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第十一話:でたらめな噂と名前の交差

翌日


教室のドアに差し掛かった頃、中から男たちの声が聞こえてきた。


「なあ、聞いたか? 鈴木のやつ、またやらかしたらしいぜ」


「だからさ~いったい何回目だよ?これで」


「傷ついた女の子ばっか苦しむだけだよな~いや、それにしてもあいつ、あんなイケメンなのに、どうして女の子にあんな冷たくするのかよ?」


「ほんま。もし俺があんな顔だったら、学校中の女を口説きまくっていたのによ。アハハハ!!」


「こら、声下げろよ。女に聞こえてるじゃねえか。うわ、こっち見た。やべぇ…」


・・・


俺は足を止めた。


心の奥に黒い塊がこびりつく感覚。


他人の顔を勝手にネタにして。


俺が他人との接触を拒むのがあいつらと何の関係がある?


それに、俺は一度だって誰かを傷つけた覚えはない。


毎回、向こうから話しかけてきて、俺の反応がないから勝手に離れていくだけじゃねえか。

それがどうして俺のせいになる?


昨日だって同じだ。ただ「え…?」と口にしただけだ。


あの女生徒――みなもとはるかは、自分で慌てて出て行っただけだ。


まともに事情も知らないくせに、あんなふうに喋りまくってやがって。


・・・


俺はすぐにでも教室に乗り込んで、あいつらの顔面をぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、頭の中で踏みとどまった。


そんなことしたって、すでに広まった噂を止めることはできない。むしろ、もっと歪められた形で広がるだけ。


「チッ」


俺は何も聞かなかったふりをして、いつも通りの足取りで自分の席へ向かった。


「へぇー、この話、次はどうなるんですか?」


・・・


彼女が昨日言った言葉。


それは、普通俺に初めて話しかけてくる連中の言葉とは違っていた。


「何してるの?」とか、「お名前は?」とか、「お昼食べた?」とか、そんな当たり前の質問じゃない。


もちろん、初対面じゃなかったからというのもある。

けど、それより大事なのは――その内容だ。


彼女は、俺が書いている小説の“続き”を気にしていた。

それに興味を持つ人間は、これまで一人もいなかった。


しかも彼女は、俺の机の横に来るなり、すぐに話しかけてきた。

だとすれば、目にしたのはせいぜい一、二文のはず。


その短い時間で筋を把握するなんて、常識的に考えてほぼ不可能だ。

つまり、彼女が気にしたのは物語そのものというよりは――


「俺か」


それしかない。


三週間前、入学式の日に初めて会ったとき予感していたことが、現実になってしまった。

けど、三週間もかかったということは、計画的にやってきたと見るのは難しい。


ってことは、用があって俺の教室に来て、偶然俺を見かけて声をかけたってことだろう。


昨日、真田と話している様子を見て、もう友達もけっこうできたようだし。


――あの日の直感は、間違っていなかったのかもしれない。


「じゃ……じゃあ、鈴木くんって呼んでもいいですか?」


あのときの彼女の言葉が、ふと思い出された。

明らかに、俺との距離を縮めようとするもの。


もともと相手がタメ口でも敬語でも、呼び方がどうであれ、俺の気分さえ悪くなきゃ別にいい。

そもそも、相手がタメ口を使ったといって、俺もタメ口使ったりはしないから。


けれど、彼女はまず俺に許可を求めてきた。

そして、俺はそれを断った。


そんなに慎重な彼女が、偶然俺を見かけて、勇気を出して声をかけてきた。


俺のことをもっと知りたいって思ったから。

しかも、俺に負担をかけない範囲で。


もちろん、これはあくまで俺の想像にすぎない。


本当にそうなのかは、ちゃんと話してみなきゃわからないだろう。


だけど、一つだけ確かなことがある。


――彼女が本気だってこと。


俺は、人の機微ってものを分かる。


ああいうタイプの人間は、軽い気持ちで言葉を投げたりしない。


物語のことにせよ、俺のことにせよ、

どちらにしても、本気で知りたくて声をかけたのは明らかだ。


……なのに今――


その彼女の真心が、くだらない噂話の中で人の口に乗っている。


これは間違っている。絶対に間違っている。


まるで誰かの家庭の事情を聞いて、大勢の前で軽くばらしてネタにするのと同じだ。


とてつもなく浅はかで無責任な行為。

……そんな些細なことが、人の心を病ませる。


そこまで考えて、ようやく頭が冷えた。

……今は、もっと優先すべきことがある。


噂の内容からすれば、悪く言われているのは俺だけ

だが、もし女子の間で広まり始めたら……彼女まで対象になる可能性がある。


噂なんて、いつだって大げさに膨らむものだ。

そして、男は男を、女は女を悪く言うことが多い。


彼女の“真心”が他人の口に乗って弄ばれるだけじゃ足りんで、

何の罪もない彼女が罵られる?


そんなデタラメな話があるか。


こめかみの奥がずきりと痛んだ


耐えられねえ


頭の中で「これは間違っている」「決して止めなければいけない」という声が鳴り響く。


俺一人で罵られるのは構わない。いつだってそうだったから。

けど、彼女が傷つくのは……どうしても見過ごせる問題じゃなかった。


だから、これは俺がどうにかしなければならない。

そう思った。



三時間目が終わったあとの休み時間。


俺はまだ、噂を止める方法を見つけられずにいた。


このまま考えてるだけじゃ、何も変わらない。


そう思って、少し頭を冷やすために席を立ち、廊下へ出た。


ゆっくりと廊下を歩く。

相変わらず、考えはその場にとどまっていた。


そのとき――向こうから足音が聞こえてきた。

顔を上げると、見覚えのある姿があった。


彼女、みなもとはるかだった。

彼女は一人で歩いていた。


ふと、目が合う。

一瞬、彼女の瞳がわずかに大きくなり、すぐに顔をそらして視線を外した。


すれ違いざま、俺は振り返りながら声をかけた。


「あの、ちょっといいですか。」


俺一人で考えていても仕方がない。

実際、今のところこれといった収穫もなかったから。


ならば、当事者である彼女にこのことを伝えて、一緒に考える必要がある。


そう思った。


彼女はわずかに肩をすくめ、足を止めた。

そして、ゆっくりと振り返る。


「……あの、何かご用ですか?」


緊張の色がはっきりと浮かんでいたが、今の俺にはそれを気にする余裕はなかった。


俺はまっすぐ彼女の目を見て言った。


「大事な話があります。昼休みのあと、少し時間をいただけますか。」


「そ、その……ごめんなさい。お昼は先約があって…… えっと。。どんなお話なのか、少しだけでも聞かせてもらえますか?」


声は震えていた。

瞳も揺れていた。

それでも、彼女は俺から目を逸らさなかった。


「すみません。簡単に話せるものじゃないんで……。

お昼が駄目なら、放課後でも出来ますか。」


俺はその視線を受け止めたまま答えた。


「放課後…… 出来るんですけど、どこで話せば…」


彼女は視線を少し下げた。


「屋上はどうでしょうか。」


俺はポケットから右手を出し、軽く手のひらを上に向けて言った。


「屋上…ですか…? 一度も行ったことないんですけど、鍵閉まってないんですか?」


彼女は少し見上げながら聞いた。


「いえ、開いています。私がよく行ったりしますから。」


俺はゆっくりと手を下ろした。


「そう……ですか。わかりました。放課後、屋上に行きます。」


彼女は軽く拳を口もとに当ててから、元の姿勢に戻り、そう答えた。


「ありがとうございます。では、放課後に屋上で。」


俺はほんのわずかに口角を上げながらそう言った。


彼女の瞳が一瞬また大きく開き、すぐに俯いて歩き出した。


その姿が廊下から消えるのを、

俺はその場に立って、静かに見届けた。


残っているのは――


彼女に今の状況を正確に伝えること。

そして、どうにかしてこの噂を終わらせること。


その二つだけだ。


時間が早く過ぎるのを願いながら、

教室へ向かって歩き出した。



終礼が終わり、クラスの生徒たちは帰り支度を始めていた。


俺は、あえて女子たちの様子を観察していた。

もし誰かと目が合えば――その人間が噂を広めた本人だと見なして、声をかけるつもりだった。


だが、幸か不幸か、俺と視線を合わせる者は一人もいなかった。


楽観はできない。

けど、取り敢えず噂が女子の間までは広がっていないかもしれないっていう結論は出せそうだった。


俺は鞄を背にし、席から立って目的地の屋上へ向かった。


階段を登りきり、屋上へ続く扉を開ける。

左に顔を向けると、そこには――


みなもとはるかがいた。

外の景色を眺めているように、横向きに立っていた。


彼女は右に体を向け、俺を見た。

俺はゆっくりと歩み寄った。


「すみません。少し遅くなりました。」


軽く頭を下げてから顔を上げる。


「えっ? い、いえ! 私も来たばかりです!」


彼女は慌てて両手を振った。


「それなら、よかったです。」


俺は動揺を隠せない彼女の瞳をまっすぐ見つめながら言った。

彼女はすぐに姿勢を整えた。


「それで……大事な話って…何ですか?」


真剣な表情だった。

俺も同じように表情を引き締める。


「あなたと私に関する噂のこと、聞いたことありますか?」


「私と……あなたの噂、ですか? いいえ、何も聞いていません。

それって、悪い内容なんですか……?」


彼女は少し首をかしげ、真っすぐ俺を見た。


「そうですか。まだ聞いていない……ということは、あなたのクラスまでは届いていないようですね。」


頭の中で状況を整理する。

――そういえば、彼女のクラスはどこだろう。


「噂はまず、私がいるB組の中だけで広まっているようですね。ところで、あなたのクラスは?」


クラスを知れば、どこまで広がっているか予測できる。


「えっ、私は……D組です。」


彼女はわずかに肩を震わせながら答えた。


「D組、ですか。」


一拍置いて、俺は続けた。


「最悪の場合、B組を中心に、A組とその反対側のC組までは伝わっているかもしれませんね。」


小さくつぶやくように言い、頭の中で改めて整理する。


「あの……それより、その噂の内容って、いったい何なんですか?」


不安の色を帯びた瞳で、彼女は俺を見上げた。


「申し訳ありません。状況の整理に気を取られて、肝心な話が遅れてしまいました。」


軽く頭を下げてから、再び顔を上げる。


「昨日、あなたが私に声をかけて、私が顔を上げたら逃げた。

だからまた鈴木潤が女の子を傷つけた――という、くだらない噂です。」


淡々と、事実だけを伝えるように言った。


「えっ……そんな……。ごめんなさい、私のせいで……。」


彼女は顔を少し赤らめて俯いた。


「いえ、あなたのせいじゃないです。

誰かに声をかけること自体が間違いではないですから。

ただ、一つだけ聞きたかったんです。昨日、あなたは傷つけられましたか?

もしそうなら、それは私に責任があります。」


視線は落ちたまま。それでも、声は乱れなかった。


「えっ……傷つくなんて、そんなことありません!

昨日は……ただ、気づいたら声をかけていて……鐘が鳴った途端急に恥ずかしくなってつい…

あっ! い、今の、聞かなかったことにしてください!!」


言い訳しながら、慌てたようにまた顔を赤くして両手を振った。


――入学式のときと同じ表情だ。


無意識のうちに声をかけた、ということか。

やはり、計画的な行動ではなかった。


「素直に答えてくれて、ありがとうございます。おかげで少し気が楽になりました。」


そこまで思考を整理した俺は、感情を抑えながらも心を込めてそう言った。


「い、いえ! 原因をたどれば、私が声かけたのが問題だったから…

被害者はあなたですもの……」


彼女は慌てたように手を振り、声を小さくして俯き、視線を逸らした。


「加害者だの被害者だの、そういう段階はもう過ぎています。

くだらない噂が立った時点で、私もあなたも被害者なんですから。

当事者の二人が何とも思っていないのに、勝手に人の口に上る――

こんな状況、到底我慢できません。


だから考えていたんです。

どうすればこの噂を止められるか。

ちょうどあなたに会えたので、あなたと一緒に考えたかったです。」


ようやく、自分が彼女に話しかけた理由を口にする。


彼女は少し視線をずらし、目を丸くして俺の言葉を聞いていた。


「……そうだったん…ですね。」


小さな反応。でも、その声には確かな実感があった。

まだ驚きは残っているようだが。

――無理もない。俺だって他人にこんなに沢山喋ること、滅多にないから。


「噂の内容からすると、今のところ悪口を言われているのは私だけです。

でも、もし噂がこれ以上広まれば、あなたまで一緒に扱われて、悪口を言われる可能性もあります。

だから、このことを伝えて、一緒にどうすればいいか考えたいと思ったんです。」


俺は続けた。

昨日のあの言葉が、本気で俺に向けられたものだったから――

ただ、それを口にすることはなかった。


「……ありがとうございます。話してくれて」


しばらくして、彼女は考えを整理したようにそう答えた。


「たしかに、私とも関係がありますね……これは」


俯いたまま、小さな声でつぶやく。


「はい。一緒に考えたいんです。 一日中考えましたが、良い方法は浮かびませんでした。」


俺は静かに見守りながら、意見を求めた。


「実は……愛ちゃんっていう、クラスでも評判が良くて、友達も多い子がいるんです」


彼女はまだ俯いたままだったが、声には落ち着きが戻っていた。


「その愛ちゃんに、一度相談してみるのはどうでしょうか。

B組……あるいはA組やC組で噂を聞いた人に私とあなたの間に何の問題もなかったってことを伝えて噂を収めるんです。」


そう言いながら彼女は顔を上げ、まっすぐに俺を見つめた。


その内容は、俺が思っていたよりもずっと実践的で、現実的な解決策だった。


「……すごい」


思わずそう呟き、一拍置いてから続けた。


「たしかに、それは使えそうですね。」


感心を込めて言うと、彼女はわずかに表情を緩めた。


「じゃあ……愛ちゃんにこのこと、伝えてもいいですか?」


少し震える声でそう尋ねてきた。


「はい、お願いしてもらってもいいでしょうか?」


俺はわざと声を少し張って答えた。

自分の考えが間違っていないと、彼女に確信を与えたかった。


「……はい! じゃあ、愛ちゃんと話してみますね」


少し安心したように、彼女は力強く答え、瞳に光を戻した。


「分かりました。後で相談の結果を教えてください。それでは、失礼します。みなもとさん」


そう言って身を翻そうとした、その瞬間。


「私の名前……覚えててくれたんですか?」


驚いたように彼女は声を上げ、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「……はい。好きな名前なんで。――みなもとはるか。ですよね?」


少し柔らかい表情を浮かべながら、静かに答えた。


その言葉に、彼女の体が一瞬こわばり、そしてゆっくりと緩んでいった。


「……はい。私も覚えています。――すずきじゅんさん、ですよね?」


両手を下ろした彼女は、わずかに不安げな目でそう言った。


俺の名前を、覚えていた……?


思わずまばたきをして、喉の奥で唾を飲み込んだ。


「……覚えてくれてたんですね」


そう言いながら、彼女の目を真っすぐに見返した。


「……はい。忘れられませんでした」


彼女の瞳が一瞬大きく開かれ、すぐに元の穏やかさを取り戻したように見えた。


――俺も、忘れられなかった。

本気で変わりたいという願いを込めたあの独り言。

あれは、俺自身もかつて願っていたことだった。


彼女がなぜ俺の名前を忘れられなかったのかは分からない。

けれど……彼女なりの理由があるのだろう。


余計なことは聞かないことにした。


「では、今度こそ失礼します。後のことは、よろしくお願いします。」


もう言うべきことはなかった。そう言って、俺は屋上の扉へ向かって歩き出した。


そのとき――


「あ、あの!」


彼女の声が、俺を呼び止めた。

第十一話までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、鈴木潤の視点から、

“噂”という形で広がった誤解と、

それに向き合う彼の静かな決意を描きました。


誰かの名前を覚えているということ。

それは、ただの記憶ではなく、

その人の存在を大切に想うことなのかもしれません。


少しずつ積み重なっていく言葉と行動が、

やがて二人の関係を変えていく。

その始まりが、この第十一話だったように思います。


そして、まだ言葉にならない“想い”が、どんな風に見える形になっていくのか。


次回も、彼らの物語を見守っていただければ幸いです。


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