表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

無用な糸切り鋏 〜愛されなかった聖女の選択〜

作者: 宮苑翼


 お姫様に憧れた。

 もちろん、本気でお姫様になりたいわけではない。

 子どもの憧れといったところか。愛らしい姿に、華やかなドレス。多くの人に愛されるお姫様は、幼心に魅力的に映った。

 絵本やアニメで見るお姫様はどれも可愛くて。こんな風になれたらいいな、って考えた。それだけのこと。


 大きくなって、そんな空想をすることもなくなったけれど。

 それでも、お姫様への憧れはあった。


 「ローラ、私が愛しているのは君だけだよ」

 「殿下……! 私も、あなただけをずっとお慕いしています」


 王城の隅、人気のない庭。外れに位置するこの場所は、人の立ち入りがほぼ無い場所だ。普段出入りするのは私くらいだろうか。


 一般人に過ぎなかった私には、覚えなければならないことが多すぎて。令嬢としてのマナーを叩きこまれる毎日だった。これも愛する人との未来のためと、歯を食いしばった数は数え切れない。

 そんな私にとって、人気のない庭は気分転換にピッタリな場所で、足繁く通っていた。


 それも、今日で終わりとなるだろう。


 「でも殿下、あなたはサクラ様と結ばれなければ」

 「ローラ……分かっているよ。国のために、君を諦めなければならないことは」


 それでも、自分の気持ちに嘘はつけない。そう告げる殿下に、ローラ嬢は涙を浮かべる。

 強く抱きしめ合う二人は、まるで映画のような美しさだ。

 

 愛し合う二人が、悲しくも引き裂かれる。それを憂う姿に、映画なら感動できたかもしれない。

 これが、映画だったなら。


 ゆっくりと足を下げ、背を向ける。かつての戦闘訓練が活きているのだろう。足音一つ立てず、私はその場を後にした。


 頭の中は真っ白で。それでも動く身体に笑いがこみ上げる。

 こんなときくらい、普通の女の子らしくいられれば良かったのに。


 極力足音を殺し、私は一人自室へ戻った。

 幸い、今日の予定は全て終わっている。あとは自習をするだけで、来客対応はない。

 侍女へしばらく一人にしてほしいと伝えると、彼女は微笑んで頷いた。日頃詰め込みすぎているからか、「たまにはゆっくりとお休みください」と気を遣われたほどだ。


 一人きりになった部屋で、私は床にうずくまる。


 あぁ、なんて馬鹿だったのだろう。愛する人との未来のため、なんて。そんなもの、彼は望んでいなかったのに。


 頬を温かな液体が滑り落ちる。とめどなく溢れるソレに、視界はいつの間にか歪んでいた。


 「……っ!」


 堪えきれない涙に反し、押し殺す声。泣き声一つ上げない自分に、冷静な頭が滑稽だと嘲笑う。


 この世界に来る前なら、当たり前に泣けただろう。声を堪えることもなく、みっともなく泣けたのだ。

 真っ白な頭で身体を動かすことも、声を押し殺して泣くことも、普通なら必要ない。


 この世界に来なければ、私は普通の女の子でいられたのだ。





 私は元々、この世界の人間ではなかった。違う世界の日本という国に生まれた、ごく普通の女子高生。それが私だ。


 そんな私が異なる世界へ来たのは、この国の人に召喚されたからだ。「国を救ってくれ」そんな願いに導かれ、私はこの地へ足を踏み入れた。


 魔族に狙われていたこの国は、聖女という存在を求めていた。魔族が嫌う、光魔法の使い手。それが聖女だ。

 この世界に光属性を使える人間はおらず、聖女は異世界から召喚するのが習わしらしい。


 常であれば自国の人間で防衛するのだが、ここ数年魔族の動きが活発化していた。騎士たちや一般の民にも被害が及ぶ状況となり、この国の王は聖女召喚を決めたらしい。

 そして召喚されたのが私、水瀬(みなせ)(さくら)だった。


 いきなり訳の分からない場所に連れてこられて、国を救ってくれと言われて。最初は酷く混乱した。家に帰して欲しいとも告げた。

 それでも、帰る方法は存在しないことを知り、私は愕然とするしかなかった。


 もう二度と、家族には会えない。友人にも会えないし、通い始めたばかりの高校にも行けない。

 私が一体何をしたというのだ。そんな気持ちでふさぎ込んでいたとき。私へ優しく接してくれたのが、この国の王子、クリストフ殿下だ。


 まずは話をしよう、そう言ってお茶に誘ってくれた。私の何気ない話を聞いてくれて、彼は楽しそうに微笑んでくれた。

 実際、興味深いことはあったのだろう。学校のことや、私が住んでいた場所のこと。彼はたくさん質問をした。それに答えているうちに、自然と肩の力が抜けたのを覚えている。


 そんな日々を続けて、一ヶ月ほどが経っただろうか。殿下がこの国のことを話してくれた。どれほどひどい状況下にあるのかを。

 その上で、頭を下げられた。どうか力を貸して欲しい、そう言って。


 そのときの私の驚きは言葉で表すことができない。一国の王子に頭を下げられるなど、まずありえないこと。ただの女子高生だった私には、荷が重すぎた。


 何とか頭を上げてもらい、協力を申し出た。

 ただの小娘に偉い人が頭を下げねばならぬ状態。どれほどひっ迫した状況なのかは、私でも分かった。このとき、どうせ帰れぬのならと腹をくくったのだ。


 「ありがとう」そう言って微笑んだ彼が美しくて、私はその微笑みに見惚れた。


 これが、初めてこの世界の人をまともに見た瞬間だったと思う。故郷への未練に、私はずっと現実から目を逸らしていたから。


 そうして始まった魔族討伐。

 とはいえ、いきなり敵陣に向かうことはできない。私は戦闘など出来やしないのだ。当然、訓練が必要だった。


 基本的な立ち回りから、光魔法の訓練。やるべきことは多岐に亘った。

 最初は、武器を持つことすら困難だった。扱い方も分からず、ただ重みに振り回される毎日。

 それでも何とか形になったのは、10ヶ月ほどの月日が経った頃だろうか。


 訓練がひと通り終わり、いざ旅立ちのとき。メンバーは王国騎士の精鋭と、王子。それに雇い入れた冒険者だった。

 冒険者の名前はクロード。肩下くらいまで伸ばされた黒髪に、親近感を覚えた。日本を思わせる色に、郷愁が湧いたのだ。


 「お前が聖女か? まだ子どもじゃねぇか」


 眉を顰めて言うクロードに、騎士たちが無礼だと咎める。私としては、苦笑するしかなかった。事実だからだ。

 そのときの私は16歳。日本でも未成年の歳。子どもと言われても仕方なかった。


 クロードはとても強く、旅慣れしていた。土地勘もあり、彼の機転に助けられたことは数え切れない。


 訓練したとはいえ、戦いに不慣れな私。最初の内は、敵に武器を構えることすらできなかった。

 そんな私を、叱り飛ばしたのはクロードだ。「死にたいのか」その一言は、私の胸を抉った。

 死にたくない。ただその一心で、私は敵へ武器を構える。魔力が集まり、光の刃が敵を襲った。


 初めて、命を奪った。


 その日の夜、周囲から少しだけ離れて、私は夜空を見上げていた。

 そんな私に、声をかけたのはクロードだった。背中合わせで座り、ゆっくりと口を開いた。

 「泣いていい」その言葉に、涙腺が緩んだのを覚えている。「怖いのは当たり前だ、相手だって生きているんだから」クロードの言葉は、的確に私の胸を打った。


 「命を奪うことは怖いことだ。それが分かるなら、お前は正常だよ」


 その言葉を最後に、私は泣き崩れた。きっと、声を上げて泣いたのはあれが最後だった。ただの子どものように、怖いと泣きじゃくったのだ。


 クロードは口こそ悪いが、決して悪人ではなかった。気がつけば、兄妹のような間柄になっていた。何度も叱られたけれど、こちらが態度の悪さを注意することもあった。


 クロードと喧嘩したり、クリストフ殿下と微笑み合ったり、みんなで火を囲んだり。辛いことも多い旅だったけれど、楽しいこともあった。

 

 そんな旅も、先月幕を閉じた。魔族の群れを倒し、拠点を叩いたのである。

 魔族自体はまだ世界中にいるけれど、国の安全は確保できるようになった。一度手痛くやられた国に、すぐに手を出すことはないだろう。聖女という抑止力もいる。その安堵からか、私たちの帰還に国を挙げてお祝いがなされた。


 祝いの場で明かされたのは、私とクリストフ殿下の婚姻だった。寝耳に水だったのでとても驚いたのを覚えている。

 

 この世界に来たばかりの頃、優しくしてくれたのは殿下だった。旅の間も、ずっと私を気にかけて優しくしてくれた。


 そんな彼に、私はいつの間にか恋に落ちていた。だからこそ、その発表は嬉しくて。好きな人と結ばれるのだと舞い上がる気持ちだった。


 殿下へ視線を送ると、彼は穏やかに微笑んでくれた。婚姻に異を唱えることもなかった。彼も同じ気持ちだったのだと、喜んだものだ。恐怖に立ち向かった末に掴んだ、運命の相手だと思えた。


 子どもだった私は、何も見えていなかったのだ。


 


 ――コツン



 何かが当たる音がして、顔を上げる。室内に異変はない。ドアのノック音ともまた違っていた。

 気のせいか? そう思うも、冷静な頭がそれを否定する。

 音が聞こえるのは部屋の奥、窓の方からだ。


 ゆっくりと立ち上がり、カーテンを開く。そこには、ここにいるはずのない人物がいた。


 「クロード!?」


 私は慌てて窓を開ける。彼が窓の外にしゃがみ込んでいたのだ。

 おそらく、周囲からバレないようにするためだ。男性が窓に立っていれば、さすがに目立ってしまう。

 

 理由は不明だが、王城へ忍び込むくらいだ。何かしら理由があるはず。

 褒められたことではないと知りながらも、私はクロードを部屋へ招き入れた。


 「やっぱり予想通りだったか」


 室内に入ったクロードは、開口一番そう呟いた。こちらが問い返す間もなく、彼の指が私の目元を拭う。

 それに、涙を拭き忘れていたことを思い出した。


 「だから言っただろう。王子様へ恋なんて、やめておけってな」

 「クロード……」


 彼の言葉に、私は唇を噛む。

 彼の言うとおりだ。彼はずっと、私に忠告していた。


 旅の間で、彼は私がクリストフ殿下に恋心を抱いていると気付いた。その際に言われたのだ。住む世界も価値観も、何もかも違う相手と幸せになれるのか、と。


 「馬鹿だな、お前は」


 クロードはそう言って、私の髪を梳いた。旅の間ですっかり慣れた行為に、私の涙腺が緩む。ぽたぽたと流れる涙は、あれほど泣いたというのにまだ涸れそうもない。


 「大方、公爵家のローラ嬢と仲良くしてるとこでも見たんだろ」

 「……知ってたの?」


 そう尋ねる私に、クロードは苦く笑う。あの二人は婚約者だったんだよ、そう言う彼はどこか言い難そうにしていた。


 「悪かったな。先に言ってやれなくて」

 「……いいの。だって、私のためでしょう」


 クロードが目を丸める。どうやら、私の返事に驚いているらしい。失礼な話だ。私だって、彼の良いところくらい知っている。


 「私がクリストフ殿下を好きだったから。だから黙っていてくれたんでしょう?」


 傷つくことになると分かっていたから、彼は口を閉ざしたのだ。

 それでも、こうして謝罪するのを見るに、相当悩んだのだろう。後で傷つくくらいならと、話そうとした日もあったのかもしれない。


 「分かってるよ。だって、仲間のことだもん」


 一年以上、共に旅をした仲間なのだ。その人の性格くらい、ちゃんと理解している。

 彼は皮肉屋で口も悪いけれど、人を傷つけるような人間ではない。誰かのために心を砕ける人なのだ。


 「本当に馬鹿だな、お前」

 「ちょ! なんてこと言うの!」


 こっちがフォローしたというのに! そんな気持ちで彼を見上げ、息をのんだ。彼が酷く傷ついたような、今にも泣き出しそうな顔で、こちらを見ていたからだ。


 「お前は子どもだったんだ。今だって、まだ子どもだ。大人になるには早すぎる」


 彼の手が私の肩に落ちる。そっと添えられた手は、いつもと変わらない頼りがいのある大きな手だ。


 「もっと怒って良かったんだ。勝手にこの世界へ連れてこられたんだろう。

 理不尽だって、戦いたくなんかないって、怖いんだって、言ってよかった。泣いたって、良かっただろ」


 彼の言葉に、私は唇を噛む。それはずっと、心の奥に隠していたこと。言いたくて、でも、口にしてはならなかった言葉だった。


 「もう良いんだ。お前はよくやった。

 怖い思いを抱えて、必死で戦って。戦場ではどれだけ怖くとも、涙一つこぼさなかった。本当なら、何一つ知らなくて良いことだったのに。

 逃がしてやれなくて、悪かった」


 彼の言葉の一つ一つが、私の心を溶かしていく。

 いつだってそうだった。彼は私を叱り飛ばしはするけれど、それは私の命を守るためで。本当は、私が戦わされる状況に、不快感を示していた。

 初めて会ったとき、私を見て眉を顰めたのはそれが理由だったのだろう。


 「このまま結婚して、王子妃になって。お前は幸せになれるのか? この国が望むままに生きて、幸せだと笑えるか?」


 その言葉が、引き金だった。

 ずっと目を逸らしてきたこと。殿下とローズ嬢のやり取りを見て、それでも考えないようにしていたこと。

 それが、彼の言葉に引きずり出される。


 「なれない……」


 声が震える。嗚咽の混じる声は、お世辞にも美しいとは言えなくて。涙を流すローズ嬢は美しかったのに、私との違いを思い知らされる。


 「し、あわせに、なんか……っ、なれないよ……!」


 恋した人は、私を想ってはくれなくて。愛した故郷には帰れなくて。ただ言われるままに、愛のない結婚をする。そんなの、幸せになれるはずがない。


 「わたし、いやだ。このままなんて、いやだよ……!」


 涙に邪魔され、言葉が詰まる。それでも、今だけは。全てを出し切ってしまいたかった。弱さも未熟さも認めてくれる、彼がいる今だけは。


 「なら逃げるぞ」


 彼の言葉に、私はぴたりと口を閉ざす。音としては聞き取れているのに、理解ができなかった。


 「逃げる……?」

 「そう、逃げるんだ」


 逃げるって、どこに? 私には帰る場所も、住む場所もないのに。そんな気持ちで彼を見上げる。

 視界の先には、真剣な彼の瞳があった。


 「場所なんかどこでもいい。国に定住しなければ、生きていけないわけじゃない。

 お前が望むなら、俺みたいに冒険者になればいい。幸か不幸か、技術は十分にある」


 魔族を打倒するため、戦闘技術は身につけた。旅に必要な知識だって、普通の女性よりはある。

 たしかに、冒険者として生きることもできるだろう。高望みさえしなければ、やっていける。


 「戦うことが嫌ならば、どこか遠い場所で自由に暮らせばいい。そこまで連れていってやるくらい、大した手間でもない」


 そう言うと、彼は私の両肩を緩くつかむ。腰を落とし、私と目線を合わせた。

 真剣な瞳とぶつかる。彼の瞳には、涙に濡れた私が映っていた。


 「選ぶんだ、自分で。

 今度こそ、自分の生きたい道を選べばいい」


 お前の人生だ。その言葉が、私の胸に突き刺さる。

 私の人生、そうだったはずなのに、いつの間にか自分で選べなくなっていた。


 もう、選んでいいのか。国のためとか、誰かのためでなく、私の人生を。降ってわいた幸運を待つのではなく、自分で幸せを掴んでいいのか。


 「私、」


 許されるならば、私は。


 「私、自分で選びたい」


 与えられた人生を進むのではなく、私自身の意志で。


 「どこで生きるのか、何をして生きるのか。……誰と、生きるのかも。自分で選びたい!」


 声に力がこもる。こんなにはっきりと自己主張したのは、いつぶりだろうか。

 じんわりと涙がこみ上げる。私、まだ選べるんだ。自分の道を、自分で。


 涙を拭い、前を向く。

 そこには、明るい顔で笑うクロードの姿があった。


 





 風が通り抜ける。海の上にいるからだろうか。潮の香りが鼻をくすぐる。

 雲一つない空の下、船は穏やかに海を渡っていた。


 「ここにいたのか」

 「クロード」


 背後から聞こえた声に振り返る。私の動きに合わせるように、髪が靡いた。軽くなった髪は、軽やかに風に舞っている。


 「おー、随分頭軽そうだな」

 「間違ってはないけど……髪が軽いって言えないの?」


 私が馬鹿みたいじゃない! そう抗議する私に、クロードはにやりと笑う。こういう皮肉屋なところが、彼らしいといえば彼らしいのだが。


 「髪型一つで随分印象が変わるもんだな」

 「まぁね。女の子って、そういうもんでしょ」


 背中まであった髪は、肩のラインで切り揃えられている。王城にいたときは、短くするのは認められなかった。髪が短いのは平民のみだとか。

 聖女として、王子妃として願われていたら、決してできない髪型だ。


 「後悔は無いか?」


 そう問いかける彼に、微笑んで頷く。後悔などない。だって、私は理解したから。

 

 「私ね、お姫様に憧れてたんだ」


 甲板の手すりに背を預ける。本のページをめくるように、記憶を辿りはじめた。


 「可愛くて、綺麗で、華やかなドレスを着て、多くの人に愛される。そんなお姫様に憧れていた。

 ううん、正確に言えばそう思っていた、かな」

 「そう思っていた?」


 繰り返す彼に、静かに頷く。私は、何も分かっていなかった。


 「でも、違った。現実はそうじゃなかった。どんなに綺麗な格好をしても、周囲に大切にされても、私幸せじゃなかったもの」


 王子妃になるからと、相応しい格好をさせてもらった。聖女として、多くの人が大切にしてくれた。王子妃に迎えるという発表も、ほとんどの人が好意的に受け取ってくれたのだ。

 それなのに、


 「全然、幸せじゃなかった。結局ね、私の想像するお姫様って、花嫁さんだったのよ」

 「花嫁?」

 「そう。国中から大切にされるお姫様じゃない。親しい人に祝福されて、たった一人の愛する人と歩いて行く。そんなお姫様。

 結婚式に華やかなドレスを着るでしょう? 子どもの頃さ、お姫様みたいだなって思ったのを覚えてる。

 私の望むお姫様は、そっちだったんだ」


 どれだけ周囲から大切にされても、たった一人、夫となる人に愛されなければ幸せじゃない。

 貴族からすれば何を馬鹿なことをと思うかもしれないが、私には無理だった。

 愛のない結婚が幸せだなんて、そんな価値観持っていないのだから。


 「結局、住む世界が違う。それだけのことだったんだよね。

 殿下はきっと、受け入れた。国のために愛する人と離れることを。切り裂かれそうな思いを抱えて、それでも認めたんだと思う。それが最善だって」


 けれど、私はそれができない。そんな教育など受けていないのだ。受け入れられないのは当然だった。


 「私は好きな人と結婚したいし、自分のことを愛してほしい。他の誰かが心の中にいるのは嫌だって思う。

 そもそもの話、向いてなかったんだね、貴族の暮らしというものに」


 慣れない習慣。身につけるべき教養や、立ち居振る舞い。彼の隣に立つからと必死で学んだけれど、それも意味がなかった。

 ただの付け焼き刃でしかなかった。根本的な価値観を理解できないままの、ハリボテだ。それが如実に現れたのが、今回の一件だろう。


 「だから後悔はしないよ。幸せになるために、私はこの道を選んだのだから」


 国を出たことは、少し申し訳ないけれど。

 そう言う私に、クロードはため息を吐く。がしがしと頭をかき、呆れたように口を開いた。


 「お前が謝ることじゃねぇ。子ども一人に全てを背負わせる方がどうかしている。

 魔族の群れも倒し、拠点も叩いたんだ。国の窮地は救っただろう。その上でまだ小娘に頼るのはおかしい。何のために庶民が税金払ってるんだっつー話だ」


 騎士でもなんでもいるだろ。そう言う彼に、くすりと笑う。

 彼はずっと、大人として私を守ろうとしてくれていた。未熟なまま戦場に立つ私を叱り、生きてあの国へ戻らせた。

 それだけじゃない。私が不幸になるとみるや、こうして手を貸してくれた。ちゃんと幸せになれと、背を叩いてくれるのだ。


 「間違えてたんだなぁ」

 「あ?」


 首を横に振って笑う。これを口にするのは、はばかられた。何でもないよ、そう言ってくるりと背を翻す。

 視線の先は、どこまでも続く青だ。


 恋する人を間違えた。それに尽きるのだ。殿下ではなく、もっと違う人ならば。価値観を同じくする人ならば、ぶつかり合いながらもやっていけただろう。

 住む世界が違う、価値観が違う。その大きさを痛感させられた。自分が何も分かっていなかったと知り、何だか笑えてくる。

 

 クロードの言うとおり、私はまだ子どもだったのだ。相手の立場も、価値観も、住む世界の差も、何も分からないお子様だった。


 「よし! これから頑張りますかー!」

 「お? 何かいきなりやる気だな?」


 空回りするなよ、そう言う彼は意地悪な笑みを浮かべている。それに「誰がするか!」と目を吊り上げて返した。

 

 数拍の間が空いて、二人で声を上げて笑う。まるで旅をしていた頃に戻ったようだ。何やかんやと言い合い、ふざけて笑う。

 ここにはもう、微笑んでくれた殿下はいないけれど。それで良い。それが良いのだ。


 「まずは美食の国、グランベルクに出発だね!」

 「色気より食い気とはこのことだな」


 食いすぎて太るなよ、と釘を刺すクロードに、私はぐっと息を詰まらせる。やけ食いに走ろうしたのがバレているようだ。


 「だ、大丈夫だよ。ほら、戦闘で体力使うし、旅するし?」

 「旅がダイエット感覚かお前は」


 全く、とため息を吐く彼に、頬をかいて笑う。失恋の痛みを消すには美味しいものだろう。初めての失恋だし、効果のほどは分からないけれど。


 「美味しいもの食べてー、旅をしてー、いつか運命の人に会えますよーに!」

 「運命の人ねぇ……たしか、赤い糸だったか?」


 かつて彼に話したことがある。運命の赤い糸についてだ。雑談のネタくらいに話したことだったけど、彼は覚えていたらしい。


 「そうだよ。運命の赤い糸! 本当にあったら素敵だよね」

 「お前、本当にそう言うところ子どもだよな」


 呆れたように言う彼は、どうやら信じていないらしい。かくいう私も、心から信じているわけではないが。

 しかし、普通口にはしないだろう。情緒というものがないのか、この男には。


 「クロードはモテなそうだよね」

 「ぁあ?」


 額に青筋を浮かべる彼を見て、私は「やばっ」と声を漏らす。これは面倒くさくなるパターンだ。対処法はただ一つ、逃げの一手である。


 「失礼しまーす!」

 「おい待てサクラ!」


 甲板を蹴って扉へ向かう。とりあえずほとぼり冷めるまで放置しよう。


 背を押すように吹く潮風に、私はゆっくりと口角を上げる。身軽だ。何にも縛られることのない、自由の身。どこへでも行ける、そんな気がした。


 船の遥か後方には、置いてきたあの国が見える。一歩足を踏み出せば、こんなに簡単に離れられる場所だった。


 だって、赤い糸は繋がっていない。糸切り鋏すら不要な関係だったのだから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] サクラさんに別の道を提示してくれる人がいてよかったです。たいてい聖女召喚は本人の意思は関係なく、いいように利用されてしまうから。 [気になる点] 好いてくれない王子との婚姻なんて、こっちか…
[良い点] 良かったです!どうみてもクロードの方がお似合いですよ。 [気になる点] 聖女が消えた国。立場が非常に悪くなりそうですね。血眼になってさがしそう
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ