異国の令嬢、リリア・アントワーヌとの邂逅
家に帰って一晩、翌日に熱を出して寝込んで三日三晩の計丸三日と半日を使ってこの女の記憶をある程度辿る事が出来た。どうやら儂は黒髪の女──リリア・アントワーヌとして生きているらしい。この女はあの桃色の髪の少女、ミウに対し執拗且つ陰険な虐めを繰り返していた。理由は金髪の男⋯ベルナールが儂と婚約関係を結んでいるにも関わらずミウに入れ込んでいるからだった。
無駄に広いベッドを這い出て化粧台の前に立ち改めてリリアの姿を見る。あの日蘇った記憶の中で取り巻きの女の瞳孔に映る姿は我の強い女に見えたが、激昂していない状態のリリアの顔はとても美しいものだった。確かにあの男女もかなりの美貌を兼ね備えていたがそれに負けず劣らずの美しさだ。⋯気の強そうな印象は感じざるを得ないが、それでもこの容貌であれば相手など引く手数多だろう───そう思いかけて、止めた。この女⋯リリアはベルナールに恋をしていたのを儂は痛い程に知っていたからだ。そして恋を諦めた先の苦痛も儂は知っている。白く細い腕を上げて靱やかな指先で鏡面に触れた。鏡の中の女も同じ挙動をする事で儂はこの女なのだと再度実感する。何が起きても涙を零す事の無さそうな鋭い眼光。その眼が毎夜涙で濡れていた事も儂は知っている、何故なら儂はこの女として生を受けたのだから。ただ、一つ気掛かりはあるが。
「─────リッ、リリア様!お目覚めでしょうか?」
躊躇いがちに鳴らされたノックの音に続いて緊張に上擦った女の声がする。鏡面から扉へと視線を移して反射的に短く「どうぞ」と返せば扉の向こうから息を飲む音が聞こえる。⋯しまった、リリアは返事などしないんだった。時刻は朝の六時。元のリリアは眠りに就いている時間な上に起きていたとしても寝起きのリリアは非常に機嫌が悪いのだから。
「失礼します⋯」と怯えを隠さない声色で使用人と思われる女が顔を覗かせ入室し手早く制服を手に取る様子を横目に鏡台の前で棒立ちになる。理由は簡単───この金持ちのお嬢様にとって身支度は使用人にさせる事であるからだ。リリアは決して自分から動かないで人を動かす。それはミアに対する虐めでもそう。悲しいかな、あの男には見破られているようだが。そんな事を考えている間に使用人が一声掛けながら震える手を伸ばして寝間着を脱がせていくので儂は天を仰ぎ目を瞑った。今現在リリアとして生きているとは言え、嫁入り前の女子の裸を見るのは抵抗がある⋯いや、嫁入り後でも宜しくはない。███に不義な事など出来る訳が、
『っぷ!ふふっ…!なあに?死んだ後も前世の奥方の事を考えていらっしゃるの?今や貴方は見目麗しゅう公爵令嬢、リリア・アントワーヌですのに!』
「⋯⋯⋯え?」
「ヒィィィィッ!?た、たた、大変申し訳ありません⋯⋯!!!」
短く声を上げ両目を開けば青ざめた使用人が諸手を上げて数歩後退り何度も頭を下げている⋯⋯が、儂は虚空を見つめ続ける。何故か。そこには先程まで鏡の中でよく見ていた姿───リリア嬢が宙に浮いていたからだ。呆けているだろう儂の間抜け面と違い品良く、しかし艶やかな笑みを湛えた彼女は間違いなく儂の意識に流れ込んできた記憶の中のリリア・アントワーヌそのものだった。