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第一話:見知らぬ本音、そして似てる気持ち

坂道を登り始めたのは、いつもより少し早い朝だった。


着たばかりの制服に身を包んだ生徒たちが、前を行ったり後ろを歩いたりしていた。


お互い知り合いかのように笑って挨拶するグループもいれば、同じクラスになりたいと、もじもじしながら声をかける人たちもいた。


誰も言わなくても、坂を登る生徒たちの空気だけで、今日が特別な日だと知ることができた。


——その空気全体が、静かに高揚していた。


そんな考えが浮かぶ朝だった。


それは、変なものじゃないはずだが——


期待したって、結局裏切られることになる。


だったら、最初から期待しない方がいい。


なんで俺は、こんなことばっか考えてるんだろう。


誰にも目立たないまま、ただ静かに一日が過ぎることを願っていた。


けど——


「もう高校生になったんだから、何か変わらないと!!」


俺の少し前を歩いていた誰かが、急に足を止めて、そんな独り言をかなり大きな声で口にした。


長い髪を低く結んだ人。風に髪が少し揺れ、彼女はやがて、ゆっくりと振り返って俺を見つめた。


「……え?」


その瞬間、モノクロだったこの世界に色が戻ってきたような気がした。


俺は立ち止まった。


何かを言いかけたような、そんな彼女の表情は、ほんの一瞬で変わっていった。


薄い笑みからぼーっとした表情へ、戸惑いを経て、最後にはすぐにでも泣き出しそうな顔に。


俺が黙って立っていると、彼女はその泣きそうな顔のまま、両手を虚空に軽く振って、慌てたように言った。


「そ、そんなつもりじゃなくって!」


焦った声だった。


「本当に、そういう意味じゃなくて、あの、ただ……おかしく聞こえたかもしれませんけど、そんなの絶対違って、だから—!」


言葉にすればするほど、言いたいことが歪んでしまう。


独り言を聞かれたことが、ここまで慌てるようなことなのかは、俺にはわからないが—


こんな人を見過ごしたら、天罰が下るんだろう。


そう考えた俺は珍しく頭より先に口が動いていた。


「思わず、独り言が出ちゃうことって、あるんですよね。私もたまに、そう言う時あります。」


すると彼女はそっと顔を上げて、少し震えた声で言った。


「あ……はい。ちょっと……緊張してて。それで、言葉が……勝手に出ちゃって。」


「どこの中学でしたか? 私は山下中だったんですが……」


「……私は、さ、榊中…」


「榊中? 名字が榊の校長が建てたって、皆がからかってたのを思い出しますね。」


その言葉に、彼女は泣きそうな顔のまま一瞬止まり、気まずそうに、ほんの少しだけ笑顔を作ろうとした。


けれど、すぐにその笑みを引っ込め、ちょっと震えた声で言った。


「……それ、私も聞いたことあります。」


そうしてしばらくの沈黙の後、彼女は静かに語り始めた。


「私……実はですね。自分を変えようとしました。」


「……実は、中学の時も友達はいて、それなりに楽しくやってたんです。でも、私があまりにも普通すぎて、どこにいてもあまり印象に残らないタイプだったみたいで……。」


彼女はそう言って、少しの間下を向き、やがて決心したように話し続けた。


「だから、これからは……ただ静かに過ごすだけじゃなくて、少しは勇気を出して、積極的にやっていこうと思って。」


そう言ってる彼女の目には、もう涙は見えなかった。


そして、彼女は深く息を吸い込んで──


「私、源春香みなもと はるかっていいます! あなたは?」


決意に満ちた表情で、名乗ってきた。


ここまで勇気を振り絞った人を、冷たく拒絶することはできないと考えた俺は──


鈴木潤すずき じゅんと申します。」

その勇気に応じて、名乗った。


彼女は一瞬、目を細め──密やかな笑みを浮かべた。

「じゃ……じゃあ、鈴木くんって呼んでもいいですか?」


意外な言葉に、わずかに息を呑む。だが、それ以上は表に出さず、ただ受け流すことにした。


俺は一歩下がって言った。


幾ら悪い人にはなりたくなかったとはいえ、近づきたい訳じゃなかったから。


「悪いけど、それは出来ません。私は友達を作らないって決めましたから。」


彼女の表情がハッキリと固まった。ついさっきまでようやく取り戻した笑顔が薄れていき、瞳が一瞬揺れた。


「え……友達を作らないって……」


彼女は小さくつぶやいた。信じられないような、どこか戸惑った声だった。


そんな小さな衝撃が、そのまま声に乗っていた。


——まあ、当然の反応だろう。


今まで何度も経験してきたことだ。


しかし、こんな瞬間、珍しくもないのに、不思議と胸のどこかが少しもやもやした。けれど——


「お前は、十分に明るい。だから、いくらでも変われるはずだ。」


俺は真剣な表情で、あえてタメ口でそう言った。

彼女は、今度は少し口を開けたまま、呆然とした顔になった。


俺は小さく笑い、すぐに表情を戻した。


「では、私はこれで。よい友達、たくさんできたらいいんですね。」


そう言い残し、俺は彼女に背を向け、再び坂道を上っていった。



みなもと 春香はるか


私はその場に呆然と立ち尽くしながら、彼が坂道を登っていく後ろ姿を見つめていた。

彼が残した言葉が、頭の中でずっと繰り返されていた。


「お前は、十分に明るい。だから、いくらでも変われるはずだ。」


とても短い言葉だったんだけど、どうしてか、簡単には忘れられなかった。


急にタメ口になって驚いたのもあったけど、それより、彼の瞳があまりにも真っ直ぐで、その言い方が強く印象に残ったから。


彼の表情は無感情に見えた。でも、その瞳だけは揺れることなく、まっすぐに私を見つめていた。


それに、距離を取りながら言った言葉にしては、冷たさは感じられなかった。

ただ事実をそっと目の前に落としているような、無感情な言い方だったけど、

だからこそ、その言葉が彼の本心とは違う何かを語っているように感じた。


最初、私がうろたえて泣きそうになったり、変な行動をしたりしても、

彼は一度も笑わなかった。

無理に落ち着かせようとすることもなく、

ただ自然に、声をかけてくれた。


あの一連の行動は、きっと私を安心させようと、意図的にしたことだったんだろう。


──ただ考えるだけじゃ、何も変わらない。

実際、中学三年の間、ずっと悩んでたんだけど、

結局、私は卒業まで変わることができなかったんだから。


だから、一度だけでもいいから、自分をごまかさずに、ちゃんと努力してみたいと思った。

彼は、そんな私を――


彼の言い方とは裏腹に、彼の本音は――


「優しい人……」


私の言葉や行動が少し変でも、すぐに決めつけたりせず、

私が真剣に話したことにも、簡単に肯定も否定もしなかった。

ただ黙って、まっすぐ私を見て、「お前なら出来る」と励ましてくれた人。


お姉ちゃんからもたくさん励ましはもらってきた。

でも、お姉ちゃんはこんなふうに淡々と自分の意見を口にするタイプじゃなかった。


だから、お姉ちゃんからもらった励ましとはまるで違う、

私にとっては初めての励ましだった。


私の事情を詳しく聞くこともなく、

私がどんな人だったのかを問いただすこともなかった。

多くを語ったわけでもないのに、

「変わりたい」という私の気持ちを、ちゃんと受け取ってくれた。


中学の頃、私はずっと「自分らしさ」がないことに悩んでいた。

でも、いざ自分を出そうとすると、

みんなに迷惑をかけて嫌われるんじゃないかって怖くなって、勇気が出せなかった。


それが悔しくて、高校ではもう一度勇気を出してみようって決めていたのに、

「私にできるのかな」って思い込んで、その気持ちから逃げたいと思った瞬間、

頭の中にあった言葉が口から飛び出してしまった。


そんな私を、まっすぐ見つめて、私すら信じられなかった自分のことを信じてくれた。


それだけで、ほんの少しだけど、救われた気がした。


もちろん、私は彼じゃないから、

彼が本当にそんな気持ちで言ったのかまでは分からない。


今私が考えたのは、全部私の思い込みで、ただ楽観的に考えようとする癖がまた出てしまったとしても…


少なくとも、胸の中が暖かくなったこの感じは嫌じゃなかった。


だから、今は、この気持ちを信じてみることにした。


「そして、もし私の考えが当たるんだとしたら――」


彼は、自分に嘘をついてる。


本当は優しいのに、

あんなにも自分と他人を分けようとして、

「友達を作らない」って言い切ってしまう。


言葉と心が、まるで正反対の方向を向いている。

だけど、それは――


「似てる……」


だって、私も、自分に嘘をついてるから。


本当は、寂しさから逃れたいくせに、

「存在感がない」「誰にも覚えてもらえない」と悩んで、

「自分だけの色を持ちたい」と何度も心で繰り返してる。


個性があれば、みんなが私を見てくれると思うから。


だから、彼を気の毒に思う資格なんて、私にはないはずなのに


同じ嘘つき同士だから、彼のことを、もっとよく分かったからかな。


胸の奥が、きゅうっと痛んだ。



鈴木潤すずき じゅん



後ろを振り返らずに坂を上りながらも、なぜか彼女の表情が何度も脳裏に浮かんだ。

少し前、名前を口にしたときのあの表情。

「笑った」とは言いにくいが、泣き顔からなんとか持ち直したような顔で、

ぎゅっと我慢したような笑みを見せる姿。


――俺の一言が、そうさせたのか。

それとも、たまたまだったのか。


分からない。


人は案外、何気ない言葉で慰めたり、

逆に、何気ない一言に深く傷つくこともあるから。


「……変な人だったな。」


言葉が漏れた。


坂の上から風が吹いて、シャツの裾を揺らしていった。


数歩前で立ち止まった彼女の背中、そして振り返った顔。


泣きそうなまま、ひどくうろたえて、言葉がまとまらない表情。


きっと、あの無邪気な顔のせいだったんだろう。


いずれにせよ、俺が彼女の独り言を聞いてしまった以上、責任を取るべきではある。

でも、ただ謝って通り過ぎることもできたはずなのに――


俺は、思わず彼女に声をかけてしまったから。


まるで、どこかで見覚えのある風景を、久しぶりに再び目にしたような感覚。

初めてなのに、妙に心に残る感覚。


その感覚が何なのかは分からない。

けれど、少なくとも不快なものではなかった。


「……めんどくさくなったな」


そう呟いて、再び口を閉じた。


友達なんて作らないって決めたのに、どうするつもりなんだ、俺は。

はっきり断ったとはいえ、彼女の性格ならもう一度話しかけてくるかもしれない。

わざわざ大声で独り言してまで自分を張り上げて気合を入れていたんだから、

そう簡単に諦められたりはしないはず。


「まあ、そのときはそのときか。」


まだ起きてもいないことを、今から悩む必要はない。


俺はふっと首を上げ空を見上げた。


透き通った空。雲一つなかった。


その光景に目を奪われて、ふと我に返る。するといつの間にか校門にたどり着いていた。

俺は静かに校内へと足を踏み入れた。


風は止み、前髪が額に張りついた。


俺はゆっくり息を吸い、吐いて、

もう一度、制服のシャツのボタンを指でなぞった。


今日一日も、ただ静かに過ぎることを祈った。……もしかすると、そうはならないかもしれないけど。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!




初対面の二人の心情を描くのはとても難しかったですが、


少しでも共感していただけたなら嬉しいです。




次回は、潤の視点から教室での出来事が描かれます。


引き続き、よろしくお願いします!

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