4風呂目 魔具商人ルディ・コートニー1
魔具商人ルディ・コートニーは悩んでいた。
「おいルディ、まだ残ってんのか」
「うん、ちょっとね」
弟のウォルターが仕事部屋の扉の向こうからひょこりと現れ心配そうに言う。
「ユーズの実の在庫だけど、まだ少し残ってる。今の内に売り切らないと、多分ダメになる」
「わかった。何か手立てを考える」
「あまり無理するなよ。明日に障る」
「ああ、ありがとう」
ウォルターはまだ少し心配そうにしていたが、こういうとき、ルディが言っても聞かないことを理解しているのか、それだけ言って去っていった。
ルディが経営するコートニー商会はそこそこ大きく、一般市民向けの価格帯の魔具の流通を中心に力をつけた。高すぎず、かつ質のよい魔具を売る商会である、と買ってくれるお客さんが多かったのだ。最近は顧客の層を拡大しようと、貴族との結びつきを得ようとしているところだった。
明日はそのための大事な社交の場、舞踏会があった。うちの商品を贔屓にしてくれている侯爵家のご令嬢が、魔術を織り込んだ生地でできたドレスを着てくれるとのことで、それを宣伝に使いなさいと侯爵様直々に招待してくれたのだった。
そんなルディの目の前には、先日素材屋で三月分の給料をつぎ込んで買った魔石、メルディエステラ―――通称『真冬の綺羅星』が置かれている。仕事用の魔石ではないため経費は降りないが、それでもどうしても、ルディはこれを買いたかったのだ。
メルディエステラは、今は手元のランプの光を受けて、夕暮れに浮かぶ一番星のように輝いていた。
ルディには今、気がかりなことがある。
使われている魔具の管理のために、屋敷に足を運んだときのこと。魔石を運んでいたルディは、ある男女の逢引きを目にしてしまった。
男女は声を潜めて笑い合い、密着し、時折口づけを交わしているようだった。
仮にもこれから貴族に売り込んでいく身だ。貴族の顔と名前くらいはルディの頭に入っていた。男はブッカー伯爵家の次男ディーター、女のほうは……なんということだ……彼女は奥方付きの新入りのメイドだ。この前の商談のとき躓いて転び、ルディに向かって盛大に紅茶をぶちまけた、あの。
ルディは気まずくなってその場を離れた。
仲がずいぶんおよろしいようで、と19にもなって浮いた話のひとつもないルディはげんなりとした気持ちだったが、それだけならば別によかった。仕えている家で他家の貴族と逢引だなんて肝が太いとも思ったが、それも別にルディにとってはどうでもよいことだった。
問題は、その後に発覚した。
ルディがそのまま別ルートで魔石を運んでいると、中庭で一人の女性が本を読んでいた。
この侯爵家の三番目のご令嬢、シャーロット・フォン・オルシェルだ。ルディはこれまで三度ほど顔を合わせている。
貴族にはあまり知られていないルディの商会からいつも魔宝飾具を取り寄せてくれているのも、今度、魔術を織り込んだドレスを着てくれるというのも、彼女のことだった。
誰かを待っているのだろう。女性の前のテーブルには、紅茶の入ったカップとポット、それと同じデザインの伏せられたカップがもう一つあった。
華奢だが、シャンと背筋の伸びた体躯、薄く上気した桃のような頬。
背中まで伸びたブロンドベージュの髪が日の光を受けてふわふわときらめいている。ゼリー衣で覆った菓子の上の果物のような、飴みたいな瞳。人形のように生えた、髪と同じ色の長いまつげがそっと伏せられ、文字を追うたびに揺れる。綺麗な人だ、とルディはすとんとそう思った。
彼女の好きな銘柄の紅茶の、新しい茶葉が入ったので、本当はそれを売り込みたいところだったが、待ち合わせの邪魔はできない。そう思ってその場を後にしようとしたときだった。
「コートニーさん」
魔石が触れ合うときのような、星がささやく音のような、澄んだ声に呼び止められた。この場に、自分のほかに人はいない。それを慌てて確認して、ルディは上ずった声で返事をした。
「は、いえ、あの、はい!」
シャーロット嬢は読んでいた本を閉じ、体をまっすぐルディのほうに向けて、こう尋ねた。
「ブッカー伯爵家のディーター様をお見かけになりませんでしたか。本日は、婚約者としてお会いする約束の日なのですけれど、刻限になっても姿が見えなくて」
それを聞いてルディはダラダラと冷や汗をかいた。知っているも何も、さっきそこで別の女とイチャイチャしていたが、それは果たして口にしていいものなのか。
「え、と……」
ルディが返答に窮していると、女性は困ったように眉を下げた。
「ごめんなさい、突然聞かれても困ってしまわれますよね。忘れてください」
「いえ、あの! ……さっき、裏庭で別の女性と睦まじくしていらっしゃいましたので、言っていいものかどうか……」
「あー、やっぱり。……ラウラ、今の言葉きちんと記録しておいて」
シャーロット嬢が言うと、どこからともなく現れた黒服の女性が「かしこまりました」と頭を下げて、またどこへともなく消えた。
「ありがとう、コートニーさん。おかげで証拠がまた一つ集まりました」
微笑んでルディに礼を言うシャーロット嬢は、なんでもないことのように振舞っているが、どこか悲しそうに見えた。それも当たり前か、とルディは思った。
婚約者の不貞の記録を集めたくて集める人間なぞいない。
「また何かございましたら、遠慮なくお声がけください。それでは」
そう言って、ルディは今度こそその場を離れた。
あれから三月ほど経った。
あの日から二週に一度、侯爵家に足を運ぶたびにシャーロット嬢のいる中庭を通るようになった。彼女はいつもそこで本を読んでいたから、ルディはよく話をするようになった。
シャーロット嬢は、不思議な令嬢だった。頭の回転が速く、とっさの機転がきいて、だが思慮深い。何事にも真摯で、少し気が強くて、笑った顔が愛らしい。たまに人をからかうのに、その言葉は決して相手を傷つけぬよう選ばれている。
そのすべてがルディにとってかけがえのないものになっていた。
何のことはない。ルディはシャーロット嬢を愛しく思うようになっていたのだった。
だが彼女は婚約者のいる侯爵家のご令嬢。ルディは平民で、ただの商人だ。そして商人だからこそ、そこら辺の分は誰よりもわきまえているつもりだ。どう足掻いても釣り合わない。分不相応な横恋慕である。
ルディはこの気持ちを墓場まで持っていくつもりだった。
けれど今日、明日の舞踏会でシャーロット嬢が着るドレスを届けに行った折、シャーロット嬢は言った。
「明日の舞踏会で私、ディーター様に婚約を破棄される予定なのです」
「……は? 婚約破棄……? あなたが?」
「ええ。どうも、そのようです。ディーター様とお相手の女性がそう話していたという情報を得ました。ドレスに迷惑をかけるつもりはないけれど、コートニーさんには先に話しておかないとと思って」
巻き込む形になってしまってごめんなさい、とこんなときにも関わらず、シャーロット嬢はルディの心配をした。
「どうやって婚約破棄なんてするつもりなんだ。あなたに瑕疵など一つもないのに」
「……あるのよ。あるの。私、お父様とお母様の本当の娘じゃないの」
シャーロット嬢の言葉にルディは息をのんだ。
「本当は侯爵家のみんなに恩返しがしたかったけれど、婚約破棄をされればそんなこと言っていられないわ。侯爵家の恥になるわけにはいかない。なりたくない。私はこの家が大切なの。なによりも大切で、愛しているから。だからこそ、きっと出て行かなくちゃ」
シャーロット嬢は覚悟を決めているのだとルディは思った。その細い肩に、すべてを背負う覚悟を。
「もう何も未練はないと思っていたけれど、あなたの卸してくれた紅茶を飲めないのは、なんだか寂しい」
「シャーロット嬢……」
「これまでありがとう、コートニーさん」
それじゃあ、とやはりなんでもないことのようにシャーロット嬢は笑って、去っていった。
手元を見れば、ルディが加工したメルディエステラはいつの間にか耳飾りの金具にそっと収まっていた。今日の出来事を思い出し、悩んでいるうちに、ものはすっかり出来上がってしまった。
自分はこれからこれを彼女に渡すのか、とルディはぼんやりと考える。
正直言って、できる気がしなかった。
成功率は半分もないだろう。しかもあんな高嶺の花に。
ああそうだ、ユーズの実はどうしよう。あれだって急ぎの案件だ。
ユーズの実は果実だ。このままにしていては味も鮮度も落ちる。かと言って無理に売りつければ商会の信用にかかわる。そもそもあの苦味さえなければもう少し売れたのに。あれはあれで需要はあるだろうが、初めて食べる人には独特過ぎたのだ。
こんなことやってる暇あるのか、とルディの中の『商人のルディ』が言ってくる。
「あ゛~~~~、も~~~~、いっそ僕を殺せ~~~~~」
そう言って両手で顔を覆い、天を仰いだときだった。
ルディの横にどすんと何かが落ちてきた。
それは見たことのない形の戸であった。その戸はひとりでにスライドして開いた。戸を隔てた向こう側から、あたたかい空気が流れ込んでくる。
そこには男性が一人、立っているように見えた。
「な、だ、誰?」
思わず尋ねたルディの声に、その男性は振り向き、またか、という顔をして答えた。
「風呂屋ですぅ!!!」




