プロローグ 山田安彦
勇者一行は世界を救うため、魔王に戦いを挑む。ラストダンジョンを満身創痍で突破し、最後の部屋に辿り着くと、魔王は椅子の上に座っていた。どす黒いオーラを放ち、ひとりで勇者一行を待ち受けていたのだ。
「貴様らはここで死ぬ運命だ」
魔王の手が光った瞬間、即死魔法が放たれる。光の閃光は真っ直ぐと白魔道師に直撃し、一瞬で戦闘不能と化す。パーティーメンバーは残り3人。勇者、格闘師、黒魔道師は、倒れた仲間を見て戦慄を覚える。今までの中ボスなどとは比べ物にならないほど強大な力を持つ敵だ。3人は各々の武器を力強く握り、渾身の必殺技を繰り出す。
「ファイアーブレイク!」
「究極奥義……獅子拳乱舞!」
「メテオブリザード!」
高レベルアタッカーの必殺技を受け、ラスボスのHPは3分の1まで減少する。しかしながら魔王はまだまだ余裕がありそうだ。ターンが相手に入れ替わる度に次々と即死魔法を唱えられ、気が付けば勇者以外は床を這っていた。勇者のMPは残り僅か。必殺技はもちろん低級回復魔法すら使えない。アイテムも底をつき、まさに絶対絶命の状態だ。
「最後まで俺は……諦めない」
これまでの旅で出会った人、そして倒れていった仲間達のためにも、勇者は勢いよく魔王に飛びかかり、ジャスティスソードをお見舞いする。
だが。
なんなく防御され、まともダメージを与えられず、カウンターを食らって即死。勇者一行は全滅を余儀なくされた。魔王は椅子に座ったまま、腹の底から高笑いの連続。
「ハハハハ! これでワシの邪魔をする者がいなくなったわ!」
勇者は床に這いつくばったまま歯ぎしりし、悔し涙を浮かべていた。地面に敷かれた赤いカーペットの上が涙で滲む。
「みんなごめん……世界の平和を守れなかったよ」
カツンカツンカツン。
大理石を踏む音が魔王の高笑いをかき消す。魔王の手下は勇者一行が倒し、部屋の中にはもう誰もいない筈だ。さらに勇者達も瀕死を負って誰ひとり立てない。
「誰だ?」
足音の方向を見ると、柱の側から黒い影が伸びていた。その影は明らかに人間の形をしている。
「どーもどーも勝手にお邪魔してスミマセン。貴方達の熱いバトルを見学していたら、心が刺激されて興奮しちゃいましたよ」
男は魔王を目の前にして臆することなく、背筋よく歩きながら拍手を送っていた。彼は見慣れぬ黒い服に身を包んでいるが、恐らくは近くに住む村人だろう。勇者は彼に警告すべく、僅かな力を振り絞り、声を出す。
「逃げて……ください。はやく……」
見上げると、黒服の男は笑みを浮かべていた。やたら細い目で此方を見つめている。
「お気遣いどーもです」
そう言って男は何事もなかったかのように歩き続け、魔王と対面していた。
「虫ケラを相手する暇はない」
魔王の指先から劫火が放たれ、男は炎に包まれた。残虐な行為を目の当たりにし、勇者達は己の無力さを痛感した。
「え……」
すると白魔道師が横で驚いた表情を見せたまま、燃え上がる肉体に視線を向けていた。勇者が再び前を向くと、その先に男は立っていた。炎に包まれたまま倒れることもなく、魔王の攻撃を受けきったのだ。
「貴様、何者だ!」
これには魔王も驚きを隠せず、大声で唾を撒き散らしていた。
「私、山田安彦と申します」
男が魔王に向かって一礼する。その間に炎は消えていた。
「ヤマダ・ヤスヒコ……? 聞き覚えのない名だ。ジョブは何だ?」
「リーマンです」
両手に掌サイズの紙切れを持ち、頭を下げたままその紙を魔王に差し出している。あまりにも異様な光景だ。これには魔王も痺れを切らしたようで、玉座から立ち上り、紙を払い除けていた。
「このワシを小馬鹿にしおって! 絶対許さん!」
魔王の指先から即死魔法が連発。その全てを、リーマンと名乗る男は避けもせず、頭を下げた姿勢をキープし続けていた。
「信じらねえ、一発も当たらないぞ」
口をポカンと開けた格闘師が、リーマンの恐るべき回避テクニックに驚嘆する。格闘師の優れた視力には、音速の動きすら容易に捉えられる。しかし、彼の目をもってしてもリーマンの動きを完全には把握しきれない。
破壊力抜群の即死魔法は城内のあらゆる場所にぶち当たり、地響きと轟音が鳴り響く。やがて魔王は肩で大きく息をしながら、無尽蔵のMPを枯渇させていた。
「ハァハァ……ありえない……命中率99%を誇るワシの魔法が……1回も当たらないなんて、そんな筈は!」
ようやくリーマンが顔を上げると、呼吸が乱れる魔王に対して満面の笑みを向けた。そして、ポケットの中に紙切れを戻し、肩に乗った埃を払い除ける。
「今のはホイミですか?」
リーマンの発言を受けて、顔を真っ赤に染める魔王。
「どこの世界に敵に回復魔法を撃つアホがいるんだ! ワシが放ったのは全部即死魔法じゃ!」
魔王は明らかに動揺していた。今まで何度も奴と対峙してきた勇者一行だが、あんなに取り乱す魔王の姿を見たことがない。
「それなら良かったです。一発でも当たってたら私死んでましたね」
「ええい! 何が目的だ貴様。さっさと要件言ってワシの城から出ていけ!」
「今日はただ挨拶しに来ただけです。しかしながら先程、貴方に息を吹きかけられた時に大切な勝負スーツが焼けてしまいました。なので弁償お願いします」
「なんでワシが貴様の装備品を弁償せにゃならんのだ!」
「それはそうと魔王さん。あなた怪我してるじゃありませんか。私が治してあげますよ。覚えたばかりの回復魔法ですが、少しは効果があると思います」
リーマンは気を使っているのか、回復魔法を唱えるために直接魔王の肩に右手を乗せた。その瞬間、魔王は金色の光に包まれ、9999の大ダメージを受けていた。最上位の魔法を浴びせられた魔王はそのまま昇天し、仰向けになって倒れた。
「すみません大丈夫ですか」
リーマンが鞄の中から数本エリクサーを取り出すと、あろうことか魔王の口に全部突っ込んだ。すると魔王はエリクサーを喉に詰まらせ、白目を剥いたままむせ返る。
「きひゃま、わひぃを殺す気ふぁ!」
「どうやら間違えて攻撃魔法を唱えたみたいですね。すみません、もう一度やらせてください」
息も絶え絶えの魔王に再び手が乗せられた。その瞬間、魔王の体は若い頃の姿に戻り、筋肉隆々で着ていた服が弾け飛ぶ。顔つきも良くなり、髪もフサフサだ。魔王は自身の分厚い手を見つめながら何度も手を開いたり閉じたりを繰り返していた。
「フハハハハ!! まさかこの俺を若返らせた挙げ句、全盛期の状態に回復させるとはな! 己の馬鹿さ加減を悔やみながら死ねえええ!」
拳がリーマンに振りかかる。その一撃は格闘師のパンチを彷彿とさせる物だった。さすがのリーマンも避けきれず、顔面にモロ浴び。その場に立ち尽くしたまま微動だにしない。
「山田さん!」
勇者一行が声を絞り出す。だが声援虚しく、リーマンは膝をついて倒れた。地面に敷かれた赤いカーペットの上で天井を見上げ、唇をワナワナと震わせている。どうやら魔王の圧倒的な一撃を前にして戦意を喪失し、体から力が抜けているようだ。
「さっきまでの威勢はどうした? 貴様ほどの男がもう終わりか?」
万事休すか。そう思って絶望の淵に立たされる勇者であったが、突如として城内で男の声が響いた。顔を上げると、リーマンが涙を流し、ハンカチで顔を拭いているのだ。
「あの方が私の顔に止まっていた虫を退治してくださった!」
何事かと思ってリーマンの周囲を見渡すと、そこにはLEVEL86の殺人蝿がアイテムを落として倒れていた。恐らく、城内でエンカウントしてしまった虫モンスターが、リーマンの顔に貼り付いていたのだろう。魔王はそれを知らずと、モンスターを叩きのめしてしまった。
「命拾いしたようだが次はそうもいかんぞ。俺の拳からは絶対逃げられない」
リーマンは嬉し涙で視界がボヤけているのか、手探りの状態で鞄を探していた。ところが手に取ったのは、先程のモンスターが落としたアイテムだった。それは、なんの効果も付いていない鞭だ。手数は多いが威力は少なく、勇者一行は誰ひとりとして装備していない代物。しかし、それを手にした途端、リーマンの表情が変わった。
「……俺にぴったりの道具だな」
その場で鞭を叩くと地面が割れた。リーマンはまるで人格が変わったかのように、不適な笑みを浮かべ、鞭を左右に振り回しながら魔王の元へと接近する。
「どうした? まるで別人のようだが」
「俺は昔から鞭を持つと人が変わるらしい。自覚はないがな」
その場で連鎖攻撃が始まる。鞭の衝撃が魔王の鍛え抜かれた筋肉に浴びせられ、9999のダメージが連続で与えられる。全盛期魔王の底なしHPが瞬く間に減っていく。やがて魔王は力尽き、轟音と共に床へ倒れ込む。
「……やった」
世界の脅威が取り除かれ歓喜する勇者だったが、その考えは甘かった。リーマンはあろうことか、武器に対して回復魔法を付呪。魔王の躯に鞭を浴びせると、9999のダメージと9999の回復が同時に襲いかかる。
「ウオオオオオ!」
魔王は生死をさまよう。断末魔を上げながら死に、断末魔を上げながら蘇っているのだ。
「改心しろと誓え」
「か、改心します! これからは心を入れ換えて善に尽くすと誓いますううう!」
鬼畜リーマンの問いかけに、魔王は我を忘れて雄叫びを上げていた。
「俺のスーツを弁償すると言え」
あまりにも壮絶な攻撃に、魔王の体が萎んでいく。勇者一行とラストバトルを繰り広げた時よりもらさらに老けこみ、背中が曲がっているではないか。
「弁償致します! 爺が責任をもって弁償致します!」
魔王はプライドをかなぐり捨て、勇者一行よりも深く地面に這いつくばり、土下座を繰り返す。
「二度と俺や勇者達に手を出すなよ。お前みたいなクソ弱ジジイを虐めるのは好きじゃない。俺が興味あるのは強い奴だけだから、これ以上お前ごときに鞭を使いたくない」
そう言って、リーマンは鞄の中に鞭を入れると、勇者一行にペコリと頭を下げ、ニコやかな顔で去っていく。それを見た勇者達は渾身の力をこめて立ち上り、彼の背中に熱い言葉を放つ。
「本当の勇者様は貴方です!」
「世界に平和を取り戻してくれてありがとうございます」
「山田安彦という名前を、俺達は絶対忘れない……世界の歴史に救世主として刻んでやるからな!」
「いつでも戻ってこいよ」
こうしてこの世界は、一風変わったモブおじさんに救われたのだった。果たして彼は何者なのだろうか。