2
――二日目の朝。
コン、コン、と。
控えめなノックの音で、意識が浮上した。
「……ん」
まぶたが重い。
でも、昨日みたいに草の匂いはしない。
代わりに、木と布と、ほんのり焼き立てのパンの匂い。
「ルナ、起きてる?」
扉の向こうから、サンの声。
「……起きてる、たぶん」
そう答えた瞬間、ベッドの上でごそっと身動きする。
――柔らかい。
「……あ」
思わず声が漏れた。
ベッド。
ちゃんとした、宿のベッド。
毛布もあるし、枕もあるし、天井もちゃんと“天井”だ。
「夢じゃない……」
昨日の夜が、一気に現実味を帯びてくる。
視界の端が、ふわりと光った。
【名前】ルナ
【レベル】2
【職業】アイドル
【HP】13 / 13
【MP】9 / 9
【スキル】
・感情リンク(Lv1)
・声質補正(微)
【状態】
・混乱(小)
「……レベル、上がってる」
寝起きでぼんやりした頭でも、それだけははっきり分かった。
歌っただけ。
戦ってない。
それなのに、確実に“成長”している。
「おはよう、成長期の人」
いつの間にか、サンが枕元に座っていた。
羽をぱたぱたさせながら、にやにやしている。
「勝手に入ってこないで」
「鍵ないでしょ、ここ」
確かに。
私は上半身を起こして、もう一度ステータスを見る。
【混乱(小)】が、まだ消えていない。
「……これ、いつ治るの?」
「完全に“世界を受け入れたら”かな」
サンは軽く言う。
「まだ半分、夢だと思ってるでしょ」
図星だった。
昨日の夜、確かに歌って、確かに銀貨をもらった。
でも、それでも心のどこかで、
“目が覚めたら元の朝”を期待していた。
「朝食、下で用意できてるよ」
サンが話題を変える。
「パンとスープ。あと、噂話つき」
「噂話?」
「昨日の夜のこと」
胸が、きゅっとなる。
「……広まってる?」
「“ちょっと静かに歌う変な新人がいた”くらい」
サンは肩をすくめた。
「でもね」
一拍、間を置いて。
「“また聴きたい”って言ってた人、三人いた」
その言葉に、心臓が跳ねた。
派手じゃない。
でも、確かに“次”を望まれている。
ベッドから降りると、足元の感覚が少しだけ違った。
地面を踏む感じが、昨日よりはっきりしている。
(……ちゃんと、ここにいる)
鏡代わりの金属板に映る自分は、
前の世界の私と、ほとんど変わらない。
でも、目だけが少し違う。
怯えと一緒に、
期待が、混じっている。
「今日はどうする?」
サンが聞く。
私は少し考えてから、答えた。
「まず、朝ごはん」
「現実的!」
「それから……」
窓の外を見る。
朝の光に照らされた町は、昨日より優しそうだった。
「この世界のこと、ちゃんと知りたい」
「いいね」
サンが頷く。
「じゃあ二日目の目標は――」
「生き延びる、かな」
「低めスタート!」
笑いながら、扉へ向かう。
昨日は、流されるだけだった。
でも今日は違う。
ここがどこで、
私が何者で、
この“歌”が何を生むのか。
「さて、これからどうしようか」
「やっぱりお金はないと」
「宿に泊まれないしね」
昨日は歌って投げ銭貰ったけどそう簡単にはいかないだろうし。
やっぱりモンスターとか倒さないとダメなのかな。
でも多分私には向いていない。
歌うことだけが武器となると、難しいなぁ。
「とりあえずまた歌ってみるか」
「分かった!」
私はまたあの場所に立つことにした。
人通りの多い通りに出ると、朝の町はもうしっかり動いていた。
露店の呼び声、荷馬車の音、どこかで鳴る金属音。
昨日は必死すぎて気づかなかったけど、ちゃんと“生活の音”がしている。
「あの場所……この辺だったよね」
サンが肩の上で周囲を見回す。
昨日歌ったのは、噴水のそばの小さな広場。
人の流れが一度、自然に溜まる場所。
そこに立つと、胸の奥がきゅっとした。
ステージじゃない。
照明も、スタッフも、保証もない。
「……深呼吸」
息を吸うと、冷たい朝の空気が肺に入る。
昨日より、少しだけ余裕がある気がした。
視界の端が、また淡く光る。
【スポットライト:待機中】
【条件:歌唱開始】
「条件制なんだ……」
小声で呟いて、周囲を見渡す。
通行人はまばら。立ち止まる人はいない。
正直、今が一番歌いにくい時間帯だ。
(でも……)
誰もいない控室で歌うのには、慣れている。
“誰も聴いてない”状態なら、怖くない。
「……よし」
私は目を閉じて、声を出した。
昨日より、少し低めのキー。
朝の空気に合わせて、静かな曲。
最初は、ただの音。
誰も振り向かない。
それでも、歌い続ける。
すると、一人。
次に、もう一人。
歩いていた足が、ほんの一瞬だけ止まる。
【感情リンク:微弱発動】
【対象:不特定】
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
(……繋がってる)
声に、感情が乗る感覚。
誰かの“今の気分”に、触れている感じ。
「……」
一曲、歌い終わる。
拍手はない。
でも、去らずに立っている人が三人いた。
その中の一人、年配の女性がぽつりと言った。
「……朝に、ちょうどいい歌ね」
その言葉だけで、胸がいっぱいになる。
【経験値 獲得】
【少量】
「……っ」
小さく、画面が更新される。
【職業補正】
・日常歌唱時 効果微増
「日常……?」
サンがくるりと宙を回った。
「つまりさ、戦いの歌だけじゃないってこと」
「……生活の中で、歌えばいい?」
「そ。戦えなくても、生きていける」
その言葉に、肩の力が抜けた。
投げ銭は、昨日より少なかった。
でも、ゼロじゃない。
「……これなら」
小さく握り拳を作る。
「続けられるかも」
広場を離れて、石畳の通りを歩く。
さっきまで胸を占めていた緊張が、少しずつほどけていくのが分かった。
「……ねえサン」
「んー?」
肩の上で、サンはあくび混じりに返事をする。
「私、今“職業”って言えるのかな」
「言えるでしょ」
即答だった。
「冒険者じゃないし、吟遊詩人とも違うし……」
「でもさ」
サンは私の頬の横まで飛んできて、にっと笑う。
「この町の人はもう知ってる。“朝に歌ってた人”って」
その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。
通りの角を曲がると、小さな掲示板が目に入った。
木製で、色んな紙が雑多に貼られている。
【依頼掲示板】
「……これが、クエスト?」
「うん。軽めのも多いよ」
近づいて見てみる。
・荷運び手伝い
・子守り
・掃除
・呼び込み募集
・演奏者募集(酒場)
「……演奏者」
自然と、その紙に目が止まった。
《夕方から。1ステージ。報酬:銀貨1枚+食事》
「銀貨……?」
「昨日の銅貨8枚より、だいぶいいね」
喉が、きゅっと鳴った。
酒場。
人が多い。
ちゃんと“聴かれる場所”。
「怖い?」
サンが覗き込む。
「……うん」
正直に言った。
「でも、行かない理由もない」
紙をそっと剥がす。
「そう言えば、これどうすればいいの?」
「そっかまだ知らなかったか。まず冒険者ギルドに登録しないと」
「分かった!あそこの建物でいいの?」
「そうだよ!頑張って」
私は早速冒険者ギルドに行って登録をしてきた。
最初は最低ランクのEから。
コツコツやって上げていこう。
【クエスト受注】
・酒場演奏依頼
その瞬間、視界にまた小さな文字が浮かぶ。
【新スキル候補 解放条件達成】
・感情共鳴(仮)
「仮ってなに……」
「まだ安定してないってこと。たぶん、今夜次第」
掲示板から離れて、通りを進む。
昼前の町は、昨日よりも少し賑やかだった。
途中、パン屋の前を通る。
「あ」
昨日のおじさんだ。
目が合うと、少し驚いた顔をしてから、にこっと笑った。
「今朝の歌の子だね」
「は、はい」
思わず背筋が伸びる。
「また歌ってくれるかい? 今度は昼に」
「……機会があれば、ぜひ」
「楽しみにしてるよ」
それだけの会話なのに、胸がじんわりする。
【共感値 微増】
「……なんか」
通りを抜けながら、ぽつりと呟く。
「この町、優しいね」
「優しい人が多い町に、優しい歌が来たんだよ」
サンはそう言って、くるっと回った。
「相性、いい」
昼は情報集めと休憩に使って、
夕方から酒場。
ベッドに横になりながら、天井を見上げる。
(ステージ、か)
昨日の即席とは違う。
逃げ場もあるけど、注目も集まる。
怖い。
でも――
(歌う場所がある)
それだけで、胸が少し軽くなった。
窓の外で、鐘が鳴る。
昼の合図。
宿に一度帰ろうとしたら後ろから誰か声をかけてきた。
「ねぇ!さっきの歌すごく綺麗な歌だったよ。それにしてもその服とっても素敵ね。ここらへんで見かけないけどよく見せてもらえる?!」
「······っはい。大丈夫ですけど」
私は強引に仕立て屋に連れて行かれた。
仕立て屋は、広場から少し離れた路地裏にあった。
木製の扉に、色とりどりの布がかけられている。
「ここよここ!」
お姉さん――年は私より少し上くらいだろうか――
勢いよく扉を開けた。
「ちょ、ちょっと……」
抵抗する間もなく、中へ。
「いらっしゃ――」
奥から顔を出したのは、眼鏡をかけた穏やかそうな女性。
私を見るなり、ぴたりと動きを止めた。
「……その服」
視線が、私のスカートとカーディガンに釘付けになる。
「どこの布? 縫製……いえ、構造が見たことない」
(やっぱり……)
内心で覚悟はしていたけど、心臓が跳ねた。
「でしょ!?」
さっきのお姉さんが、得意げに言う。
「広場で歌ってた子よ。歌もすごくて!」
「歌……?」
仕立て屋の女性は、今度は私の顔を見て、ふっと柔らかく微笑んだ。
「朝から、噂は聞いてるわ。“噴水の歌声”」
【共感値 微増】
「……すみません、勝手に連れてきちゃった」
私はぺこりと頭を下げた。
「服、変ですよね……」
「いいえ」
きっぱり。
「珍しいだけ。とても、いい」
近づいてきて、失礼にならない距離で布を見る。
「この軽さ……この発色……」
「……触っても、いい?」
「え、あ、はい」
そっと触れた瞬間、彼女の目が輝いた。
「すごい……」
ほとんど独り言みたいに。
「……来たね」
サンがぼそっと。
「来たって……」
「チャンス」
意味深にサンはルナに答えた。
仕立て屋の女性は、少しだけ真剣な顔になった。
「ねえ、あなた」
「今日、この服で歌ったでしょう」
「は、はい」
「そのせいで、通りの空気が変わったって言われてる」
「歌と一緒に、姿も印象に残った」
胸が、どくんと鳴る。
「もしよければ」
彼女は一度、言葉を選ぶように間を置いた。
「あなたの服を参考に、新しい衣装を作らせてほしい」
「もちろん、無償とは言わないわ」
【イベント発生】
・仕立て屋との出会い
・衣装デザイン協力
・報酬:専用衣装(予定)
☆「……衣装」
思わず、声に出る。
歌う場所。
聴いてくれる人。
そして――着る服。
全部、繋がってきている。
「……あの」
私は、少しだけ息を吸ってから言った。
「私、まだこの町に来たばかりで……」
「お金も、後ろ盾も、何もなくて」
「だから?」
ミレイユは、微笑んだまま首をかしげる。
「だからこそよ」
「“最初”を一緒に作れる」
サンが、私の肩で小さく拍手した。
「交渉成立」
「ちょっと黙って……!」
でも、否定できなかった。
「……お願いします」
そう言うと、シファは嬉しそうに目を細めた。
「決まりね」
「じゃあまず、採寸から」
メジャーを手に取りながら、彼女はふと付け加えた。
「それと――」
「今夜、酒場で歌うんでしょう?」
「え」
「噂、回るの早いのよ。この町」
【存在感:微上昇】
「衣装、間に合わないけど」
「“今のあなた”を見せるには、十分だと思う」
その言葉が、胸の奥に静かに沈んだ。
“今のあなた”。
飾っていない。
完成していない。
それでも、ここに立っている私。
「……逃げられない感じ?」
小声でサンに聞く。
「逃げ道はあるよ」
即答。
「でも、進む道の方が明るい」
シファは、私の反応を見て、少しだけ優しく笑った。
「無理はさせないわ」
「今夜は、観察するだけでもいいわ」
「歌と動きと、空気のまとい方」
「衣装は、それを受け止める“器”だから」
そう言って、メジャーを片付ける。
「今日はもう行っていいわよ」
「喉、温存しなさい」
その一言が、なんだか“プロ扱い”されているみたいで、背筋が伸びた。
店を出ると、昼下がりの光が路地に差し込んでいた。
少し埃っぽくて、でもあたたかい。
「……なんか」
歩きながら、ぽつりと言う。
「急に、現実感きた」
「いい兆候」
サンがくるくる回る。
「夢のままじゃ、レベル上がらないし」
宿に戻って、少し休む。
ベッドに腰掛けると、さすがに疲れが出てきた。
喉。
肩。
胸の奥。
【状態】
・軽度疲労
「……そりゃそうか」
昨日と今朝、歌いっぱなしだった。
ここに来てMPを消費するようになって疲労も溜まる。
水を飲んで、静かに呼吸する。
声を出さずに、音程だけを頭の中でなぞる。
(大丈夫)
(歌える)
窓の外が、ゆっくり橙色に染まっていく。
鐘の音。
夕方。
「時間だね」
サンが、真面目な声で言う。
酒場。
昼間とは別の顔をした通りを歩く。
人が増え、声が増え、匂いが濃くなる。
扉の前に立ったとき、昨日より心臓がうるさかった。
「……昨日より、怖い」
正直に言う。
「それはね」
サンが肩に止まる。
「期待されてるから」
扉を開ける。
――ざわり。
昨日と同じはずなのに、空気が違う。
視線が、最初からこちらを向いている。
「来たぞ」
「昨日の子だ」
「噴水の歌」
名前じゃない。
でも、認識されている。
店主が、軽く手を上げた。
「準備できたら、いつでも」
ステージに上がる。
木の感触が、昨日よりはっきり足裏に伝わる。
【スポットライト:待機】
【感情リンク:待機】
(……選ばれてる)
この場所に。
この時間に。
この私が。
息を吸う。
昨日みたいに“なだめる歌”じゃない。
今朝みたいに“生活に溶ける歌”でもない。
――今の私に、いちばん近い歌。
少し不安で、
少し期待していて、
それでも前を向こうとする歌。
声を出した瞬間。
【感情共鳴(仮):発動】
昨日より、深い。
でも、飲み込まれない。
感情が流れ込む。
それを、声で“整えて返す”感覚。
ざわめきが、静まる。
完全じゃない。
でも、確実に“聴く空気”になる。
途中で、視界の端が揺れた。
【警告】
・感情共鳴:不安定
・MP消費 増加中
(……でも)
止めない。
歌い切る。
最後の音が消えたあと、一拍。
そして――
昨日より、はっきりした拍手。
笑い声。
「もう一曲!」の声。
胸が、どくんと鳴る。
【感情共鳴(仮) 安定化】
【新スキル解放】
・感情共鳴(Lv1)
視界が、柔らかく光った。
二曲目。
三曲目。
終わるころには、喉が少し熱くなっていた。
ステージを降りると、店主が銀貨を二枚、音を立てて置いた。
「約束より、一枚多い」
「……ありがとうございます」
「また、頼む」
それだけ。
サンが、耳元で囁く。
「居場所、増えたね」
酒場を出ると、夜風が心地よかった。
空を見上げる。
星が、少しだけ瞬いている。
(歌うだけで、生きていけるかもしれない)
そんな考えが、胸に浮かんで――
消えずに、残った。
宿へ向かう石畳を歩きながら、足取りが少しだけ軽いことに気づいた。
疲れているはずなのに、身体の奥がまだ温かい。
「……声、大丈夫?」
サンが覗き込む。
「ちょっとヒリヒリする」
喉に手を当てて、正直に答える。
「でも、嫌じゃない」
歌い切ったあとの痛み。
無理をした証拠で、ちゃんと“使った”感覚。
そのとき――
「失礼」
後ろから、落ち着いた声がかかった。
振り返ると、酒場の明かりが届かない場所に、一人の男性が立っていた。
外套を羽織り、胸元には金属の徽章。装飾は少ないけど、やけに目を引く。
「先ほどの演奏、聴かせてもらいました」
心臓が、また一段強く鳴る。
「……ありがとうございました」
反射的に頭を下げる。
「私は《リラ・ノート》の常連です」
名乗りはしない。
でも、視線が真っ直ぐで、変な圧はない。
「あなたの歌は――」
一拍、間を置いて。
「人を“整える”」
【感情共鳴:微反応】
【対象:個別】
胸の奥が、きゅっと反応した。
「治療魔法とは違う」
「鼓舞とも違う」
「でも、確かに効く」
(……そんなの、初めて言われた)
「今夜は、それだけ伝えたくて」
そう言って、彼は小さな袋を差し出した。
「次の歌の、助けになれば」
中を見る前に、サンが耳元で囁く。
「断らなくていい。投資だよ、これ」
恐る恐る受け取る。
ずしり、とした重み。
【アイテム獲得】
・魔力回復用ハーブ(上質)
・銀貨 1枚
「……ありがとうございます」
「いえ」
男性は軽く会釈して、闇に溶けるように去っていった。
しばらく、言葉が出なかった。
「……ねえ」
やっと、声が出る。
「私、なにか“特別”なのかな」
「さあ?」
サンは肩をすくめる。
「でもね」
少しだけ、真面目な声で。
「“特別に見つかりやすい歌”ではある」
宿の灯りが見えてくる。
部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
喉を労わるように、水を一口飲んだ。
視界に、静かに文字が浮かぶ。
【称号候補】
・噴水の歌声
・夜を整える者(仮)
「……仮、多くない?」
思わず笑う。
サンも笑った。
「成長途中ってこと」
ランプを消す。
闇の中、今日の歌がまだ耳に残っている。
(明日は、どんな歌になるんだろう)
眠りに落ちる直前、最後に思った。
――この世界で、私の歌を“必要とする人”は、
もう一人や二人じゃ済まないかもしれない。




