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『病』  作者: 人平 芥
3/10

『感消病』

「得られない温もり」


 不快だ。

 ただ今、八月初旬。場所は、公園と呼ぶにはあまりにも遊具が不足している広場。

 私の肌を焼き焦がそうと、太陽が懸命に紫外線を放射している。――――ん? 紫外線? それとも赤外線?

 おかげで服は汗にまみれ、空気の入り込む隙間を塞ごうと身体にへばりついてくる。引き剥がそうとしてみたものの、何度も何度も諦めずに食らいついてくる(ひる)のような服に私の方が折れてしまった。

 濡れた雑巾に包まれているかのような不快感。もういっそのこと、この場で服を脱ぎ捨ててしまいたいところだが、私にだって人並みの羞恥心くらいは備わってる――――さすがに異性の前で裸になる訳にはいかなかった。

 「あぁ……あちぃ」

 私の隣に座っていた彼はそう呟くと、襟首を掴んで(あお)ぎ、服の中に風を送っていた。……私がそれをやると「はしたない」と言われてしまうのは、どうも不公平な気がする。

 涼風を感じてか、彼の表情は次第に(ほころ)んでいった。余程涼しいのだろうか。

 ――――涼しいのが、羨ましいな。

 じーっと眺めていると、私からの妙な視線に気付いたのか、彼はこちらを一目見ると、横に置いていた鞄を探り始めた。

 「ほい、これ使う?」

 取り出されたのは赤くて透明な、よくあるタイプの下敷き……え、扇げと?

 「あ、ありがとう」

 にこやかな笑顔に圧され、その簡易的なうちわを受け取る。一瞬、使うことを躊躇したものの、受け取ったからには使わない訳にもいかず、曲げてしまわないよう慎重に扇いでみた。

 柔らかな風が顔に触れた。髪が揺れ動き、額の汗が引いていくのが分かる。非常に気持ちいい。

 ――――気持ちいいのだけれど。

 「ん、返す」

 「いいの?」

 「うん。耐えられないほどでもないし、それに……」

 

 それに――――


 「それに、やっぱりちょっと違和感があるわ」

 「……そう」

 彼はそれ以上何も訊かず、再び風を送る作業に戻った。その気遣いが、非常にありがたかった。

 汗が首筋を伝う。本来、身体に溜まった熱を奪い去る為に流れ出るはずのそれが、私にとってはただの不快な液体でしかない。

 日差しを浴びる度に、風を受ける度に、何とも言えない違和感に襲われる。それは、普通なら感じるはずのない違和感……。

 不快だ。

 原因が分かりきっていることが。

 何もできない自分が。

 感じないことが――――。


 「――――なあ」

 「? 何――――っ!」

 呼びかけに、振り向こうと彼の方を向いた私の動きが止まった。これはいくらなんでも、その、急展開すぎる。

 恐る恐る視線を下げていくと、日に焼けた健康的な彼の両手が、私の手を強く握りしめていた。

 「あ、あ、あの、ちょっと、急にそういうことされると驚くんだけど……!」

 彼との付き合いは五ヶ月ほど。手を繋いだことはあれど、ここまで積極的に来られたのは初めてだった。心臓が高鳴り、かつてない緊張感に見舞われる。何が、何が起こってしまうの!?

 「そ、その、まだ心の準備が……」

 「やっぱり、感じないか?」

 「え……」

 予想外の問いかけに、心臓の鼓動が減速し始める。

 彼は私の手をさらに強く、それでも優しく握ると、自分の胸に当てた。

 「俺には分かる……お前の肌の暖かさが、お前の心の温もりが。この手を通して、伝わってくる。いつだってこの手を握れば、感じることができる。けど、お前は……」

 彼の表情は、先程とは打って変わって、今にも泣き出しそうな暗さだった。握っている手も、小刻みに震えている。

 ――――あぁ、そうか。

 彼も不安だったのだ。

 自分の想いが伝わっていないのではないか――――そんな恐怖を、彼はずっと抱えていたのだ。

 「……」

 握られた拳をじっと見つめる。そこには、握られているという実感がある。けど、足りないものがあるというのも確かだ。

 全てが伝わっている訳ではない。私の身体は一部をシャットアウトしてしまう。表面的には、彼の全てを感じることはできないだろう。

 

 だけど――――

 

 「ううん……」

 彼の手を強く握り返す。彼に触れている感触が一層強まる。

 「あなたの暖かさは、私の心にしっかり伝わっているから」

 感覚が全てじゃない。何かを通じて伝わるものだけじゃない。

 たとえこの身体が感じ得なくても、私の心は彼の想いをちゃんと知っている。

 優しくて、柔らかくて、暖かくて……。

 「……大好きだから」

 「……ああ」

 

 全てが嫌になりそうな真夏のある日。

 私は初めて温もりを感じた。

感消病(カンショウビョウ)

温度を感じなくなる病。

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