動き出した黒家②
次々と出てくる証拠に、全く身に覚えがない帝瓏湾は恐怖を覚え始めた。
確かに悪事に手を染めていたかと聞かれたら否定はできないが、あの黒家を敵に回す行為をするほど馬鹿ではない。だが、この紙に書かれた署名の筆跡は確かに自分の筆跡で、印も帝家のものであった。
「何で⋯これは黒家が仕組んだ罠だ!私は他国との繋がりなどない!」
瓏湾は必死に潔白を訴えるが、皆の目は冷たいままだ。
「証拠はたくさんあります。まだ“必要”ですか?」
黒麗南が恐怖で怯える瓏湾に視線を向け、含みのある言葉を放つ。
「⋯⋯。証拠がある以上は帝瓏湾を拘束する。他にも余罪があるかも知れない。徹底的に調べて朕に報告するように」
皇帝である黄龍飛の命令に、大理寺の特殊部隊“黒狼”が深く一礼して動き出した。この光景を信じられない思いで見ていた皇后は、黒麗南に詰め寄っていくが、どう足掻いても声が出ないので最終的には怒りに任せて手を上げようとした。
「やめんか!」
その手を掴んで捻りあげる龍飛。
皇后は痛みで膝から崩れ落ちたが、息子である第二皇子の龍麒はというと特に気にする事もなく、黒麗南と何やら話していた。
「皆は朕と共に龍護宮へ来てくれ。今後の話し合いがしたい」
皇后はやっと声が出たが、もう皇帝はいなくなっていた。残っているのは大理寺の者で、和解書の作成のため、皇后と共に大理寺にある執務室へ向かっていく。その間、皇后は怒りと惨めさと恥ずかしさから放心状態で、支えられてやっと動けるが、もう心身ともに弱っていた。
「絶対に許さない!紅麗蘭!!覚えてなさい!!」
地獄の底から発したような悍ましい声で叫ぶ皇后を、大理寺の者達は何とも言えない顔で見下ろすしかなかった。
『天ちゃん大失敗ーー!!』
白い子猫姿の天ちゃんが、小蘭に抱きついてゴロゴロと甘えている。だが、不吉な言葉を叫んでいるのが気になるところだ。
「天ちゃん、失敗って‥‥まさか黒家で何かやらかしたの?」
『天ちゃんは黒家に大人しくしてって言おうとしたにょ!でも‥‥』
そのまま黙ってしまった天ちゃんの口元が黒いことに気づいた小蘭は、何があったか大体想像がついた。
「天ちゃん!黒家に買収されたね!大福をたらふく食べたな!!」
『ぎく!天ちゃん知らなーーい!!』
「ぎく!ってもう!伯父上はもう皇宮にいるのかな?」
「うん、いるよ!凄く怒ってるよーー!!」
天ちゃんのざっくりな説明でも黒家が怒り心頭なのは伝わってくる小蘭は頭を抱えつつも、春惋と共に皇宮の正門の前まで歩いて来た。
「その血は目立つわね」
春惋が小蘭の首元に付いている血を見ながら周りを見渡した。通行人や門番が可憐な少女を興味深く見ていたが、その首元を見た瞬間にギョッとした顔をしている。ちなみに天ちゃんの声は小蘭と春惋にしか聞こえない。
「あら?春惋様?」
背後から女性の声が聞こえたので振り返る二人。するとそこには、気品ある美しい女性と小蘭くらいの美少女が立っていた。
「これは江夫人とお嬢様ではありませんか」
江家は、帝家と同じく長い歴史の上では名門にあたる。黒家の分家でもあり、繊維業を任されてからは反物以外にも衣服製作を請け負っている大商家だった。莫大な資産を持ち、貴族の中でもかなり地位が高い。
「ホホ、今日は麗美商会で買い物をしようと思っていましたの。まさか副会頭である春惋様にお会いできるなんて!」
「いつもありがとうございます」
春惋と楽しげに話している江夫人の横にいる美少女が小蘭を見て軽い悲鳴をあげた。
「きゃっ!その首の血はどうなさったんですか?」
「あ、腹を蹴られた‥‥」
本当の事を言おうとしたが、春惋が大きく咳払いして止めた。すると江夫人の方が、小蘭に気付いて値踏みするように上から下まで見ている。
「この方は‥?」
まだ若い娘が上級女官の赤い服を着ているのが珍しいので、江夫人は春惋に探りを入れ始めた。
「ああ、最近皇后付きの女官になった小蘭という者です」
春惋の説明を受けて、小蘭は深く一礼した。
「皇后様の?ずいぶん若いのに出世しましたわね?」
江夫人は笑顔で小蘭に話しかけるが、目は一切笑っていないのが分かる。
「皇后様付きの女官なら‥‥龍麒殿下を間近で見たことはある?話したことはあるの?殿下の訓練時間はいつ頃なの?」
頬を染めながら小蘭を質問攻めする美少女。
「ホホ、姜歌。女官に聞いても分からないわよ。殿下が相手にするわけがないもの」
嫌味ったらしい言い方で小蘭を小馬鹿にする江夫人。
「私は仕事に戻りますので、失礼致します」
小蘭は深く一礼してこの場を去ろうとした。
「待ってちょうだい。これをあげるからお願いを聞いて欲しいのよ。どうせお金に困ってるんでしょう?」
江夫人は袖から高そうな袋を取り出して小蘭に渡そうとしていた。見なくてもそれが大金だとわかり、顔色を変えたのは春惋だ。
「江夫人、それはまずいんではないでしょうか?もし皇后様にバレたらこの者が処分されます」
「あら、もっと必要かしら?」
空気が読めないの江夫人に、小蘭も春惋も苦笑いしか出てこない。何も言わない小蘭に詰め寄ろうとした江夫人だが、前方が騒がしくなったので視線を向けた。だが視線の先には信じられない人物がいた。気付いた通行人は急いで平伏し、門番は緊張気味に深く一礼している。
「ああ、ここにいたのか。話し合いをするから龍護宮へ向かうぞ」
緑光海が小蘭と春惋に説明する。そんな光景を見て江夫人と娘の姜歌は驚愕すると同時に急いで深く一礼した。まさかあまり姿を現さない麗美商会の会頭である緑州王に会えるとは思ってもいなかったが、さらにそこへすごい人物がやって来た。
「父上が待ってるぞ。かなり詰められてるから助けてやってくれ。俺じゃ全然ダメだった」
頭を抱えながらやって来た龍麒に、小蘭が小さく笑って頷いた。それを見た江夫人と姜歌は衝撃を受けていた。
「ん?知り合いか?」
龍麒に問われた小蘭が口を開いた瞬間に、強い力で押し退けられた。
「わたくしは小蘭の友人の江姜歌と申します」
綺麗な礼をして龍麒に微笑みかける姜歌。
「‥‥お前に友なんていたのか?」
龍麒が小蘭を見て首を傾げる。
「失礼な!いないけど!!」
小蘭の発言に吹き出す春惋。
「皇子に向かってなんて態度なの!!」
江夫人が小蘭に苦言を呈する。
「ああ、そうか皇子だったんだ。失礼しました」
「お前‥‥」
呆れる龍麒にごめん、ごめん!と言いながら肩を叩く小蘭に、江夫人と姜歌は驚愕しすぎて固まってしまう。
「俺の前でイチャイチャしないでくれ。殺意しか湧かなくなる」
「いやいや、皇子だから。殺意を向けちゃダメだから」
緑光海や黄龍麒と仲良く話している小蘭に、嫉妬の目を向ける姜歌。幼い頃から龍麒に憧れ、恋していた。自分の美貌に自信があり、家柄も良い姜歌は社交の場では有名であった。自信がある故に、今のこの状況が理解できずに苛立ちを隠せない。
龍麒や光海、それに春惋は、江夫人や姜歌を見ることなく、小蘭を囲んで楽しそうに話していた。
(あの子は何なの!?なぜ龍麒殿下とあんなに親しそうなのよ!!)
姜歌は嫉妬心を隠さず、そして突き刺さるような視線を小蘭へ向けていた。