最後の仕上げと別れ
地図が手元に無いので分からなかったが、思っていた以上に北側で戦闘を行っていた模様。山を駆けての移動では、思っていた以上の時間が掛かりそうだ。空を飛んで移動する。空路に変えたのに、結構な距離を移動した。これだけ南へ移動したのなら、気づけないと言える距離だ。赤灰山の山肌に沿って降りる頃になると、東の空が僅かに白んでいた。道中で魔族に遭遇しなかった事から、この辺り(この大陸と言うべきか?)の魔族は全て殲滅したと見て良いだろう。
ベロニカ曰く、洞穴の付近の地崩れが起きると魔族が出現する。十日に一度の頻度で発生する地崩れが最後に起きたのは、九日前。つまり、今を逃すと再び上位の魔族が出現する可能性が有る。
洞穴を上から臨める場所に到着すると同時に眼下を見る。
――地面に空いた巨大な穴。水を湛えた湖のように、瘴気を湛えた穴の名が『瘴気の洞穴』だ。
雲で月が隠された、光源の乏しい夜であるにも関わらず、眼下の洞からはガスが噴出するように、濁り腐った空気のような瘴気が溢れ出ている。
一度で消滅させなければキリがない。繰り返すが、出現した全ての魔族を斃した今を逃せば、次の機会は何時になるか。下手をすると永遠に来ないかも知れない。
使用する魔法を考え、共に眼下を覗き見る三人に声をかける。
「ロン、ベネディクト。魔力譲渡で幾らか貰ってもいい?」
「いいよ」
「構いませんが、それだけで足りますか?」
「無理」
ベネディクトの問いに即答する。魔力が増えただけでは無理。
「クラウス。強化を頼んでもいい?」
「武曲を多重掛けするけど、耐え切れるかい?」
「……大丈夫だと思う」
「重ね掛けは星虹にするか。」
クラウスの問いに少し考えてから答える。
武曲は魔法強化、破軍は身体強化、星虹は全能力強化と分かれている。今必要な強化は、魔法と魔力制御をメインとする知覚だ。
目を閉じて深呼吸を一つ。ここからは極度の集中力が要求される。
「行くよ」
開始の声をかけると、クラウスが行使する魔力譲渡の魔法でロンとベネディクトから魔力が流れ込んで来る。
「階に足をかけ、虹を踏み越えよ。更なる高みに至りて星を掴め――星虹・十連掛け」
流入が止まると、今度はクラウスから強化魔法を掛けられる。息を吐きながら知覚を強化拡張させる魔法――天魁を己に掛ける。
胸の前で両手を組み、目を閉じ集中を始める。霊力の封印完全解除。霊力と魔力を混ぜるように練り上げ、炎属性魔法『青天十五発分』を構築し重力魔法で圧縮。
「くっ」
未だかつて、扱った事のない魔力量の制御に頭痛がする。熱で思考に靄が掛かる。唇を噛み締める。痛みで思考の靄が晴れる。
要した時間は一分強。だが、体感で感じた時間はその数倍以上。知覚の強化状態なので思考速度が速くなった結果だ。
組んでいた両手を放し、片手を頭上に掲げれば、巨大な炎の塊が出現する。青い炎である青天が霊力で黄金に染まっている。その色と肌で感じる熱量から、小さな太陽のようにも見える。恵みの太陽ではなく、瘴気を焼き尽くす太陽だが。
最後の仕上げを行おう。
「――武曲、青天」
魔法を強化する武曲を掛け、眼下に向かって放つ。
霊力が注ぎ込まれ、金色に染まった青天が瘴気を焼き払って行く。陽の光が闇を払うようで神秘的な光景だった。
「――っ」
魔力・霊力共に全て使い切るようにしたからか、双方の枯渇で体が傾ぎかける。気にしていなかったが、霊力で金に染まっていた髪も黒く醒めて行く。
霊力の封印を己の意思で完全に解いたのはこれが初めて。普段は一割程度も使わない。全力を出すと、ここまで疲労感に襲われるのか。
息を吐いて、残滓のように宙を舞う金の粒子をぼんやりと見る。
――永い間、欲しかったもので形作られた黄金。
――手に入らない程美しく感じると聞くが、確かにそうだと納得出来る輝きだ。
手を伸ばしても、粒子を掴む事は出来ない。触れた瞬間に溶けて行く。
まるで、お前が求めているものは手からすり抜けてしまうものだと、主張しているようで。
掴めなかった己の掌を見る。
――遠い昔と比べて、変わり果てた手。転生の旅が始まる前は、剣ダコばかりの手ではなかった。己以外の命を切り裂いて血に塗れた手でもない。
永い旅で、かつての自分では考えられない程に、変わってしまった。
変わらないのは、両親や兄弟姉妹――生まれた家の、家族との関係。
何故自分は与えられた家族を求めたのか。何故己の手で作った家族を求めなかったのか。
遠い昔。転生の旅が始まる前。
自分は『要らなくなった子』だった。何をやっても『やって当然』だから、要る子として扱って貰えず、雑な扱いをずっと受けていた。必要とされる子になりたくて頑張ったけど、どれもこれも無駄に終わった。
母の再婚でそれは悪化した。
年の離れた異父妹が出来て、扱いは悪くなる一方。兄はいたが長男だから大事にされていた。
我慢しろ。出来て当然。後回しでいい。調子に乗るから何が出来ても褒めない。話は聞かない。相談もしてくれない。何を言っても忘れられる。何を成しても『この程度で喜ぶな』と怒られる。お前には無理だと否定される。お前の為だと怒られる。何が自分の為なのか聞いても自分で考えろと怒られる。
完全に負のループだった。
心は荒んで、人付き合いが嫌になり、引き籠って独りでいるのが楽になった。出不精と怒る癖に、出掛けると何処に行ったか教えろと怒る。会話は減った。顔も見たくない声も聴きたくないと思う日があった。自殺は何度も考えた。失敗しない方法は何だろうと考えた。何もかもが嫌になる。でも遺書を書いている内に『もう一度、もう少し』と心が覚めてしまう。家を出ようとは思った。でも、出たら二度と会わないんだろうと感じた。
何をしても中途半端な自分に嫌気が差した。
毎日我が儘を言う義父と異父妹。それを叶える忙しい母。距離を取る兄と祖父母。
騒がしくて煩くて。暴言を吐き、文句しか言わない義父。文句を言いつつ叶える母。そこに付け込む異父妹。苦言を呈すれば逆に母に怒られる始末。
同じ家に住んでいるのに、バラバラな家庭。
周りの家に住む人達はこんな状況になっていないのに。どうして自分の家族はこんなの何だろう。
それが続いたある日。アレが届いた。そして、あの事件が起きて招集された。
誰にも相談せず、家出をするように家を出た。だからか、祖母から教わった菊理の名の由来は覚えているけど、母からの教えは何一つ覚えていない。
転生の旅が始まったと知った時、漫画の世界の出来事を体験出来ると思うよりも先に『手に入るかも』と思った。
仲の良い両親がいて、自分は必要とされる子で、何処にでもいそうな『ありふれた円満な家庭』に巡り合えると。
でも、現実が無情で一度も手に入らなかった。
長い間『何故』と考えた。回数を重ねて行くにつれ、諦めが混じるようになった。
そして、今世で原因が判明した。
粒子になった霊力。いや、違うな。粒子になる程に『対価を得た』霊力が正しいか。
少し前の、この世界で初めて魔族を討ち終えた時の会話を思い出す。
クラウスが妙な違和感を覚えていた。あれは、自分の霊力が前以上に強くなっていると無意識に差を感じ取ったから。
転生した回数だけ、家族が与えられなかったのだから、霊力が回数に比例して強くなるのはある意味当然と言える。
旅が始まって直ぐに霊力が得られなかったのは『縁』と言う目に見えない曖昧なものだったからか。それは不明だ。
顔を上げると全ての粒子が消えていた。
感傷は終わりだと告げられているようで、やるせなさを感じてため息を吐いた。
「終わったんだね」
眼下を覗き込んでいたロンがぽつりと呟く。
瘴気が噴出していた洞は、ただの空洞となっている。改めて瘴気が噴出する前兆もなければ、魔族が潜んでいるような気配も皆無。
それらが確認出来ると、『本当に終わった』と実感する。今後を考えると、とてもではないが喜べない。
「エス、テル……」
背後から響いた声に、もう振り返らない。この世界で自分を『エステル』と呼ぶ男は一人だけ。護衛の神殿騎士どもを置いて来たんだろうけど、合わせる顔はもうない。近くにいたんだなとしか思わない。
「――行こうか」
呼びかけを無視して出立を提案する。三人も『これ以上ここにいない方が良い』と感じ取っているのか、何も言わずに頷いた。
「待て、待ってくれ。俺は、俺はっ……」
背後から届く縋り付く声に思った疑問をそのまま口にする。
「先に拒んで捨てたのに、どうして捨てられたと分かると縋り付いて来るの?」
「っ!?」
息を呑んだか。声は止まった。
何となく間繋ぎとして空を見上げる。慌ただしかったからか、時間を気にする余裕がなかったからか、空が白み始めていて『もうこんな時間か』と呆れてしまう。
時は黎明。朝と夜の間。朝が来て夜の帳が上がり、夢から覚める時間帯。
「縋り付かれるのは嫌がる癖に、捨てられると縋り付いて喚くとか、迷惑以外の何物でもない」
「……」
返って来る言葉はない。自分は二度もこの男を拒んだ。
一度目は遠い過去の別世界。
二度目は数日前のこの世界。
三度目が今。
「やり直す? 無理に決まっているでしょ。何も始まっていないし、始まる事もない。何より、人を生贄にしようと企んだ野郎の息子とか願い下げよ」
後半部分は関係ないように思えるが事実。入れ替わっていたとは言え、こいつの父親のせいで危うく生贄にされかけたのだ。恨み辛みは残る。
「例え神の手で再び繋がれた運命だとしても、この手で切って拒むだけ」
疲労感が強まるが霊視を発動させ、自分と彼の間に結ばれた糸がないか調べる。
かの世界の輪環の女神は『運命に干渉する権能』を保有していた。
――やはり、在ったか。
己の両手を見ると、左の小指に糸が絡まっている。色が赤なのは、そう言う方向で繋げようと考える女神の意思の表れか。それとも繋ぎ易くする為か。
小さく息を吐き、糸を引き千切る。簡単に切れたが、再度繋がろうと糸が動いたので指の糸を燃やす。
『ごめんなさい。巻き込んで』
糸が燃え尽きると同時に、脳裏に女性の声が響いた。恐らくは輪環の女神のものだろう。
――謝るのなら、巻き込まないで。
かつて女神に言ったかは覚えてないが、何となくその言葉が浮かんだ。
霊視を解除すると立ち眩みが起きた。目頭を揉んでから空を見上げる。日は登り始め、夜の闇が減っている。
「あたしはエステルじゃない。エステルとは名乗らないし、名乗る事はない」
未だに過去の名で自分を呼ぶこの男の中では、幼い姿で死に別れたままの自分が残っているのだろう。
でも、その自分はもうどこにもいない。
いい加減それを理解して欲しい。
「その顔を見なくて済むところに行ったのに、何で顔を見せに来るのよ」
顔も見たくない。そう言って死に別れをしたのに、女神の思惑で再び出会った。本当にいい迷惑だ。女神からすると伝言を預けた程度なんだろうけど。
「謝りたいって思うのなら、もう二度と会いに来ないで」
目に染みる青い空の下、もう一度決別の言葉を告げる。
夜明けに言う言葉ではないが、今告げるべきだと思ったのだ。日が昇るのは、新たな一日が始まるも同然。
彼にはこのタイミングを以って、過去と決別して欲しい。
エステルとトビアスの縁は遠い昔に切れている。未練がましくいつまでも執着しないで欲しい。
それに今の自分と縁が有るのは、ベネディクト、ロン、クラウスの三人だけ。自分と同じ旅をする彼ら以外の縁はこの世界にはないのだ。
三人を見ると笑みが返って来る。
「行こうっ!」「行こうか」「行きましょう」
異口同音に出発を促して来る。
返す言葉はただ一つ。
「うん。出発だ」
ロンに手を引かれて歩き、少し離れたところで歩くベネディクトとクラウスが微笑ましそうにこちらを見る。
長く疲れた夜の戦いはこうして終わりを告げた。
失ったものは確かに在るけど、その帳尻合わせは自分で行わないと意味が無い。
どうやって帳尻を合わせるかは方法は決まっていないが、今は前に進むしかない。
一つの真実を知り、終わりに近付けているのかと考えてしまうが、今は考えなくてもいいだろう。
『取り敢えず』や『一応』が付いてしまうが、全てが終わったのだ。暫しの間、達成感に浸るのも悪くはない。
決別の朝。
互いに新たな一日を迎えて、別の道を歩く。
止まらない時の流れに取り残されない為には歩き続けるしかないのだ。
だから、二度と道が交わらないとしても、突き放すようだが彼にも己の道を立って歩いて欲しい。誰かが決めた運命に縋り付かないで欲しい。
自分も何度も折れたけど、そのままでいられず、進み続けないと後悔は感じないし、感傷に浸る事すら出来なかった。
進み続けて全てを失って、それでも進み続けて僅かに得た。
全くもって、矛盾しているとしか言いようがない。
この矛盾した道がこれからも続く。
当面の間は四人で行動となるから多少は気が楽だけど、何時かはこの世界から去らなければならない。
何時か起きる未来は頭の片隅に追いやり、再会出来た幸運を今日も噛み締めた。
この一件以降、自分達四人は別の大陸に渡った。
ザカライアから物理的に離れる事が最大の目的。
自分を聖女として祭り上げようと企む輩はまだ多く存在する。教皇が崩御し混乱の最中に在るザカライアでは、代理戦争さながらの陰険悪辣な政争が日々行われ、宗教都市国家としての機能が完全に停止している。
指名されていた後継者はまだ二十歳にもなっていない青年。誰もが青年を無視して新しい教皇を擁立しようと躍起になっている。
合わせて、サントリナ王国でも騒動が起きている。
ザカライアを傀儡にしていた事実を知った大公の先王弟が、政権奪取を目的としたクーデターを起こし、国内は内紛さながらの様相と化した。現在、大公派と王家派で、国が二つに割れる見込みだ。
ザカライアの国家代理政争とサントリナ王国のクーデターの余波で、物価上昇、治安の悪化、情勢不安などが発生し、その影響を各国に与えている。人間最大の脅威は、やっぱり同じ人間らしい。
海を渡った別大陸にまで、情報が届く程の大事と化している。
状況の鎮静化には最低でも数十年を要するとクラウスが予測していた。ベネディクトも同意見だったので、それぐらいの時間が必要となるだろう。
新たな大陸で送る平穏な日々。当たり前に感じる日常のありがたみを感じる。
この世界から何時去るかはまだ決まっていない。いや、正確にはその話し合いすらしていない。
何時かは話題に上るだろうけど、それはまだ遠い未来の話で。
出逢えた幸運、笑い合える幸せを、手放すのは早過ぎる。かと言っていつまでも浸っているのも悪い。
何事も程々に。この程々がもう一度逢いたいと前に進む活力になる。
――例え、どんな地獄の底に叩き落されても、這い上がる気力と成るのだ。
Fin
ここまでお読み頂きありがとうございます。
これにて、本編完結です。
長かった、終わらせるのが難しかった、その感想ばかりです。
本編は終わりましたが、読み直して修正しながら、とあるキャラの過去話を投稿します。間が空くと思いますが、こちらもほぼ書き上がっているので修正に時間が掛かる程度だと思います。