『感消病』
「得られない温もり」
不快だ。
ただ今、八月初旬。場所は、公園と呼ぶにはあまりにも遊具が不足している広場。
私の肌を焼き焦がそうと、太陽が懸命に紫外線を放射している。――――ん? 紫外線? それとも赤外線?
おかげで服は汗にまみれ、空気の入り込む隙間を塞ごうと身体にへばりついてくる。引き剥がそうとしてみたものの、何度も何度も諦めずに食らいついてくる蛭のような服に私の方が折れてしまった。
濡れた雑巾に包まれているかのような不快感。もういっそのこと、この場で服を脱ぎ捨ててしまいたいところだが、私にだって人並みの羞恥心くらいは備わってる――――さすがに異性の前で裸になる訳にはいかなかった。
「あぁ……あちぃ」
私の隣に座っていた彼はそう呟くと、襟首を掴んで扇ぎ、服の中に風を送っていた。……私がそれをやると「はしたない」と言われてしまうのは、どうも不公平な気がする。
涼風を感じてか、彼の表情は次第に綻んでいった。余程涼しいのだろうか。
――――涼しいのが、羨ましいな。
じーっと眺めていると、私からの妙な視線に気付いたのか、彼はこちらを一目見ると、横に置いていた鞄を探り始めた。
「ほい、これ使う?」
取り出されたのは赤くて透明な、よくあるタイプの下敷き……え、扇げと?
「あ、ありがとう」
にこやかな笑顔に圧され、その簡易的なうちわを受け取る。一瞬、使うことを躊躇したものの、受け取ったからには使わない訳にもいかず、曲げてしまわないよう慎重に扇いでみた。
柔らかな風が顔に触れた。髪が揺れ動き、額の汗が引いていくのが分かる。非常に気持ちいい。
――――気持ちいいのだけれど。
「ん、返す」
「いいの?」
「うん。耐えられないほどでもないし、それに……」
それに――――
「それに、やっぱりちょっと違和感があるわ」
「……そう」
彼はそれ以上何も訊かず、再び風を送る作業に戻った。その気遣いが、非常にありがたかった。
汗が首筋を伝う。本来、身体に溜まった熱を奪い去る為に流れ出るはずのそれが、私にとってはただの不快な液体でしかない。
日差しを浴びる度に、風を受ける度に、何とも言えない違和感に襲われる。それは、普通なら感じるはずのない違和感……。
不快だ。
原因が分かりきっていることが。
何もできない自分が。
感じないことが――――。
「――――なあ」
「? 何――――っ!」
呼びかけに、振り向こうと彼の方を向いた私の動きが止まった。これはいくらなんでも、その、急展開すぎる。
恐る恐る視線を下げていくと、日に焼けた健康的な彼の両手が、私の手を強く握りしめていた。
「あ、あ、あの、ちょっと、急にそういうことされると驚くんだけど……!」
彼との付き合いは五ヶ月ほど。手を繋いだことはあれど、ここまで積極的に来られたのは初めてだった。心臓が高鳴り、かつてない緊張感に見舞われる。何が、何が起こってしまうの!?
「そ、その、まだ心の準備が……」
「やっぱり、感じないか?」
「え……」
予想外の問いかけに、心臓の鼓動が減速し始める。
彼は私の手をさらに強く、それでも優しく握ると、自分の胸に当てた。
「俺には分かる……お前の肌の暖かさが、お前の心の温もりが。この手を通して、伝わってくる。いつだってこの手を握れば、感じることができる。けど、お前は……」
彼の表情は、先程とは打って変わって、今にも泣き出しそうな暗さだった。握っている手も、小刻みに震えている。
――――あぁ、そうか。
彼も不安だったのだ。
自分の想いが伝わっていないのではないか――――そんな恐怖を、彼はずっと抱えていたのだ。
「……」
握られた拳をじっと見つめる。そこには、握られているという実感がある。けど、足りないものがあるというのも確かだ。
全てが伝わっている訳ではない。私の身体は一部をシャットアウトしてしまう。表面的には、彼の全てを感じることはできないだろう。
だけど――――
「ううん……」
彼の手を強く握り返す。彼に触れている感触が一層強まる。
「あなたの暖かさは、私の心にしっかり伝わっているから」
感覚が全てじゃない。何かを通じて伝わるものだけじゃない。
たとえこの身体が感じ得なくても、私の心は彼の想いをちゃんと知っている。
優しくて、柔らかくて、暖かくて……。
「……大好きだから」
「……ああ」
全てが嫌になりそうな真夏のある日。
私は初めて温もりを感じた。
「感消病」
温度を感じなくなる病。