10
夜の王都は昼とはまるで違う顔を見せていた。
灯りは少なく、通りは静かだ。
ルナたちは倉庫街へ向かって歩いていた。
レオンが前を歩き、周囲を警戒している。
ミアはルナの少し後ろ。
サンは空中をゆっくり飛んでいた。
やがて大きな倉庫が並ぶ場所に着く。
レオンが地図を見た。
「ここだな」
古い倉庫。
木の扉は少し開いている。
中は暗い。
サンが言う。
「どう見ても怪しい」
カイルが低く笑う。
「そりゃそうだろ」
ミアが静かに言う。
「慎重に行きましょう」
レオンが扉を押した。
ギィ……
重たい音を立てて扉が開く。
倉庫の中は広かった。
木箱が積まれている。
そして——
中央に、小さな舞台が作られていた。
ルナは驚く。
「舞台…?」
サンが小さく言う。
「完全に遊ばれてるね」
そのとき。
パチン。
何かが鳴った。
倉庫の上のランプが一斉に灯る。
明るくなった。
そして上から声が響く。
「ようこそ」
全員が上を見る。
倉庫の二階の通路。
そこに一人の男が立っていた。
長いコート。
白い仮面。
笑っているピエロの顔。
クラウンだった。
彼は両手を広げる。
「観客が来てくれて嬉しいよ」
レオンが前に出る。
「クラウン」
クラウンは楽しそうに笑った。
「その名前で呼ばれるのも慣れてきた」
ルナが言う。
「なんでこんなことするの?」
クラウンは首をかしげる。
「こんなこと?」
「舞台を作ってるだけさ」
ミアが冷たい声で言う。
「人を危険にさらす舞台ですか」
クラウンは笑った。
「危険だから面白いんだよ」
そして下の舞台を指す。
「せっかくだ」
「歌ってみなよ」
ルナが眉をひそめる。
「ここで?」
クラウンは頷く。
「うん」
「これはリハーサル」
「明日の本番のためのね」
レオンが低く言う。
「罠だろ」
クラウンは肩をすくめた。
「もちろん」
サンが呆れた声を出す。
「正直すぎる」
クラウンは笑いながら言う。
「でもさ」
「舞台ってそういうものだろ?」
「何が起きるかわからない」
「それでも続ける」
彼はルナを指差した。
「君はできるのかな?」
倉庫の空気が張り詰める。
ルナは舞台を見た。
罠がある。
危ない。
でも——
ルナはゆっくり舞台に向かって歩いた。
ミアが驚く。
「ルナさん」
ルナは振り向かない。
「大丈夫」
舞台の上に立つ。
木の床。
静かな倉庫。
クラウンの笑い声。
ルナは深呼吸した。
そして言った。
「舞台なら」
「ちゃんとやるよ」
クラウンの仮面の奥で目が細くなる。
「いいね」
「それだよ」
ルナは目を閉じた。
そして——
歌い始めた。
その瞬間。
カチッ。
舞台のどこかで、機械が動いた。
ルナの歌声が倉庫の中に広がる。
静かで、まっすぐな声だった。
その瞬間。
カチッ。
舞台の端で小さな音が鳴る。
レオンが叫ぶ。
「来るぞ!」
次の瞬間、舞台の横の箱が勢いよく開いた。
バンッ!
中から煙が噴き出す。
白い煙が舞台を包む。
ミアがすぐに言う。
「煙だけです!」
ルナは歌い続ける。
少し驚いたが、止まらない。
クラウンが上から楽しそうに見ている。
「いいねぇ」
「続けて」
また音が鳴る。
カチッ。
今度は舞台の床板が少し跳ね上がった。
ガタン!
レオンが動く。
素早く舞台に飛び乗り、床板を押さえた。
「くそ…!」
ルナは一瞬バランスを崩しかける。
しかしミアがすぐに手を添えた。
「大丈夫です」
ルナは頷く。
歌は止まらない。
倉庫に声が響く。
クラウンは笑いながら手すりにもたれていた。
「普通はここで止まるんだけどな」
サンが空中で怒る。
「うるさい!」
また仕掛けが動く。
カチッ。
今度は天井。
ロープが切れて、袋が落ちてくる。
レオンが剣を抜いた。
「危ない!」
シュッ!
袋を空中で斬る。
中から紙吹雪がばらまかれる。
キラキラと舞う。
ルナの周りに落ちていく。
まるで本物の舞台の演出みたいだった。
クラウンが手を叩く。
「最高だ」
「最高の舞台だよ」
しかしそのとき。
ルナの声が少し変わった。
前よりも強くなる。
倉庫の空気が、少し震えた。
サンが目を丸くする。
「え…」
ミアも気づく。
「これは…」
ルナの歌声が広がる。
ただの声じゃない。
空気を揺らす力。
倉庫のランプが小さく揺れる。
クラウンの笑いが止まった。
「……へえ」
仮面の奥の目が細くなる。
「そういうことか」
ルナは歌い続ける。
感情が乗る。
怖い。
でも負けたくない。
その思いが声に乗る。
その瞬間——
バキッ。
舞台の残っていた仕掛けの金具が勝手に外れた。
レオンが驚く。
「壊れた?」
ミアが小さく言う。
「違います」
「声の振動です」
サンが興奮する。
「ルナの歌が装置に響いてる!」
クラウンはしばらく黙っていた。
そして——
ゆっくり笑った。
「なるほど」
「それが君の“舞台”か」
ルナの歌が終わる。
倉庫の中が静かになる。
クラウンは手を叩いた。
パチ…パチ…
「いいもの見せてもらったよ」
レオンが睨む。
「もう終わりか?」
クラウンは首を振る。
「今日はね」
そしてルナを見る。
「明日の本番」
「もっと派手にやろう」
「君の歌がどこまで壊せるか」
「楽しみだ」
次の瞬間。
バンッ!
また煙が広がる。
レオンが叫ぶ。
「くそ、また煙幕!」
煙が消えたとき——
クラウンの姿はもうなかった。
倉庫にはルナたちだけが残る。
サンが小さく言う。
「完全に目つけられたね…」
ミアはルナを見る。
「ルナさん」
ルナは少し息を切らしていた。
でも目は強かった。
「うん」
「明日、絶対成功させる」
次の日の夜。
酒場の中はいつもよりずっと賑やかだった。
テーブルは全部埋まり、立っている客もいる。
笑い声と話し声が重なっていた。
カウンターの奥でカイルが大声を出す。
「おーい、酒は順番だ!慌てるな!」
レオンは入口の近くに立っていた。
腕を組み、店の中を見渡している。
ミアは舞台の横にいた。
静かに周囲を確認している。
サンは天井の近くをふわふわ飛んでいた。
「怪しいのは…今のところいないかな」
そして舞台の裏。
ルナが一人、深呼吸していた。
胸が少しドキドキしている。
ミアが声をかける。
「大丈夫ですか?」
ルナは頷いた。
「うん」
「ちょっと緊張してるだけ」
ミアは優しく言う。
「それは普通です」
「でもルナさんなら大丈夫」
ルナは少し笑った。
「ありがとう」
そのとき。
サンが急に降りてくる。
「来た」
ミアの表情が変わる。
「どこですか」
サンは入口の方を見る。
「帽子の男」
レオンも気づいていた。
入口の近く。
黒い帽子の男が静かに座っている。
顔はよく見えない。
しかし——
テーブルの上に、一枚のカードが置かれていた。
白いカード。
ピエロの顔。
レオンが小さく言う。
「……クラウン」
そのとき。
カイルが大声で言った。
「さあ皆!」
「今夜の歌を聞かせてくれるのは——」
「ルナだ!」
客たちが拍手する。
ルナは舞台へ歩いていく。
ライトが当たる。
たくさんの視線。
少しだけ怖い。
でも——
ルナは思い出す。
昨日の倉庫。
クラウンの笑い。
そして自分の歌。
ルナはマイクの前に立った。
「こんばんは」
客席から歓声が上がる。
その瞬間。
カチッ。
レオンの目が鋭くなる。
「音がした」
ミアがすぐ周囲を見る。
舞台の上のランプが揺れた。
ガタン。
天井の照明の一つが外れかける。
客席がざわめく。
サンが叫ぶ。
「上!」
レオンが走る。
ジャンプして照明を押さえる。
「落ちるかよ!」
ミアは舞台の装置を確認する。
「別の仕掛けもあります!」
しかし——
ルナは歌い始めた。
客席のざわめきの中で、声が広がる。
最初は小さい。
でもだんだん大きくなる。
そのとき。
客席の帽子の男がゆっくり立った。
拍手する。
パチ…パチ…
「いいね」
その声は——
クラウンだった。
仮面を外さないまま、客席の中に立っている。
「これだよ」
「最高の舞台」
その瞬間。
ドン!!
酒場の奥で小さな爆発音。
煙が上がる。
客が悲鳴を上げる。
ミアが叫ぶ。
「客を外へ!」
カイルが怒鳴る。
「落ち着け!順番に出ろ!」
レオンはクラウンを睨む。
「お前…!」
しかしクラウンは笑っている。
そしてルナを見る。
「続けなよ」
「舞台はまだ終わってない」
煙が広がる。
混乱する客席。
それでも——
ルナの歌は止まらなかった。
そしてその声が、酒場の空気を震わせた。
煙が酒場の中に広がる。
客たちはざわめきながら出口へ向かう。
カイルが大声で叫ぶ。
「押すな!順番に出ろ!」
ミアは客の流れを誘導している。
「こちらへ!」
レオンはクラウンを睨んでいた。
「動くな」
しかしクラウンは楽しそうに笑う。
「なんで?」
その瞬間。
カチッ。
また音がした。
レオンの目が鋭くなる。
「まだあるのか!」
天井の梁が揺れる。
ミシ…ミシ…
古い木材が軋む音。
サンが叫ぶ。
「上の構造が緩められてる!」
ミアが振り向く。
「このままだと——」
そのとき。
ドン!!
天井の板が一枚落ちた。
客席に落ちる。
悲鳴が上がる。
レオンが歯を食いしばる。
「くそ!」
クラウンは両手を広げた。
「どう?」
「最高の演出だろ?」
しかし舞台の上では——
ルナが歌い続けていた。
煙の中。
揺れる酒場。
それでも声は止まらない。
強くなる。
まっすぐ伸びる声。
そのとき。
空気が震えた。
グラスがカタカタ鳴る。
ランプが揺れる。
サンが目を見開く。
「来た…!」
ルナの歌がさらに強くなる。
恐怖も。
悔しさも。
全部乗せて歌う。
その声が酒場全体に広がる。
そして——
ミシ…
ミシ…
天井の揺れが止まった。
レオンが驚く。
「……止まった?」
ミアがすぐに理解する。
「振動が逆に働いています」
「構造を安定させている」
サンが叫ぶ。
「ルナの歌が建物を支えてる!」
クラウンの笑いが止まる。
仮面の奥の目が細くなる。
「……面白い」
ルナは歌い続ける。
声が酒場を満たす。
震えていた梁が静かになる。
崩れかけていた天井が、ゆっくり止まる。
そして——
歌が終わる。
静寂。
煙も薄れていく。
客たちは呆然としていた。
レオンが小さく言う。
「助かった…」
ミアも息を吐く。
「ええ」
クラウンはしばらく黙っていた。
そしてゆっくり拍手した。
パチ…パチ…
「参ったな」
「完全に予想外だ」
レオンが剣を向ける。
「もう終わりだ」
クラウンは肩をすくめた。
「今日はね」
そしてルナを見る。
「君の舞台」
「本当に壊せなかった」
「これは僕の負けだ」
そう言うと、小さな球を床に落とした。
パンッ!
煙が広がる。
レオンが走る。
しかし——
煙が消えたとき、クラウンはいなかった。
店の中に静けさが戻る。
そして客席から声が上がった。
「すごい…」
「今の歌…」
誰かが拍手する。
パチ。
パチパチ。
やがて酒場中に拍手が広がる。
大きな拍手。
歓声。
カイルが笑う。
「やったじゃねえか!」
ミアも微笑む。
「見事でした」
レオンが肩をすくめる。
「とんでもない歌手だな」
サンはくるくる回る。
「伝説の初舞台だよ!」
ルナは少しだけ涙ぐんでいた。
でも笑っていた。
舞台の上で、深くお辞儀する。
こうして——
ルナの最初の公演は、大成功で終わった。
酒場の拍手はしばらく続いた。
ルナは舞台の上で何度も頭を下げる。
客たちは笑顔で声をかけていた。
「すごかったよ!」
「また歌ってくれ!」
カイルはカウンターの奥で大笑いしている。
「ははは!店が壊れなくてよかった!」
レオンが呆れた顔をする。
「そこかよ」
ミアは静かにルナの横に立った。
「本当に見事でした」
ルナは少し照れる。
「みんなが助けてくれたからだよ」
サンは空中でぐるぐる回る。
「いやー最高だった!」
「クラウンの顔、見た?」
「完全に予想外って顔だったよ」
レオンが腕を組む。
「だろうな」
「まさか歌で建物止めるとは思わない」
そのとき。
カウンターの方から声がした。
「すみません」
店の入口に、一人の男が立っていた。
背の高い男。
黒いコート。
少し落ち着いた雰囲気。
レオンがすぐに気づく。
「……警備隊?」
男は軽く頷いた。
「はい」
そしてルナを見る。
「あなたがルナさんですね」
ルナは少し驚く。
「はい」
男はゆっくり近づいた。
店の中を見回す。
壊れたテーブル。
煙の跡。
そして舞台。
男は小さくため息をついた。
「やはり来ていましたか」
ミアが聞く。
「クラウンのことですか」
男は頷く。
「ええ」
「こちらでも追っている人物です」
レオンが言う。
「逃げられた」
「いつもの煙幕だ」
男は静かに言った。
「ですが、今日はそれだけではありません」
ルナが首を傾げる。
「え?」
男はコートのポケットから一枚の封筒を出した。
厚い封筒。
金色の封印がされている。
そして言った。
「あなたに届けるよう言われています」
ルナは封筒を受け取る。
重たい。
ミアとサンが覗き込む。
ルナはゆっくり封を開けた。
中から出てきたのは——
一枚の招待状だった。
紙には美しい文字。
『王都中央劇場』
『特別公演への出演依頼』
ルナは目を丸くする。
「え…?」
サンが叫ぶ。
「うそ!?」
レオンも驚く。
「中央劇場だと?」
カイルが口笛を吹く。
「すげえな」
ミアが静かに説明する。
「王都で一番大きな劇場です」
ルナは信じられない顔をしていた。
「私が…?」
そのとき。
招待状の裏に、小さな文字があるのに気づく。
ルナは読む。
そこには短く書かれていた。
『次の舞台で会おう』
『もっと大きく壊してあげる』
最後にサイン。
クラウン。
サンが顔をしかめる。
「うわ…」
レオンが低く言う。
「完全に挑戦状だな」
ミアはルナを見る。
「どうしますか?」
ルナは少し黙った。
王都中央劇場。
大きな舞台。
そしてクラウン。
でも——
ルナはゆっくり笑った。
「行く」
サンが嬉しそうに跳ねる。
「決まり!」
カイルが笑う。
「よし、次は大舞台だ」
レオンは肩をすくめた。
「また面倒なことになりそうだな」
ミアは小さく頷く。
「ええ」
「ですが——」
「きっと素晴らしい舞台になります」
こうして——
ルナの新しい物語が始まる。
次の舞台は、王都最大の劇場。
そしてそこには、またクラウンが待っている。




