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『病』  作者: 人平 芥
4/10

『忘れ病』 ~Episode 0~

「消失の始まり」

 「ねえ、東弥(とうや)。去年の夏のこと覚えてる?」

 「……」

 「あれ、もしかして……忘れちゃったの? ほら、みんなで近くの海まで遊びに行ったじゃん」

 「……いや、覚えてるよ」


 とある病室の一室。

 ベッドに横たわる彼女は、朗らかな笑顔で俺に語りかける。


 「ホントに? なんか間があった気がするけど~?」

 「忘れてないって、ホントホント」

 「ふーん……まあ、いっか。でね! 私、元気になったら、もう一度みんなであの海に遊びに行きたいの! 泳ぎ回ったり、バーベキューしたり!」

 「ああ、そうだな。その為には、早く病気を治して元気にならないとな」

 「うん! 私……がんばるよ」


 俺は、そんな彼女に微笑み返すことしかできない。

 

 去年の夏の思い出……忘れていた訳じゃない。

 みんなで集まって、馬鹿みたいにはしゃぎまわった。今までの人生で一番楽しかったかもしれない。それほどまでに、あの時の記憶は、俺の頭に鮮明に残っている。

 でも……。

 でも、そんなことじゃないんだ。

 俺が言い渋っていたのは、そんな思い出にはまるで無関係なんだ。

 彼女は笑う。

 そんな彼女を前にして、俺は心の中で呟くことしかできなかった。


 

 俺の名前は、『東弥』なんかじゃないってことを――。



 □  □



 『記憶障害』というものにも色々あるようだ。

 彼女の病室を出た俺は、廊下ですれ違った彼女の主治医から、そんな話を聞いた。

 単純に記憶の一部がすっぽり抜け落ちるもの、徐々に古い記憶から薄れて消えていくもの。

 彼女の症状は、そんな数ある記憶障害の中でも、今までに例のない特殊なものらしい。


 消えていくのは、『人との思い出』。

 言葉の発し方や食事の取り方などの本能的なことや、今までの人生の中で培ってきた技術・技能については何の影響もない。

 しかし、人々の関わりから生まれた思い出――関わってきた人々についての記憶が徐々に曖昧なものになり、最後には消えてしまうのだ。


 彼女がこの病気に罹っていると分かったのが丁度一年前、去年の秋のこと。

 治療法は未だに見つかっておらず、彼女はとりあえず入院をしながら病気の回復を待っているが、そんな兆しは一向に見えない。

 記憶はどんどん消えていくばかりで、ついに今日、俺の名前まで……。

 彼女の見舞いをしてきたこの一年を思い出す。

 俺はずっと怖かった。彼女が俺を忘れてしまうことが。

 いつか、名前どころか俺の存在まで忘れてしまうのではないか……。

 ひたすら怖かった。だから、毎日のように彼女の病室を訪れた。

 忘れられまいと。俺の姿を、彼女の脳から消さないようにと。

 けれど……どうやらそれも無駄だったようだ。

 彼女は俺の名前を忘れてしまった。すぐに、俺のことを『見知らぬ人』と思うようになるだろう。

 彼女と過ごした日々も、俺と彼女の関係も……彼女の頭から、きれいに消えて失くなってしまうのだろう。

 

 ――それでも。

 それでも俺は、これからも彼女の部屋を訪れよう。

 他人となってしまっても構わない。今まで彼女と築き上げてきたものが、全て崩れ去ってしまってもいい。

 『見知らぬ人』として、俺は彼女と新しい思い出を作っていこう。

 もしかしたら、彼女の病気は二度と治らなくて、新しい記憶さえもいつか失くなるかもしれない。

 そしたら、俺はまた新しい思い出を作るだけだ。何度でも何度でも。

 俺という存在を、彼女の中から消さない為に……。


 

 ……さて。今日はそろそろ帰ろうか。

 明日もまた同じ頃に来よう。その時彼女は、俺のことを覚えているだろうか?

 ロビーまで着いた俺は、外に出ようと入口の扉に手を掛ける。

 そして、手前側に引こうとしたところで――腕の動きが止まった。

 しばらくの間そのまま停止し、そしてゆっくりと後ろを振り返る。

 何かを話し込んでいる看護師二人、廊下を駆けて注意されている子供、注意している大人、椅子に座り込む老人――。

 そんな人々を視界に捉えながら、俺は小さな声で呟いた。


 そういえば――――





 「彼女………………なんて名前だっけ……?」





忘れ病(ワスレヤマイ)

人との関係についての記憶が徐々に失われていく病。


伝染性がある。

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