リリア・アントワーヌと書いて天邪鬼と呼ぶ
あれから怯え切っている使用人を宥めて身支度を済ませて貰った上で朝食は要らない、時間まで此処で休むと告げ退室して貰って漸く部屋には儂(リリア・アントワーヌの姿)とリリア・アントワーヌ(の魂)だけとなった。半透明である事以外は完璧に儂と瓜二つな彼女は品定めをする様に儂の全身を眺めながら唇を開く。
『こんなに美しい少女の姿なのに中身は老紳士だなんて、将来添い遂げる殿方はとんだハズレ籤を引いてしまうわね!』
けらけらと鈴が転がる様に笑う少女は儂の持つ記憶の中の少女の表情とは余りにも掛け離れていた。吹っ切れたと言うべきだろうか。公爵令嬢兼皇太子の婚約者という枷が外れたリリアの顔は年相応の幼いものであった。
「儂の記憶では気難しげな顔ばかりしていたが。そんな風に笑った方がいいんじゃないか。」
そんな老耄の感想にリリアは笑うのを止めて片手で自分の腕を抱き寄せ視線を落とした。
『⋯貴方も知っているでしょう?私はベル様⋯いえ、皇太子殿下の婚約者だったの。大口を開けて笑うだなんてみっともないし⋯そんな醜態を晒して嫌われたくもないわ。』
『───まあ、今となっては関係ないけれどね!貴方しか見ていないし、もう殿下の婚約者でもないもの!』
途端に表情を変え制服のスカートを翻し楽しげにくるくると回ってみせるリリアには先程の無邪気さはない。恐らく無理に道化を演じているのだろう。溜息を洩らす儂を見てリリアは動きを止めて再び近寄り赤く紅を引いた儂の唇に透けた人差し指を添えた。
『やっぱりこの紅は似合わないわよね、王妃様の好みに合わせていたのだけど私にはもっと淡い色でも良いと思うの。ねえ、落としてくれないかしら。布で拭うだけで良い、⋯いいえ、またアナを呼びましょ!ほら!呼鈴を鳴らして!』
アナ、というのは先程の使用人の事だろう。リリアに気圧され呼鈴を数回鳴らせば遠くから廊下を駆ける音がして───扉の前で息切れしているであろう女が扉を叩いた後に顔を覗かせる。
「おっ⋯お呼び、でしょうかぁ⋯リリア様⋯!」
三日三晩寝込んでいた儂の面よりも死にそうな顔をしたアナに居た堪れない気持ちになってしまう。そんな事もお嬢様には関係が無いのか、半透明のリリアはアナの周囲を浮遊して『あの化粧が気に入らないから直して欲しいの。』なんて聞こえもしないだろうに囁いている。
「あー⋯済まないが化粧を少し直してくれないか、じゃない⋯⋯直してくれないかしら?」
「へぇ!?た、大変申し訳ありません!気に入りませんでしたか⋯?」
「いや⋯ちょっとした気分転換だ⋯⋯から、謝る事はなく⋯てよ?」
慣れない女言葉を使う儂を見てリリアはまた馬鹿笑いをしている。良いからどう直すんだ、と顎で化粧台を指してから椅子に腰を掛けるとリリアが隣に並んで鏡台を指差す。
『そうねぇ⋯まずは目元かしら。全体的に化粧は薄くして目尻は跳ねさせないで欲しいの。吊り上がった目尻が余計目立ってしまうでしょう?それからチークもこっちの自然なやつにして!』
彼女の言葉を繰り返してアナに伝えるとあからさまに驚きつつも恐る恐る化粧を手直ししていく。それもそうだ、記憶の中のリリアは幼い頃から濃い化粧を好んでしていた。それは王妃様と呼ばれる人物への憧れからによるものだった為に拘りは強く、想像と違えば癇癪を起こして数多の使用人を泣かせていた程だった。だけど今はどうか。指示通りに作り変えられていくリリア嬢の顔は元の素材を活かしつつも優しげな雰囲気を与えるものであった。それを見たリリアは満足そうに頷くとアナの耳に唇を寄せる。
『すごく綺麗になった。アナは本当に化粧が上手ね、⋯いつも美しくしてくれてありがとう。心から感謝しているわ。』
そう言い儂の方へと向き直り人差し指を口元に当てた。どうやらこのお嬢様はとんでもない天邪鬼らしい。そんなリリアに儂は頷いて、
「すごく綺麗になった。アナは本当に化粧が上手ね、⋯いつも美しくしてくれてありがとう。心から感謝しているわ。」
そうアナに告げてやってから──────後悔した。羞恥心に打ちひしがれ喚くリリアは兎も角としてアナまでわんわん泣き出すとは夢にも思わないだろうが。