいながら、自分でもちゃんと同じことができるように、入れる予定量だった塩を秤で計量させてもらう。
ただし洗う魚によって水の量なんて変わってしまいそうなので、今回の塩の場合はパーセント計算した方が良さそうだ。私は日本から持ってきたノートに数字を書くと、公式に当てはめて計算する。
「えっと。塩は、……この量だと、だいたい4%ぐらいなんですね」
「ぱーせんと?なんだそれは」
「えっと、水の量を100として、塩はどれぐらいかをもとめるんです。これが分かれば、いつでも同じぐらいの濃さの塩水を作れますから」
「なるほどな。それは、どうやって計算をするんだ?」
私は調理人の方に、塩を全体量で割る計算式を伝える。ついでに、濃度かける全体量が塩の量になるなども教えた。
料理人の方は搬入で比較的数字を扱うので四則演算はできるのだが、濃度計算や速度計算などは勉強していないので知らないらしい。葉物野菜を茹でるなら沸騰してからというのは知っているが、沸騰は100度という事は知らないという具合に、本当にそれをするために必要なことしか知らなかった。
この世界の数学や科学が遅れているのかとも思ったが、今まで色んな人に関わってきた結果、雰囲気的に知識の格差があるみたいだ。それほど私も数学が得意ではなかったけど、流石に小学生レベルの事は分かる。でもこの国には平民の学校というものがない。その結果が今の現状なのだろう。確かに生きる上でどうしても必要とはいえないが、最低限知っていると、もう少し楽に生きられる部分もあるのになと思ってしまう。
「そういや、ユイの住んでた場所では魚は食べないのか?」
「いえ、食べますよ。新鮮だと、生でも食べるぐらいに魚料理は人気ですけど?」
「いや、魚は塩で洗うのが普通だからな。しかも捌いたことがないっていうし」
先輩に言われて、私は苦笑した。ある意味、女失格と言われているような気がするが、実際この世界基準だと女失格と言われるだろうレベルで料理ができない。
私も現代日本なら、まずまず料理ができる方で、女の子らしいと自負していた。しかしここだとそうもいかない。まず魚は切り身で買っていた。海の近くの人ならさばく事もあるだろうが、とりあえず私はなかった。もちろん鳥などの肉類もさばけない。売っているのは全部血抜きも終わった切り身だ。
また、化学調味料に頼っていたので、だしの取り方も微妙だ。幸いにもかつおや昆布、しいたけはできるが、ブイオンとかは無理のレベルである。洋風料理に近いこの国で、それができないのは致命的だ。まあ、まともにブイオンを作って食べるなんて魔王城とか貴族ぐらいで、一般庶民の食卓には上がらないし、幸いにも作れないことに対して女として終わっているとまでは思われてなかったけど……。
でもプライドはズタズタだ。
「すみません」
先輩の言葉に謝りながら、もう少し料理を勉強しておくべきだったなぁと思う。まあ、日本にいた頃の私は、こんな目に合うとは思ってもいなかったので仕方がないのだけど。
「いや、俺も別に怒ってるわけじゃないから。これから覚えていけばいいしな」
「はい。頑張ります!」
魚のおろし方をメモに取りながら、私は力強く頷いた。
最近は調理人の方も、私の話に耳を傾けてくれるようになったし、着々とレシピはノートに書き込めていっているしで、少しは腕が上がっている気がする。包丁を持つ手も板についてきたとこの間言ってくれたし。
「ユイ」
「あ、ラグ。こんにちは。ちょっとここは刃物があって危ないので、ちょっと外で待っていてもらってもいいですか?」
ラグが遊びに来てくれたが、流石にここは危ないと思い近づいてくるのを止める。ラグは貴族の子な為か、厨房の中に入っても咎められたりはしない。しかしここは色々危険なものが多すぎると思う。
「大丈夫だ。気を付けるから」
「駄目です。厨房は戦争。包丁で切ってしまったり、火傷してしまったり、下がぬれていて滑って頭を打つ可能性だってあります」
本当なら、いくら貴族の子だとしても厨房に入れるべきではないのだ。ただ辛いのは、この身分社会。私一人なら特になくすものもないのであまり怖くはないが、厨房の方はそうではない。ラグの親に睨まれたら色々問題もあるのだろう。
「ユイ、ラグ様の所へ行きなさい」
私がラグとやり取りをしていると、調理長が声をかけてきた。
……やっぱりラグ様効果だ。特別待遇である。折角先輩に教えてもらっているのに、申し訳ない。
「調理長。でも――」
「いいから、行けって」
先輩にまで追い出されるように言われて、私はため息を飲み込んでラグの方へ向かった。確かにかわいいし、我儘聞きたくなっちゃうけど、これじゃラグの教育上にも悪いんじゃないだろうか。
もちろんラグは貴族だから、今後もこのペースでいいのかもしれないけど……、うーん。できれば、ラグには見た目だけではなく、中身も伴った素敵な大人になってもらいたい。
それはつまりは魔王様のライバルというか、勇者のライバルを作ってしまう事になるかもしれないが、ラグは友人だし、その時はその時だ。
「ラグ。じゃあ、外で話しましょうか」
私はそう言い、ラグと手を繋いで外に出る。手を差し出せば握り返してくれたり、すごく懐いてくれる姿を見ると、中々注意もしづらいけれど、ここは心を鬼にした方がいいはず。友人だと思うなら、なおさらだ。
「あのね、ラグ――」
「ユイ。料理本を書かないか?」
「――は?」
できれば仕事の休憩時間か、休みの日に会いたいと言おうとしたのだが、先にラグに予想をしていなかった言葉を言われて、私はぽかんとラグの言葉を聞き返した。
今、何と言った?
「だから、ユイに是非本を書いてほしいんだ」
欲しいんだー、欲しいんだぁーほしいんだぁぁぁ。
ラグの言葉が脳内でエコーがかかった状態でリピートされるが、中々意味として頭の中に入ってこない。ラグは頬を紅潮させて、とにかく可愛いんだけど。うん。流石、私の癒し。いつもながら、素敵に可愛すぎる――。
っと、現実逃避をしている場合じゃなかった。
「無理です」
「えっ。何で?」
きゅるんという効果音が聞こえてきそうな、澄んだ瞳で見つめられるが、二つ返事で「いいですよ」と答えられるような内容ではない。
「いや。私、この国の言葉書けませんから」
私のトリップ特典は、翻訳機能だが、残念なことにそれが適応されるのは喋る時だけだ。文字を書いたりするのは難しい。この間、色々この世界の事を知る為に本を読んだ時も、いちいち人に聞かないといけなくて、結構苦労した。
「そもそも、どうしてそんな風に考えられたんですか?」
「ユイは、料理を誰でもできるようにしているだろう?だとしたら、もっと広めるべきだと思うんだ」
ま、まあ確かに。料理レベル底辺組の私ができるようにしているという事は、大半の人ができるようにしているという事でもある。
「学者は本を書いて次の世代へ知識を残す。しかし今まで伝統技術は、師範が弟子に体に教え込んでいくものだった。でもユイがいれば料理の知識を残し、さらに進化させられると思うんだ」
「確かに……多くの方が知れば、そこから派生するレシピは増えると思いますが……。でも、この国の人は、私と同じで本を読めない方が多いのではないでしょうか?」
この国には平民が通う学校がないため、識字率があまり高くないように思う。
「そうなんだが……。ユイの国には料理の本はなかったのか?ユイは良く文字を書いているし、自分の国の本なら読めるのだろう?」
「あるには、ありましたが、そもそも私の国は文字が読めるのが当たり前だったので。……ああ、でも、イラストを増やして、計量スプーンやカップ、秤を普及させて、数字が読めれば何とかできるかもしれません」
計量スプーンに数字を彫っておけば、たぶんこれを使うのだろうという事は推測できるだろう。でもやはり、アース国の文字を一切使わずに全てを書くのは難しい。
「でも文字が分からない私一人では、荷が重いです」
「実は俺の知り合いに、文字を教えるのが上手な奴がいる。俺もそいつから文字を習ったんだ」
「ラグの家庭教師の先生ですか?」
「まあ、そんな所だな。そいつと一緒に、魔王城の料理が書かれた本を作って貰えないだろうか?」
……うーん。
友人であるラグに頼まれているのだから、やってあげたいのはやまやまだが、厨房の仕事もあるから時間的にできるだろうか。
この国の文字を覚えるのは悪い事ではないし、むしろ進んで覚えてみたいところだけど……。
「ダメか?」
「うぅぅぅん」
はうぅぅ。そんな目で見ないで下さい。
うるっとした目で見られると、私が極悪非道な女に感じる。でもなぁ。本来の仕事をほうりだして、やるべきか否か。休憩時間だけじゃ、難しい気もするし――。
「そういえば、ユイは魔王様の家庭教師になりたいんだよな」
「えっ。ああ、そうですけど」
最近若干厨房の人と働くのが楽しくなってきて忘れかけていたが、私は家庭教師になる為に、ここに来たんだった。ラグに言われて、はっと思い出す。
うわ。危ない。最近周りに流されすぎていた。
「この仕事、成功させてくれたら、俺が口添えしてあげるが?」
「もちろん。やらせていただきます」
私はラグの言葉に、二つ返事で、書籍づくりをする約束をした。