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  【1】 シャーロット・フォン・オルシェル1


 オルシェル侯爵家が三の娘、シャーロット・フォン・オルシェルは荷物をまとめていた。

 今夜、王宮で開かれる舞踏会で、婚約者のディーター・ド・ブッカーから婚約破棄を言い渡されることを知っていたからだ。

 泣いてはいなかった。すでにできるだけの手は打った。それに、これから舞踏会に行くのに、目が腫れては艶消しだ。

 このあと商会のコートニーさんが、ドレスを着たシャーロットのコーディネートにやって来る。それまでに荷造りを終えなくてはいけない。


 シャーロットはこの家の本当の娘ではなかった。シャーロットは物心ついたときには地方にある小さな孤児院にいた。孤児院は環境が悪かった。まだ幼い、同い年くらいの子がばたばたと死んでいった。シャーロットは最後に残った一人だった。あまりに劣悪な環境だったためだろう。ある日監査が入った。監査に来たのが、オルシェル侯爵だった。

 三番目の娘を亡くしたばかりだったオルシェル家の侯爵夫妻が、「娘に生き写しだ」と言ってシャーロットを引き取ってくれたのだった。


 父母も、二人の姉も、シャーロットをレティと呼んで慈しんでくれた。文字も言葉も知らなかったシャーロットに本と教育を与えてくれた。温かい食事を、ベッドを、団欒を、与えてくれた。

 だからシャーロットは恩返しがしたかった。家族にできる限りのことを返したかった。領地の事を手伝えるように懸命に学んできたし、家の恥になるまいとマナーを叩き込んだ。


 平民からは理解を得にくく遠巻きにされがちな父母の努力が、ほんの少しでも領民に伝わりやすくなるような下地を作りたいと思った。直接的じゃなくてもいい。押しつけがましいやり方は得策じゃない。民の前に立ち、守り、導く立場を崩すことなく、ただ、侯爵家と民をつなぐ何かが欲しい。民に侯爵家を印象付ける何かが欲しかった。

 だから商会の人間とコネクションを作り、やり取りし、侯爵家の事業を拡大させた。


 仕事に厳しいが娘には甘い父は、うまくいかねばすぐに手を引きなさいと言って、一年だけ猶予をくれた。事業は今のところ順調だ。今では、身につけるものに人一倍気を使う母と姉もコートニー商会からときどき物を買う。あの商会の扱う品はどれも質が良い。選ぶ者の目が良いのだ。だからこそ、父は今回の舞踏会にコートニー商会を呼ぶことを許した。

 このままうまくいくとばかり思っていた。婚約者と結婚して、事業をさらに大きくして、そうすれば格式高い侯爵家の品位を落とさずに平民の支持も拡大できる。

 そう思っていたのに。


「シャーロット? あんな女をこの僕が本気で愛すると? 僕の最愛は君さアネット。今度の舞踏会で、彼女との婚約を破棄する」


 曲がり角の向こう。裏庭の陰で。シャーロットの婚約者だったはずの男は、屋敷のメイドの腰を抱き、シャーロットには向けたことのない甘い声でそうのたまった。


「何を考えているかわからない無表情で、おまけに家の仕事を手伝っているらしい。女の分際で仕事だなんて生意気で気が強そうだ。そんな女より、僕は君がいい」

 

 その言葉でだめ押しだった。こんな男と結婚したところで事業の拡大は望めそうもない。

 だがシャーロットにとっては、父がシャーロットにと持ってきた大事な縁談の相手だった。シャーロットの本来の役目はこの男との結婚なのだから、事業よりも優先すべきことだった。家族はいつもシャーロットに、「いやだと思ったら言いなさい」と言ってくれたが、家のことを考えての縁談なのだ。破談にならなければそれが一番いいに決まっている。


 けれどうまくいかなかった。シャーロットは失敗したのだった。

 この家の恥になるわけにはいかない。シャーロットは証拠集めに奔走した。集めた不貞の証拠を突きつけて、侯爵家側の損害を最小限に抑える。

 それでもシャーロットの醜聞は消しようがないだろう。婚約破棄をされた女が、この先新しい婚約者を得るのは難しい。噂の種がいつまでも侯爵家に居座るわけにはいかない。ましてや本当の娘でもないのに。

 だからシャーロットは家を出る。 どこかの修道院で一生を過ごす。困ることはない。もともと孤児院で終えていたかもしれない人生だ。十分すぎる結末だろう。


「……うっ」


 こみ上げてくる何かを必死で押し込める。

 あの日、部屋でたった一人掃除していたシャーロットを抱き上げてくれた、父の顔を思い出す。あかぎれだらけのシャーロットの手に躊躇なく触れ、塗り薬を塗ってくれた母の柔らかい手を。博識な一番目の姉が、シャーロットに読み聞かせてくれた本の数々を、その柔らかい声を。才媛の二番目の姉が、シャーロットに聞かせてくれたピアノの美しい音色を、描いてくれたシャーロットの肖像の数々を。思い出す。


 引き出しを開けると美しい髪飾りが暗い部屋できらきらと光っていた。去年のシャーロットの誕生日、家族が贈ってくれたそれには、角度によってその色を変える魔宝石オパーリアがはめ込まれている。シャーロットのようだったからと二番目の姉が宝石を選び、シャーロットにはリボンが似合うからとリボンの真ん中につけることを一番目の姉が提案した。シャーロットは深い色が好きだからと、母がリボンの色を夜空色に決めた。値段も聞かず、父がお金を払ってくれた。

 シャーロットの宝物になった。何があってもこれだけは手放すまいと。いつかこの恩を彼らに返すと。そう決めた。


 なのに。


「う、うぅ……っうぁあ……」


 嗚咽が漏れる。シャーロットは必死に唇をかみしめる。

 髪飾りを胸に抱きしめる。


「ごめん、ごめんなさい……フランツィスカ姉さま、クララ姉さま……お父さま、お母さま……ごめんなさい……役立たずの娘で……妹で……ごめんなさい」


 シャーロットは泣いていた。

 こらえても、こらえても。涙はシャーロットの意思に反して、床に丸く落ちていく。



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