【6】 マグウィザードの新入生2
マグウィザード魔法学校の試験の日から一週間が経った。
ルッツは自分の家の郵便受けをそわそわとしながら開く。
見ると、クリーム色の封筒が入っていた。
ルッツは慌ててその封筒を開けた。
中には三通の書簡が、ぴんと背筋を正して入っている。
「マグウィザード魔法学校は、ここにルッツ・アウセムの入学を認める 」
一通目にはそのように書かれていた。ルッツはまず、その結果に胸をなでおろす。
総合の席次は三席。
実技は満点だったようだが、筆記で少し落としている。おそらく裏面の最終問題が部分点なのだ。
ルッツの場合は、もう少しで解けるかと思ったが、その瞬間に終了のベルが鳴ってしまった。
あの問題は、部分点を与える前提……すなわち答えられないことを前提に作られていたと思われるが、ルッツの筆記の席次が三席であることを見るに、満点が居たのだろう。
時間内にあの問題を解いた者が居たということである。しかも二人。
「おっそろし……」
とはいえ、終わったことである。
まだまだ気は抜けないが、授業料が免除される四位以内に入っていたことだし、とルッツはひとまず安堵した。
「おーーーーーい」
声がしたほうを見ると、ナディアが駆けて来るのが見えた。
ふわふわの紅茶色の髪をなびかせて。大きめの丸メガネがずり落ちてくるのを何度も直しながら。
ナディアは最近ずいぶん、学校でも表情をやわらげるようになった。
それを見て、他の同級生たちもだんだんとナディアに声をかけるようになって。
ルッツはそれがいいことだと分かりつつ、どうしてか少し、もやっとするのである。
けれど、ナディアのめいっぱいの感情を知っているのは、ルッツだけだ。
花が咲くようなこの笑顔も、雨の日のような泣き顔も、知っているのはルッツただ一人。
そう思えば、不思議とそのモヤモヤも消えた。
「ルッツ、ルッツ、見て見て、受かった。四位。ルッツは?」
「三位だ。実技は大丈夫だったんだけど、筆記で少し落とした。裏面の、最後のやつ」
「あれ難しかった。……ってことは、解けた人いたんだ」
「そうみたい」
「私、魔法の実技は二番だったよ。きっと一番は……」
「僕だ」
「やっぱり」
そうだと思った、と、またナディアは笑う。
そしてルッツに抱き着く。
最近知ったことだが、彼女は嬉しいとき、人に抱き着くクセがある。
彼女の抱擁にようやく慣れてきたルッツは、なんなくそれを受け止めた。
***
「ナディア、馬車来たよ」
「うん。今行く」
ルッツの声に返事をしながら、ナディアは後ろ手で制服の腰のリボンを結んだ。
白いシャツブラウスに、真新しい空色のジャンパースカートの制服は、マグウィザード新入生の証である。
これが高等部に入ると夜空色のブラウスになって、黒のジャンパースカートあるいはスラックス、という風になる。
そして卒業すれば、魔法使いの証として黒いローブに身を包む。
「……うん、多分大丈夫」
ナディアはそう呟いてスカートの裾を払い、四角い皮の鞄をひっさげて階段を下りていく。
玄関には、一足先に待っていたルッツの姿が見える。
多くの友人に囲まれながら、にこにこと笑っている横顔。
彼の淡い茶色の髪が風に揺れて、白いシャツに空色のスラックスがさわやかだ。
「おまたせ、ルッツ。行こう」
「やぁ、ナディア。制服、よく似合ってる」
「ルッツこそ。どこの王子様かと思った」
「……褒め過ぎだ」
ナディアが言うと、ルッツはその端正な顔を手に埋めてそう返してくる。
「油断した」などと呟いているが、今は別に気を張らずともよいはずであるが。
「本当にいいのか、僕も馬車に乗せてもらって」
「礼なら父に。それに、私はルッツがいたほうが心細くなくてありがたい。ここからアストランティアまでは、遠いから」
「そうか。じゃあ、ありがたく」
ルッツは律儀に頭を下げて馬車に乗り込んだ。
そしてさらりとその手を差し出してくる。
「先に荷物を寄こしてもらってもいいか。のせるよ」
「ありがとう」
ナディアがやっとの思いで運んでいた重たい鞄をルッツはなんなく持ち上げる。
表情すら変わらないので、渡した瞬間に荷物の中身が入れ替わったのではないかと疑いたくなるほどだ。
そして、その手はもう一度ナディアに向かって差し出される。
ナディアが見上げると、ルッツは不思議そうに首を傾げた。
「ほら、今度は君の手を寄こして、ナディア」
「う、ん」
差し出された手に触れる。
ぐいっと、強引ではない手つきに引き寄せられる。
「あり、がとう」
「どういたしまして」
ふわりと笑うルッツの顔を見た瞬間、ナディアの胸の奥に何かがすとんと落ちてくる。
ナディアはそれが何なのかわからず、首を傾げた。
「どうしたんだ。体調悪いのか? 出発の時間、遅らせてもらおうか」
「……へ!?」
ナディアの様子がおかしいことに気付いたのか、ルッツが顔を覗き込んでくる。
だが、ルッツの顔が目の前にあるほうが動悸がどんどん速くなっていくし、なんだか顔も熱いし、まっすぐに見れないし、ますます変な感じだ。
ナディアは慌てて胸の前で手を振った。
「いや、えっと、大丈夫、平気…… 」
「そうか……?」
上擦った声でなんとか返事をする。
ルッツの声はまだ訝しげだが、それ以上の追及はなかった。
よかった。
あれ以上顔が近づいていたら、ナディアの心臓はただでは済まなかったに違いない。
「あ、ほら見てナディア。みんなが手を振ってくれている」
「本当だ」
手を振る友人たちの中に、『ナディア、ルッツ、いってらっしゃい』と書かれた横断幕を見つける。
ナディアの顔はついほころんだ。
「あ、ルッツのお父さん」
「え、ほんとう?」
ルッツが嬉しそうに身を乗り出した。
彼が手を振ると、ルッツの父は柔らかく笑って手を振り返す。
ナディアは、自分の父母への挨拶をすでに済ませていた。
今は玄関ポーチで馬車を見守っている父と母に、こっそりと手を振る。
二人ともずっとナディアを心配し、受かった日には『よくがんばった』と労い、今日、こうして見送ってくれている。
あの夜以降、ナディアの見ていた世界は一変した。
ずっと愛されていたのだと、ナディアは思い知った。
自分には魔法だけだ、なんて。
あまりにも傲慢で幼く、他者を決めつけたような考えであったと。
父と母が泣いているのが見える。
友人たちも、みな、泣いている。
ああ、自分はずっと、こんなにもあたたかく、やわらかい場所にいたのだ。
そしてこれから自分は、うつくしくもつめたい場所へと行くのである。
自分の好きな自分でいるために。
馬車が走り出す。
故郷は少しずつ遠ざかって、やがて小さく、見えなくなっていく。
ハンカチが差し出された。
それは雪のようにまっしろい。
「使って」
「ありがとう」
ひんやりとしたそれで涙を拭う。
ハンカチからは、診療所の待合室のような、穏やかな薬草の香りがした。




