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『病』  作者: 人平 芥
6/10

『流飢病』

「枯れた表現」

 猫が、死んでいた。

 車に轢かれたのか、内臓を散らして無惨に死んでいた。

 誰にも弔われることのないままに、憫然な姿を晒して死んでいた。


 私は、猫という生き物がとても好きだ。

 ふわふわとした触り心地に、抱くとぽかぽか暖かい。

 行雲流水――自分の思うがままに生きる彼らのことが、私は大好きだった。

 だから、目の前に横たわるその亡骸を見て、チクリと……胸に小さな針が刺さったような、心の中で波が荒立ち始めるような、奇妙な感覚にとらわれた。

 「……うちで供養してあげましょうか」

 愛する生き物の死を目前にし、茫然と立ちすくんでいた私を後ろで見守っていたお母さんが、私の肩を抱いて優しい声でそう言った。

 私は黙って頷いた。自分が少し震えているのがわかった。

 土と血で汚れ、ボロボロになった猫の体が、お母さんの手によって宙に浮かぶ。滴り落ちる液体と、膨張し始めたむせ返るような生臭い香りが、否が応でもその猫の『死』を実感させた。

 柔らかい毛並みも、感じさせる温もりも、どこか憎めない仕草や表情も……私の大好きなものはもうそこにはないのだと、簡単に理解することができた。

 血だまりが残る、何もない地面をボンヤリと見つめながら、私はしばらくの間そこから動くことができなかった。


 それは、生まれて初めて経験した、頭を強く揺さぶられたかのような出来事。

 今まで想像もしなかった衝撃が私の心を貫き、わだかまりを――決して消えることのないわだかまりを残していった。

 私の記憶に、大きな傷を刻んでいった。

 それでも、まだ、私は――。




 「……ねぇ、お母さん」

 家の庭に作られた、死骸を埋めた土の上に石を乗せただけという小さなお墓の前。

 私は両手を合わせながら、呟くように訊ねた。

 「なぁに?」

 「私は……悲しんでいるのかな? ……悲しめて、いるのかな?」

 いつもより早い鼓動、チクチクと痛む胸、思い出したくない記憶、お墓を前にして感じた切なさ……私が悲しんでいることを示すピースが、そこにはいくつもあった。

 しかしどうしても……一つ足りないのだ。それはごく小さなピースだけれど、とても重要で、不可欠で……私の悲しみを、不確かなものにしてしまう。私自身の気持ちに、疑問を抱いてしまう。


 お母さんは、何も言わなかった。ただ、私をギュッと抱きしめてくれた。猫を抱いたときと同じで、とても暖かかった。

 「……お墓、ちゃんと毎日手入れしようね」

 「そうね……そうね……」

 私の言葉に、お母さんは何度も頷いた。

 その瞳から一滴流れ落ちた『それ』が――私にはとても綺麗に見えた。


流飢病リュウキビョウ

涙が流れ出なくなる病。

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