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ただ焦がれ、墜落する


 今ある時が不確かだからこそ、人は想うのでしょう。

 今ある時が壊れやすいからこそ、人は願うのでしょう。

『君は、ここにいて』

『……いいの?』

『はい』

 今ある時が優しいから、人は恐れるのでしょう。

 今ある時が儚いからこそ、人は怖がるのでしょう。

『“――“、またひとりなんだ?』

『悪い?』

『別に。でも“――――“?』

『まかれたのですね、“――“様』

『――――独りで、いいから』

 瞼の裏、蘇るのは色褪せない日々。

 寂しい人が寄り添ってくれていた、ただそれだけの奇跡しかなかった在りし日の情景が胸を焦がす。

 幸せで、幸せで。それ以上を望んだことなどなかったのに。

 幾千万の彼方に置き去りにされた想いは胸の内に今も眠り、けれどそれを目覚めさせる人は永遠に失われてしまった。

 同じだと謳うには時が経ちすぎた。

 違うと言い切るには似すぎていた。

 神代の時を超えて再びめぐりだしたカルマ。その終着点を見届けるためにこの身が遣わされたのだとしたら、何とも皮肉なことだ。

 遙か高みを振り仰ぎ、頬を流れ伝い落ちる涙をそのままに少年は微笑んだ。

 思い出の中で、笑う人がいた。

 かつて身を焦がした叶わない恋が、まだ生きたいと叫んでいた。

 振り切るには色褪せていない思い出たちが、悠久の時を越えて再び灯ろうとする。

「酷い人、愛しい人、哀しい人。さようならの時がきたのかな」

 あなたを過去にするのは、怖いけれど。

「彼女を愛しても、いいのかな」

 そして、と。

 少年は目の前に佇む神を見据えた。

 深呼吸して、気持ちを切り替える。

「君を殺す時でもあるみたいだ。儚くも哀れな、狂い落ちた中立神。生き残ってしまった、死神よ」



        *******



 そうして、少年と神が対峙していた頃。

 とん、と学校の屋上に軽やかに舞い降りた青年は、僅かに焦げた服の裾を翻して憂いを帯びた眼差しを眼下に投じた。瞬間、世界が黄昏一色に塗り潰される。陰影や濃淡に違いはあれど、一瞬にして世界は他の色を失った。

 それを訝ることなく、青年は黄昏の色に手を伸ばした。遠い昔、微笑みながらそうしていた誰かの癖を真似してのことである。

 つきり。鈍い痛みが胸を刺した。

 長らく目にしていない笑顔を思い出すたび落ちる波紋が、色褪せない過去を切り裂き、心という揺り籠を揺らしている。

 空も大地も人も、何もかもが黄昏色に包まれた奇妙な世界を、青年は具に観察した。

 グラウンドには、生徒の影法師が伸びていた。青年の記憶に間違いがなければ、今は授業の間に設けられた短い休み時間だったはずだ。移動にかかる時間を考えると、遊べてもせいぜい五分が限界だろう。それにも関わらず、影法師の数は多かった。

 興味深さを覚えながらも、青年は一つ一つ影法師を注視した。豆粒程度のその中に、探し求めた面影を見出そうと目を凝らした。果たして、束の間の解放感に浮かされ、静寂を見失って賑わっていた地上に、探し求める姿はなかった。それが青年の落胆を誘う。

「―――姫」

 世界が色を失ったのは、青年の力によるものだ。人が影法師になり、微動だにしないのも青年の仕業だ。文字通り、時の流れを堰き止めたのである。

 例えるなら、留められた時は零れ落ちる先を見失った砂時計だ。堰で塞ぎ、本流を殺す。言うに容易く、行うに難しい。神の身であれば容易なことも、人の身では難易度が格段に跳ね上がる。

 いつか、青年は代償を支払うことになるだろう。時を止めるほど負債は積み重なり、容赦なく牙を剥き、因果応報と言う名の報いが青年の身を滅ぼすのだ。過ぎたる力を持って薄れた系譜に返り咲いたのを咎めるように。空っぽな心を憐れみながら、神罰として青年の身を貫くのだろう。

 それがわかっていても、青年は力を使わずにはいられなかった。

「姫。私の、姫」

 虚ろとさえ言える声で三度熱っぽく紡いだ青年は、穏やかに降り注ぐ午後の光に目を伏せた。

 輝く日々は、かつての時か、今か。それとも未来か。されどすべてを見るのを赦された者には幾つかの断片が断罪の刃のように思えてならない。

 贖罪を捧げる相手はとうに死に絶え、無限に廻る時空に魂の行方は要として見えず、禁忌と言う奇跡がなければもはや出逢うことも叶わない。

 遙かな昔。気の遠くなるような過去の日。

 それが主を裏切った罰だと、淡い花弁の中逝った人が青年を縛った。

 愛した声で、笑顔で、拒絶した。

 最後の最期、優しさを、未来を、約束してくれた。

 遠く、どこかで爆音が鳴り響いた。一度、二度、三度。人為的に生み出された聞き覚えのある音は、里でしか聞けないものだ。

 瞼を微かに震わせた青年はてのひらを空に向け、指を鳴らす。鋭い音が無音の屋上を満たした。

 目に見える作用は生じない。神の一族が見ていたとしても、彼が今何をしたのか当てられる者はいないだろう。特別な存在の姉妹でさえ、当てることはできない。

 青年は腕を下ろすと屋上を囲うフェンスに近づき手をかけた。その勢いを殺すことなく身を乗り出し頭から地上に向けて身を落とす。

 黄昏の色が弾け、青空が覗く。母なる大地が暖かみを取り戻す。人が影法師から人間へと蘇る。

 再び賑やかな声が響き出したそこに、青年の姿だけがなかった。

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