とある王子の後悔④
この日以降、俺は色々と考えるようになった。
エステルの虐待は止める事が出来なかったのか、保護する事が出来なかったのか。何故幼い子供まで処刑となったのか。
そして、エステルの自殺は止められなかったのか。
誰も答えてくれない。
一人で考え続けた。
時間は去るように流れた。虚ろに流されるように俺は生きた。心に空いてしまった穴は塞がらない。
その間に新たな婚約者を宛がわれ、十六歳で婚姻し、子供を成し、三十歳手前で父が急逝し、王位を継ぐ事になった。
弟二人と王太后になった母が手伝ってくれたお蔭で、エステル亡きあとの衰退期の最後が乗り越えられた。
「父上」
茶髪の少年が近寄って来る。俺の息子だ。彼女の面差しはなく黒髪でもない。好きでも嫌いでもない貴族令嬢との間に出来た子供。最近は、俺の仕事も手伝わせている。
女神の生まれ変わりは今のところいない。だからか、息子の婚約者選びは実に楽だった。
エステルとの失敗を語り聞かせたからか、婚約者とは上手くやっている。俺とは大違いだ。
そして、何時からか。父に近づくなと厳命された霊廟に入ったのは。
エステルが去ってから実に五十年が経過し、母が過労で父のあとを追ったからか。
止めるものがいないと分かると、命を破ってしまいたいと言う、子供心が起きたからか。
深夜、霊廟に足を踏み入れ、俺の足は止まった。
「誰?」
霊廟に白い髪の知らない女らしきものがいた。年齢は十代後半ぐらいだが、『女らしきもの』と判断したのは、彼女の体が半分透けていたからだ。人ではないが、恐怖はない。では何なのか?
光のない瞳に、表情のない顔。誰かを彷彿させる女は、俺の顔をしばし見つめ小さく声を上げた。
「ああ。――エステルが去る要因になった子ね」
「え?」
久しぶりに他人から聞いた名に心臓が高鳴る。
女は首をこてんと傾げ、何故来たと尋ねて来た。
何故と言われても、答えはない。何となく、ここに来てしまったのだ。
そのままいうと、俺に興味を無くしたらしい。そうと、呟いて奥に去った。俺は慌ててあとを追いかけたが、幸いな事に霊廟はさして広くない。すぐに追いついた。
辿り着いた場所に安置されていた棺は周囲のものよりも新しかった。棺の名札に『エステル』と刻まれており、視認した瞬間、息を飲んだ。
最期にすら立ち会う事の出来なかった、彼女の名があると言う事は、この中で眠っている。棺に近づいて、蓋に手をかけると女がポツリと呟く。
「この子はもうここにはいないわ」
「いない?」
女の言葉に、オウム返しで問う。亡骸を納める棺が在るのに、何故いないと言うのか。
「この子の魂は、別の世界に旅立った。そして、『家族からだけ愛されない』という人生を延々と繰り返している」
意味が分からない。
別の世界に旅立った? 人生を繰り返している? それも、家族から『だけ』愛されないって、どういう事だ?
「この子は歴代の生まれ変わりの中でも特別。終わらない転生の旅をしている。どこの世界に生まれ変わっても、本当に欲しいものだけは与えられない」
何だ、それは?
疑問に回答はなく、女の懺悔のような独り言は続く。
「あの日、引き留めたの。でも、『もう嫌だ。誰も話を聞いてくれない。皆、私を悪者にする。皆、人間じゃないって暴力を振るう。気味悪がるくせに、死ねとか言うくせに、国の為に生きろとか訳分かんない。これ以上こんなところに居たくない』って言った」
女は屈んで、棺の名札に刻まれた名を指でなぞっている。
「あの子の言葉を聞いて考えたの。ここに眠りに来た子は、皆泣いていた。あの子なら大丈夫かなって思ったけど、駄目だった」
悪い事をしちゃったと、呟いている。声音から嘆いているようにも感じる。
だが、俺はエステルの本心を聞き、無意識に拳を握っていた。
『よく話し合え』
父が言っていた事を守っていれば、俺は助けられたのかもしれない。
でも、都合よく嘘泣きする加害者だった妹の発言だけを信じ、助けを求めていたエステルを切り捨てた。
「くそっ」
何が衰退期を乗り越えた偉大な王だ。
嘘を信じて、婚約者を死に追いやった、拒まれ失わなければ、大事なものが何か分からない男――それが俺なのに。
そこまで考えて、何故心の空いた穴が埋まらないのかが分かった。
俺にとって、エステルが大事だったのだ。
だから、婚約が白紙になった時、会いに行ってしまったのだ。
たったそれだけに気づくのに、俺は一体どれだけの時間をかけたのか。
「俺は、何をやっているんだ」
やり直したい。過去に戻れるのなら、もう一度会えるのなら、どんな代償を払ってでも。
「ねぇ、貴方はエステルにもう一度会えるのなら、会いたい?」
こちらを眺めていた女は、徐にそんな事を聞いて来た。
「会いたい。やり直せるのならやり直したい」
考えるまでもない。俺は即答した。
女は少し考えるようにこちらをしばしこちらを見つめ、考えがまとまったのか、口を開いた。
「そう。なら、私のお願い聞いてくれる?」
お願い? 何だろうと内心で首を傾げ、そう言えばと疑問が浮かぶ。
この女は一体誰何だろう?
やけに歴代の生まれ変わり達について詳しい。俺の事を『エステルが去る要因になった子』と呼んだ。
この女はエステルを引き留めたと言った。何故引き留めた――いや、一体いつどうやって引き留めた?
まじまじと『誰かを彷彿させる』女の顔を見つめ、誰を彷彿させるのかと考え――女の正体に行きついた。
「まさか――『輪環の女神』なのか」
輪環の女神は、初代国王が建国時に契約した運命の女神の名前だ。
女は何も言わずにただ微笑んだ。
正解、と言う事なのだろうが、俺は顔から血の気が引いた気がした。
この国は、女神の気まぐれで保たれている。
故に、不興を買ってはならないのだが――この国は何度も、女神の生まれ変わりを自殺に追い込んでいる。
だが、女神はこの国を見捨てない。理由は分からない。
「返事を聞かせて」
僅かに首を傾げて、再び女神は問うた。
翌朝、霊廟で起きた事を王妃に語った。
「私は反対致します。エステル嬢は『二度と陛下のお顔を見なくても済むところに逝く』とそう言ったと聞いております。彼女に嫌われている陛下の謝罪は、ただの自己満足に過ぎません。仮に謝罪出来たとしても、彼女は受け取らないでしょう」
王妃に反対された。
「先王陛下が何故急逝されたかご存じないのですか?」
王妃の言葉に心臓が跳ねた。
父の死に理由がある? 母は病死としか言わず、最期にも立ち会えなかった。
「先王陛下は、エステル嬢の死に関連する責任として女神に命を差し出し、国に繋ぎ止めたからです」
王妃の言葉を聞き、一瞬だけ、心臓が止まったような気がした。
――俺は、エステルとその家族だけでなく、己の父まで死に追いやったのか。
知らなかった事実に全身の体温が消えて行くような感覚を覚え、目の前が真っ暗になる。
言うだけ言って王妃は去った。
俺を突き放す様は、彼女に似ているようで似ていなかった。
その後、何時も通りに仕事をこなすが、心ここにあらずで、何をやったか覚えていない。
気づけば夕方で、食事を取っても味が感じられず、寝静まった深夜になると足は自然と霊廟に向かっていた。足を踏み入れた霊廟で、二度と会えない少女の名が彫られた名札に触れる。
――俺は一体どれ程の人間を死に追いやったのだろうか。
エステルとその家族。父と母。衰退期には守るべき民も死に追いやった。ここで、全てを捨ててエステルに会いに行く為だけに去る事は出来ない。父にも母にも顔向け出来ないし、エステルは心の底から俺の事を軽蔑するだろう。
今は去れない。けれども、死んだあとなら?
「それが答え?」
前触れなく背後から響いた声に慌てて振り返った。
振返った先には、昨晩と同じように女神がいた。女神は俺の心が読めるのか、再度どうなのかと問うて来た。返す答えは『肯定』だ。
我ながら我が儘だと思う。会って謝ったって、俺の自己満足だ。
でも、会って謝りたい。
「そう。分かったわ」
こうして俺は、死後に女神の伝言役を引き受けた。当然、王妃や息子には話していない。
十数年後に訪れた老衰で、息子に看取られて、俺は死んだ。
死ぬ瞬間は眠りに落ちるような感覚だった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
あともう一話、投稿して一度ストップです。