【閑話】 ある日の雪の湯
白い。
冬の朝日に照らされたスケートリンクは厳かで、まばゆく、どこまでも白い。
その景色を見て、依鈴は今日も息をつく。
「綺麗……今日も」
そう呟いて、依鈴はリンクに足を踏み入れる。
スケート靴のブレードが氷を削る音がする。星のささやきを集めたみたいな音だと依鈴はいつも思う。
スピードを上げていく。
周りの景色が後ろへ後ろへと流れていく。
冷たい風が頬を撫でる。
依鈴の体は、無意識のうちに自身のプログラムの振り付けをなぞっていた。
1、2、3……ここでターン、それから、右足をあげて……指で空をなぞる。愛しい人の頬に触れるように。
そして
「……ここでジャンプ」
かつん、とブレードの先端が氷をえぐる。
視界が回る。回る回る……
シャァっと音がして、着氷したブレードの後を追いかけるように星が舞う。
依鈴は今日も滑る。
こんなにもつめたく研ぎ澄まされた、純粋な美しさの上で。
***
朝のリンク練習を終えて『雪の湯』の引き戸を開けた依鈴を、優しい声が出迎えた。
「おかえり、依鈴さん」
番台に座る菫がこちらを向いて微笑んでいる。
菫は、依鈴の通う学校の同級生たちとたった四つしか変わらないはずなのに、彼らよりずっと大人びていて、いつも身軽だ。
人懐っこい笑顔に、依鈴の肩の荷は自然と下ろされる。
学生時代には男女問わず人に囲まれていたのだろうなと依鈴は勝手に想像している。
「ただいまです。女湯の掃除いってきます」
「今日は平気だよ。姉さんがさっき行ったから。気にせず、そこであったまりな。滑って帰って来たばかりなんだから。寒かったでしょう。おまんじゅう出そうか。……いや、たしか貰い物のおいしいエクレアが……あ、お茶入れるよ。ほら、座りな座りな」
「あ、いえ、あの……」
依鈴が言い終わる前に菫の手がさかさかと動いて、番台の裏の座卓の上にお茶とお菓子を置く。
鮮やかな青いお皿の上に、すました顔でのるエクレアがおしゃれだ。
「この皿こそわたくしに相応しい」と、エクレア自らが言わんばかりのおしゃれさである。
こういうセンスが、この人は本当にいい。
どこで培ってきたのですかと、依鈴は真剣に尋ねたい思いであった。
お茶はほっとあたたかなほうじ茶。
ただでさえ睡眠時間の短い依鈴を気遣って、ノンカフェインのものにしてくれているのだ。
先ほどまで、自身の飲むために緑茶の茶葉を取り出そうとしていたのに、である。
そして菫はそのすべてを決して自ら依鈴に言うことはない。
「ほんとうに……スマートな人だなぁ……」
そう呟くと、番台に座っていた菫がこちらをくるりと振り向いた。
そしてひょいと口にする。
「んー? なになに、俺を褒めてくれてるの?」
依鈴は努めて平静を装い、慌てて首を横に振る。
「あ、いえ、なんでもありません」
「さいですか」
心なしかしょんぼりとした顔で、しかし特に気にした風もなく。
菫はまた、こちらに背を向けた。
ぼんやりと、誰もいない休憩処を見つめている。
静かな空間で、テレビのニュースだけが、今日も雪であることを伝えている。




