元婚約者の生き難さたるや
馬車から降りて真っ先に感じるのは四方八方から突き刺さる視線だった。若い女子の耳は聴力が衰えてない為に周囲の声がよく聞こえてしまう。皇太子殿下から婚約破棄された令嬢を揶揄する声が至る所から聞こえてくる⋯が、リリアは兎も角儂自体は婚約破棄された事に悔しさを感じていないのだ。我関せずの表情を貫き校門を潜り校舎へと入る。そのまま記憶だけを頼りに教室へと辿り着き扉を開けた所で、同じタイミングで扉を開け出て来た男を衝突してしまった。あんなに大口を叩き強気なリリア嬢と言えど身体はか弱いのか、ふらつき後方へと尻餅をついた儂の頭上に影が差し見上げればベルナールが此方を見下ろしていた。棒立ちのままリリアと分かった途端に露骨に眉を寄せ嫌悪感を示す男の姿に僅かな苛立ちを感じなから鞄を手に立ち上がってぱたぱたとスカートを叩く。お嬢様であれば此処で言う言葉があるのだろうが、咄嗟の事で思い付きもしない儂は「失礼」と言葉を紡ぐので一杯一杯でベルナールの返事も待たずして教室へと入る。大方婚約破棄の話が流れた後だろう、儂が入室した途端に教室中は静まり返り彼女と仲良くしていた筈の取り巻きすらも視線を合わせないというリリア嬢には酷な世界が広がっていた。
───とは言え、それは精神がリリアのままであった場合じゃ。中身が儂な以上、記憶の中で朧気に仲良くしていた級友など居て居ないようなもの。さして気にもせず授業を熟す。⋯しかし、こうして授業を受ける事で彼奴がこの身体を手放す前に勉学に励んでいた事がよく分かる。今日初めて学ぶであろう内容すらも脳は既に理解しているようだった。ベル様の妻に相応しい人間になる為に努力してきたと豪語するだけはある。⋯こんな健気な女を捨てた男が果たして有能な王となれるのかと毒付き掛けたが、こいつの性格を思い返して考えるのをやめた。
「リリア・アントワーヌ嬢。少し宜しいか?」
「⋯?はい⋯?」
本日分の授業は終わり、後は帰宅するだけと鞄を手に教室を出た所で声を掛けられる。振り返れば見ず知らずの男子生徒の姿。幾ら記憶を巡れどこの男の記憶が無い⋯リリアにとってどうでも良い人間だったのだろう。隣の教室の生徒だろうか。怪訝そうな視線を送り続ける儂に構わず男子生徒は態とらしい咳払いを一つしてみせた。
「すまないが今から校舎裏に来て貰えないだろうか?特別な話があるんだ。」
「校舎裏?此処では駄目なのか、⋯駄目ですか⋯?」
朝の出来事でこの身体のか弱さを知っている以上人気の無い所で男と二人きりになるのは気が引けてしまう。渋る儂を無視して男は食い気味に校舎裏で、と念押す。その勢いに気圧された儂は頷き、距離を置いて男に着いていく事しか出来なかった。それを眺める視線に気付く余裕すらもこの時の儂には無かった。