紅い瞳の転校生
「本当に歌うとは……」
休み時間。高階が呆れ半分、驚愕半分で俺を見ていた。
「しかも演歌……」
「せっかくのリクエストだったから」
「どんな心臓してるの?」
俺が一曲を歌いきった後、エインフィールはくすりと笑って「下手ね」と呟いた。それで満足したのか、彼女はそのまま机に突っ伏すとすやすやと寝息を立て始めた。そして今に至る。
「でも先生もみんなもなんにも言わないし……わたしもなぜか彼女を責める気にならないの」
「確かに、なぜか俺の方がおかしいという雰囲気になっているな」
「いや功刀くんはおかしいよ?」
納得がいかなかった。
さておき、今も気持ちよさそうに寝息を立てているエインフィールに因縁をつけようという者はクラスにはいない。むしろ、彼女への畏怖や根拠のない尊敬の感情が増幅しているような気がする。まったく不思議な感覚だ。人間に対してそんな感覚を持ったことは今までにない。
「それにしても綺麗な人だよね、こわいくらい」
「そうだな」
どうやら、その認識自体は俺も高階も同じだったようだ。だとすればエインフィールのこの不思議な求心力のようなものは、彼女のあまりの美しさに起因するものなのだろうか。
「ただこれでは受験勉強に影響しそうだな」
「毎授業歌うなんてやめてね」
「次はHIPHOPにしようか」
「めちゃくちゃ聞きたいけど今度にしなさい」
休み時間が終わり、未だに安眠しているエインフィールをよそに俺達は集中できないままに黒板に向き合った。エインフィールは、そのまま起きなかった。
★
さて昼休みだ。
教師が退出して教室がざわめきだしたのに気が付いたのか、エインフィールがむにゃむにゃと動き出した。
寝ているときならよかったのだが、いざまた彼女が目覚めだすと分かるとまた皆の挙動がおかしくなる。
「ふわぁ……」
目をしばしばさせながら小さく伸びると、エインフィールはぼんやりとあたりを見回した。
やがて彼女は 弁当を広げて食事を始めようとした俺と高階に目の焦点を合わせると怪訝な表情を浮かべた。
「終わったのかしら?」
「昼休みだ」
「そう、昼休み……」
俺の言葉を繰り返したエインフィールはしかし、その言葉の意味をよく分かっていないらしかった。
「エインフィールさんもお昼一緒に食べる?」
俺越しに高階が声をかけるも、謎深き転校生は興味なさそうに瞬きをするのみだ。
「いいえ、食事の気分じゃないもの」
頬杖をついて、エインフィールはぼんやりと俺の弁当箱を覗き込んだ。
「それ、なに」
「白菜の炒め物だ」
「ふーん」
弁当は自分で用意したものだ。朝早くから起きて飯を炊くのがここ二年の日課となっている。
「葉っぱを食べるなんて、虫みたいね」
「なんだと」
何気なくそう呟いたエインフィールの言葉に、俺は思わず語気を荒げた。
「今なんと言ったんだ」
「ちょっと、功刀くん!」
慌てて左から高階が止めに入るが、しかしいくら転校生とは言え聞き過ごせない言葉もある。
「だから、葉っぱを食べるなんて虫みたいねと言ったの」
「これは農家が苦労して作った野菜だ。その辺の雑草じゃない」
昔から食べ物を粗末にしたり軽視したりするような行為には無性に腹が立つ性分だ。俺がブドウ農家の生まれだからでもあるが、しかしそれ以前に食い物を大切にする精神は全人類が持っていてしかるべきものだと思っている。
「あら、あなたが作ったの?」
「違うが、俺も農家の息子だ。作物を馬鹿にされれば頭にくる」
「そう、激情家なのね。でも私、暑苦しいのは嫌いなの」
「謝罪しろ」
「なんでかしら?」
「…………」
「功刀くんったら!」
左袖を高階に思いきり引っ張られて、俺はしかたなくそちらを振り向いた。
「止めるな高階、いくらなんでもこれは――」
そう告げようとした俺は、しかし見合わせた高階の顔に異常を見つけて思わず言葉を止めた。
目が。高階の目の焦点が合っていない。俺を見ているようで、どこか別の場所を見ているようでもある。
「エインフィールさんのことを悪く言わないでよ」
「なに?」
俺は高階の言葉にそう訊き返して、そのふわりとした実態のつかめない口調に違和感を覚えた。まるで高階が何かに操られているようですらある。
ふと辺りを見回して、俺はさらにぎょっとさせられた。
目が。目が。目が。
クラス中の目が俺を捉えていた。前に座っている連中も、教室の外にいる連中も、みな雁首を揃えて俺のことを洞のような目で見つめていた。
「……」
(なにが起きている?)
全く理解できない状況に、俺は手がかりを求めるように右に首を向けた。
「それで、なんだったかしら?」
そこには赤い瞳を光らせたエインフィールが座っていた。