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  【3】 ルッツ・アウセム1

 ルッツ・アウセムは迷っていた。

 目の前には、初等学校の同級生、ナディア・ナイトの家の扉がある。

 彼女に魔法学校への行き方を尋ねるために、この扉をノックするべきか、否か。迷っている。


 ルッツは父子家庭である。母はルッツが幼い頃に風邪をこじらせて死んだ。だからルッツは今、父の仕事に付いて行っていろんな土地を回っている。

 ルッツの父は薬師だ。いろんな土地を渡り歩き、薬師のいない村や町に滞在しては、病気の人やケガをした人の治療をする。ある時は海沿いの漁村、またある時は山奥の山村、大きな街に出向くこともあれば、地方の町に顔を出すこともある。薬師は身分証がわりに青服を着る。それを見て、人々は薬師が来たことを知るのである。診療所を開く薬師も多くいるけれど、父は往診を選んだ。

 この町に来たのも、父の往診場所の一つだったからだ。前に来たのは十年前だったと町のおじいさんが話してくれた。


 ルッツは最近、お金が欲しかった。ルッツの家は、薬師だがあまり裕福とは言えない。父が患者からお金を受け取ることがほとんどないからだ。たまに入ったお金も、稀少な薬の材料や、持ち歩くための清潔な水や包帯、ルッツの生活費に消えていることを知っていた。

 だからできるだけお金のかからない方法で職を得て、稼いだお金で父の仕事を支えたかった。


 この頃、ルッツは自分が魔法を使えることを知った。

 この世界の人間には魔法を使える者と使えない者がいる。前者後者に貴賤はない。遺伝や血統に関係なく、ランダムに生まれてくるからだ。身体構造にも違いはない、というのが長く薬師をやっている父の意見だった。

 ルミランタの現王は魔力持ちではないし、貴族にも魔法を使える人とそうでない人がいる。けれど貴族の力関係はそれに依存しない。それに、初等学校でみな魔法について多少学ぶので、頭のよさや体の丈夫さと同じような、ひとつの能力のようなものという認識が一般的だった。


 魔法が使える者には、魔法使いになるという道がある。さらに狭き門ではあるが、魔法学校に進んで資格を取れば、王立魔法研究所で魔法研究職に就ける。そうすれば、安全な上に給料もいい。


 初めて魔法を使った日、「マグウィザードにも受かるかもしれん」と冗談交じりに言った町長の言葉を頼りにいろいろ調べたり聞いたりしてみた。

 マグウィザードとは魔法学校のことだった。卒業と同時に王立魔法研究所職員の資格が取れる、中級高等一貫の全寮制の育成機関であるらしい。 筆記と実技の入学試験があり、成績が良ければ授業料も免除されると。


 行ってみたいと思った。幸いルッツは、魔法が使える者の中でも多少できるほうらしい。

 ルッツには魔力の流れが見えた。魔法陣の描き順をすべて覚えているわけじゃない。火魔法を使うなら、それ通り。水魔法を使うなら、それ通り。目に見える魔力の流れの通り、指でたどっているだけだ。

 薬師の父について回って、調合や手伝いをしていたから、多少計算が早く、物覚えもよかった。

 魔法を使うことは単純に好きだったし、好きなことでお金を稼げるのなら、それがいいなと思った。


 けれど、まわりの大人は誰も試験や学校の詳細を知らなかった。どうやって調べたらいいかも、どこに行けばいいかもわからない。

 ただし全員が口を揃えて言うには、「ナディア・ナイトに聞いてみろ」であった。




 朝。

 ルッツは父の往診に付いて、ナディアの家の隣まで来ていた。そわそわと落ち着かないルッツを見て、父は柔らかく笑って「行ってきなさい」と言ってくれた。


「……でも俺、やらかしたんだよなぁ」


 最初にナディアが受験すると聞いたとき、ルッツは天からの助けだと思った。彼女はこの町で実に三十年ぶりの受験者だったのだ。


 地方役人の娘ナディア・ナイトは、学校ではいつもじっと静かに書物を読んでいる。成績優秀で、品行方正。ふわふわとした紅茶色の髪は、いつも耳の下で柔らかく編まれ、小さな顔にはフレームの細い大きな丸メガネを掛けている。

 朝の教室では少し眠たそうにしていて、大きな丸メガネはよくずり落ちている。けれど、落ちたメガネを掛け直す仕草ひとつとっても、彼女は洗練されて、大人びて見えた。

 皆が仲良くなりたいと望んでいるけれど、どことなく流れる彼女の神秘的な雰囲気に躊躇して話しかけられない。そうしてみな、結局は遠巻きに彼女を眺めるだけという状態に落ち着いてしまうのだった。


 ルッツは、以前からナディア・ナイトと話をしてみたかった。特に魔法について。

 ナディアはきっと、魔法を心から愛しているから。何より、彼女は眼がいい。

 視力とは別の、何か特別なものを見出す眼。それは及びもつかない魔法と魔法とを結びつけ、新たな魔法さえも生み出してしまえそうな。

 ルッツは確信していた。魔力の流れは、彼女にもきっと見えているだろうと。


 ルッツは父を見て、人との接し方を覚えた。

 まずは遮らずに相手の話を聞くこと。相手の話から、相手の望む言葉を最初にかけること。褒めるときは嘘無く、心からの言葉を言うこと。

 どんな場所に行くときも、ルッツはこの方法でうまくやってきた。


 だからナディアともうまくやれるとばかり思っていた、

 マグウィザードの話をきっかけに仲良くなれたりして、なんて思ったりもした。

 けれどその目算は、他ならぬルッツ自身のせいで大きく外れることとなった。


 時折、ナディアが日影で魔法の練習をしているのを知っていた。

 あの日、ナディアが本を読んでいるのを、ルッツは見かけた。彼女は魔法書の、あるページを開き、くうにくるりと何かをかいていた。

 数え切れないほど魔法陣を描いてきたのだと、よくわかる。その視線は時折本へと注がれながら、指はくるくると、時折迷いながら見えない線をたどっていく。ルッツにも見える、魔力の流れる順番通り。

 魔力の流れ通りであれば、あれはおそらく……。そこまで見てルッツは自分の頬が緩んだのが分かった。高揚がルッツを包んでいた。

 あれは『ユーナの魔法陣』である。冒険小説『ピーターと空中都市セフィツルス』に出てくるヒロイン、ユーナが使う魔法陣だ。


 ナディアはくうに描きつけた魔法陣に、ふっと息を吹き込む。

 魔法陣からは、ピーターが表現するところの、『光を受けてきらきらと舞う星のかけら』が溢れていた。

 ナディアが魔法陣を描きつけたあたりに指を添え、なめらかに動かす。すると、その軌跡に沿って星が舞う。


「やっぱり『ささめ氷ディエステラダスト』だ」


 ルッツの声に、びくりとナディアが肩を震わせ、振り向いた。

 彼女の背後でディエステラダストの残滓が舞う。ナディアは光の粒を纏ってこちらを見ていた。ルッツは、まるでひとつの絵画を見ているような心地でそれを眺めた。


「『ユーナの魔法陣』だろ、ピーターシリーズの。俺もこの前、再現したくてやってみたんだ、他のだけど……あ、今描いてみるから」


 ルッツは慌ててくうに魔法陣を描きつけた。自分の部屋で試したときのこの魔法は会心の出来だったのだ。早くこの子に自分の魔法を見てもらいたかった。喜んでもらえると思っていた。きっと話が合うに違いないと。

 

「『極光オーロラ』……」


 描いている途中で、見えない線をなぞるルッツの指を見て、ナディアが呟いた。

 ルッツは通じたことが嬉しく、思わず頷いた。

 出来上がった魔法陣にふっと息を吹きかける。

 周囲がふっと真夜中のように暗くなる。ルッツは頭上を指さした。そこには……。


「『そこには、緑や紫に色を変えてはふしぎに翻る、光のカーテンがあった』」

 

 ナディアが呟く。『ピーターと空中都市セフィツルス』の一節だった。

 ルッツの浮かれようは尋常ではなかった。『ユーナの魔法陣』の魔法がどれだけ美しいか矢継ぎ早に話した。

 だから気づかなかった。


 ふとナディアの顔を見ると、彼女は唇をかみしめて泣いていた。

 女の子を泣かしたのは初めてだった。しかも、喜ばせようとしてやったことで。ルッツは言葉を失い、その場で立ち尽くすしかなかった。

 自分とナディアの間に透明な氷の壁が立ちはだかっているかのように、それは確かな拒絶であった。

 そのまま、ナディアは走り去った。


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