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「今日はどうするの?ルナ」
「えーとね、仕立て屋さん行かなきゃかな」
「そうだった」
サンが思い出したように、空中でくるりと回る。
「採寸と打ち合わせの日」
「……緊張する」
ベッドから起き上がりながら、正直な気持ちが口をついて出た。
歌う前の緊張とは、少し種類が違う。
“見られる”じゃなくて、“決められる”感じ
窓の外は、もう朝の光で満ちていた。
昨日より、身体が軽い。
喉の違和感も、ハーブのおかげかほとんど残っていない。
視界の端が、静かに光る。
【状態】
・混乱(小)→ 消失
「……あ」
「お?」
サンが覗き込む。
「やっと“起きた”みたいだね」
胸の奥にあった薄い膜みたいなものが、すっと消えた感覚。
怖さはある。でも、逃げ場を探す感じじゃない。
「受け入れた、ってやつ?」
「たぶんね。世界と、自分の立ち位置」
簡単に身支度をして、宿を出る。
朝の通りは、もう見慣れた音を立てていた。
「おはよう」
「今朝も歌うの?」
顔見知りになった露店のおばさんが、笑いかけてくる。
「今日は……準備の日です」
そう答えると、なぜか誇らしかった。
仕立て屋の店は、朝の光を受けて、昨日よりも明るく見えた。
扉を開けると、布の匂いと、チョークの粉の匂い。
「いらっしゃい」
シファが、もう待っていたように顔を上げる。
「今日は逃がさないわよ」
「ひっ」
思わず後ずさると、サンが笑う。
「観念しよ、モデルさん」
奥の作業台に案内され、椅子に座らされる。
メジャーが、手際よく動く。
「肩のライン、綺麗ね」
「声を出す人の姿勢」
「この動きやすさ……歌いながら歩くでしょう?」
次々に言い当てられて、返事が追いつかない。
「……なんで分かるんですか」
「布はね、人の“癖”を映すの」
シファは真剣な目で、私を見る。
「あなたの歌は、前に出るけど、押しつけない」
「だから、衣装もそうする」
布を一枚、胸元に当てる。
淡い色。
光を受けると、少しだけ表情が変わる。
「主張しすぎない。でも、埋もれない」
「あなた向きよ」
視界に、文字が浮かぶ。
【衣装案 仮決定】
・共鳴布(軽)
・魔力伝導 微増
・声質補正 小
「……衣装にも、スキル付くんだ」
「付くわよ?」
当然みたいに言われる。
サンが、満足そうに頷いた。
「歌う人は、全部が“道具”」
鏡の前に立たされる。
まだ仮合わせなのに、いつもより“歌いやすそうな自分”が映っていた。
「完成までは、数日」
シファが言う。
「それまでに、もっと歌いなさい」
「……はい」
店を出ると、朝がもう昼に近づいていた。
手のひらを見つめる。
(歌う準備をする日)
(ちゃんと、“次”に進んでる)
サンが、にっと笑う。
「午後はどうする、ルナ?」
私は少し考えてから、答えた。
「……歌う場所、増やしたい」
「いいね」
通りの先に、まだ行ったことのない道が見えていた。
そこに、どんな声が待っているのか。
それを確かめに行くために、私は歩き出した。
広場を離れ、裏道を歩く。
昼と夜の境目、影が長く伸びる時間。
遠くから、かすかな音が聞こえた。
――歌、だ。
でも、途中で途切れる。
音程が不安定で、最後は小さく消えた。
角を曲がると、壁にもたれて立つ女の子がいた。
年は私より少し下くらい。
手に楽器はない。
ただ、胸元を押さえるようにして、俯いている。
「……はぁ」
小さなため息。
もう一度、歌おうと口を開く。
でも、声が出ない。
喉が詰まったみたいに、息だけが漏れる。
(……昨日の私だ)
気づいたら、足が止まっていた。
「……あの」
声をかけると、女の子はびくっと肩を跳ねさせた。
「ご、ごめんなさい! うるさかったですよね……!」
「違う、そうじゃなくて」
慌てて首を振る。
「……歌、好きなんですか?」
一瞬、迷うように視線が揺れて。
それから、小さく頷いた。
「……好き、です。でも」
唇を噛む。
「声が、上手く出なくて。昔はもう少し歌えたんですけど」
サンが、私の肩で静かに見ている。
「もし、よかったら」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「一緒に、やりませんか」
「……え?」
「私が、歌います」
「あなたは、ここにいてくれるだけでいい」
女の子は、目を丸くした。
「それって……意味、ありますか?」
「あります」
即答だった。
「誰かが“聴こうとしてる”って分かるだけで、声って変わるから」
少しの沈黙。
それから、彼女は恐る恐る口を開いた。
「······今日は······ごめんなさい」
「そうだよね。うん。大丈夫だよ」
私は彼女と別れて宿に戻った。
数日後朝街を歩いていると
「……この前の?」
声をかけると、びくっと肩が跳ねる。
「あっ……」
立ち上がろうとして、やめる。
「そういえば自己紹介してなかったね。私はルナ」
「……ミア……です」
無理に元気なふりをしない、その仕草が印象に残った。
「歌、練習してたんじゃ……?」
「……やめました」
苦笑い。
「やっぱり、私には無理で」
胸が、少しだけ痛む。
「でも」
ミアは続けた。
「さっき、酒場の方から聞こえたんです」
「……ルナさんの歌」
「え」
「音、全部じゃないです。でも」
「人が、静かになる瞬間が分かりました」
彼女は、ぎゅっと指を組む。
「私、歌えないけど……」
「歌ってる人が“今どこで息してるか”は、分かる気がします」
サンが、私の肩でぴたりと止まった。
「それって……」
私が言いかけると、ミアは慌てて首を振る。
「すごいことじゃないです!」
「ただ、聴くのが好きなだけで……」
「……ねえ」
私は、少し前に出る。
「今日の酒場、正直言うと」
「途中、息が乱れそうだった」
ミアの目が、驚きで大きくなる。
「そのとき」
「誰かが“ここ”って教えてくれたら、助かったと思う」
胸に手を当てる。
「……私の隣に、立ってくれない?」
私はもう一度声をかけた。
一瞬、時間が止まったみたいに、ミアは動かなかった。
「·····私が······」
「うん。歌わなくていい」
「声を出さなくていい」
「ただ」
「私が迷いそうになったとき“ここにいるよ”って、そばで示してほしい」
沈黙。
そして、ゆっくりと。
「……やります」
ミアは、はっきり言った。
「歌えないけど」
「ルナさんの歌を、支えることなら」
視界の端が、淡く光る。
【パーティ仮結成】
・ルナ(アイドル)
・ミア(リスナー/サポート)
【新効果】
・呼吸共有(微)
・集中補助(微)
サンが、満足そうに頷く。
「いい役割分担」
ミアは、少し照れたように笑った。
「私、前に立つのは怖いです」
「でも……隣なら」
夜の通りに、灯りが増えていく。
歌えない声が、
歌う声を支える。
それも、ひとつの“居場所”だと、
ルナは思った。
いいね、いこう。
“ふたりで立つ最初の夜”。
酒場。
扉の前で、ミアの手が小さく震えていた。
「……やっぱり、客席にいます」
「ううん」
ルナは首を振る。
「今日は、隣」
酒場の中はいつもより騒がしい。
金曜の夜。
笑い声も、酒の匂いも、熱も濃い。
店主がちらりとこちらを見る。
「今日は二人か?」
「はい」
ルナはまっすぐ答える。
「サポートです」
ざわ、と空気が揺れる。
歌えない子が隣に立つ意味なんて、誰も分からない。
ステージへ上がる。
木の床。
光。
視線。
ミアは、ルナの半歩後ろ。
けれど、逃げていない。
「……いくよ」
小さく囁く。
「はい」
深呼吸。
歌い出す。
最初のフレーズ。
少しだけ、喉が硬い。
その瞬間。
――トン。
ミアの指先が、ルナの袖を軽く引く。
“ゆっくり”
言葉はない。
でも、伝わる。
ルナは呼吸を落とす。
音が、整う。
【呼吸共有:発動】
【集中補助:小】
客席のざわめきが、少し静まる。
二番。
感情を乗せすぎて、波が荒れる。
ミアが、今度は足先でリズムを刻む。
一定。
揺れない。
“戻ってきて”
ルナの声が、軌道を修正する。
視界の端に表示が走る。
【感情共鳴 Lv1 安定率 上昇】
三番。
完全に合った。
歌う声と、
聴く力。
ステージの上なのに、
ふたりだけの静かな空間が生まれる。
最後の音が落ちる。
一拍。
そして――
大きな拍手。
昨日よりも、
確実に、強い。
「……すご」
客席の誰かが呟く。
ミアはびくっと肩を震わせる。
でも、逃げない。
ルナが、そっと手を取る。
「ありがとう」
ミアの目が、じわっと潤む。
「私……何もしてないです」
「ううん」
ルナは笑う。
「半分、あなたの歌だった」
視界が淡く光る。
【パーティスキル解放】
・デュアルフォーカス
(歌唱時、感情暴走を抑制。安定度上昇)
店主が銀貨を置く。
今日は三枚。
「面白いな」
短く、それだけ。
酒場を出ると、夜風がやわらかい。
ミアがぽつりと呟く。
「……私、歌えなくても」
「ここにいていいですか」
ルナは即答する。
「隣にいて」
星が、ひとつ強く瞬いた。
ふたりの最初のステージは、
派手じゃない。
でも確かに、
“ユニット”になった夜だった。
翌日。
酒場の前に、小さな人だかりができていた。
「昨日の二人だろ?」
「歌う方と、隣の子」
「なんか空気が違ったよな」
ルナは足を止める。
ミアも、隣でぎゅっと袖を握った。
「……増えてる」
「うん」
怖い?
と聞こうとして、やめる。
代わりにルナは言った。
「今日は、もっと静かにいこう」
店内。
昨日より客が多い。
ざわめきは、期待の色を帯びている。
店主が腕を組む。
「噂、広まってるぞ」
「え」
「“整う歌”ってな」
ミアが、小さく息を呑む。
ステージへ上がる。
【注目度:上昇】
【外部感情:強】
胸がざわつく。
期待は、重い。
(飲み込まれない)
横を見る。
ミアが、まっすぐ立っている。
歌えない。でも、逃げていない。
「……大丈夫です」
小さな声。
でも、揺れていない。
歌い出す。
一番。
客席の感情が少し荒い。
酔いと期待が混ざり、波が大きい。
【警告:共鳴過多】
その瞬間。
ミアが、そっと一歩前へ。
声は出さない。
ただ、客席をゆっくり見渡す。
深呼吸。
ゆっくり。
静かに。
その呼吸が、波紋のように広がる。
一人。
また一人。
ざわめきが、少し落ちる。
【スキル発動】
・空気調律(微)
(周囲の感情振動を緩和)
ルナの胸のざわめきが、すっと引いた。
(……ミア)
二番。
声が伸びる。
三番。
完全に、場を掴む。
最後の音が消える。
静寂。
そして――
割れるような拍手。
昨日より、さらに大きい。
店主が苦笑する。
「化けたな」
ステージを降りる。
知らない男が近づいてきた。
「今度、商業区の広場で歌わないか?」
「報酬は出す」
依頼。
ミアが、ルナを見る。
不安と、興奮が混ざった目。
ルナは少しだけ考えてから、言った。
「……二人でなら」
視界が淡く光る。
【クエスト発生】
・商業区広場公演(難易度:中)
・観客数:多数予想
・妨害リスク:不明
夜風が少し冷たくなる。
人気が出るということは、
“敵”も生まれるということ。
でも。
隣には、ミアがいる。
歌えないけど、
空気を整えられる子。
ルナは静かに笑った。
「次は、大きいよ」
ミアは、小さく頷く。
「……でも、一緒なら」
酒場を越えて、街の中心へ向かい始めた。




