500【終着】世界はまだ終わらせない
起死回生の一手を担っていたはずの『私』が……我が使徒【ソルムヌフィス】の中に潜んでいた『私』が、あっけなく死んだ。
死んだ。……殺されたのだ。
この【魔王】メイルスの、その一株が。
「行けノア!! ……今ですラニさん!!」
『ッ、だルゃァア!!』
体表面に毒液を纏った忌々しい海洋生物が、私の腕のひとつへと囓り付く。
動きを強引に止められたその腕が、ニコラの振るう剣によって呆気なく斬り飛ばされる。
身体のあちこちを毒に侵され、迎撃が間に合わなかったとはいえ……彼の身の丈よりも太い腕を、こうも簡単に断ち斬ってくれようとは。
さすがは【天幻】、さすがはニコラ。
彼は、強い。本当に……本当に、素晴らしい『勇者』だ。
「やらせねぇよッ! 【戦闘技能封印解錠】【耐衝撃防御体勢】!!」
「……っ、恩に着る! 【生命育みし慈愛の海原よ、厄運びし不浄なる敵を討て】! ぶち貫け、【海龍槍】!!」
加えて……この世界の原住民から、よもやこれ程までに強力な遣い手が現れようとは。
あの騒々しい『神』が手を回したのか、はたまたニコラが何か仕出かしたのか……それとも真に素質を生まれ持った者だったのか。
今となってはその出自を知る由もないが……ここまで圧倒的な力の差を見せ付けられては、もはや『悔しい』という感情さえ沸いては来ない。
……あの若葉色の長命種に備え、この身体には魔法に対する備えを施した筈なのだが。
その守りの上から、力ずくで押し切られる。あるいは毒を打たれ、抵抗を許されずに穿たれていく。
私の必死の抵抗も、もはや彼らを害することは不可能と言えよう。
彼らごときでは私を殺しきれぬと高を括り、この地に根を張り移動を諦めたことが、直接的な敗因だろう。
【熱線】、【鏃種】、【蔦鞭】、【顎葉】、【蝕花】……私の持ち得るいかなる抵抗も、鎧に身を包み槍盾を構えた彼の者を崩すことは出来ない。
となれば当然、その背後にて護られる水毒の遣い手を止めることなど出来やしない。
加えて……縦横無尽に駆け回る、あの【天幻】のニコラには……やはり私ごときが敵う筈が無い。
そうとも。私を護り、育み、知恵を与え、育て上げた彼に……そもそも私が勝てる筈が無いのだ。
(…………ここまで、か。……仕方あるまい)
最初の頃は、それなりに上手く運んでいた筈だった。
私が滅ぼした――人間種を絶滅させてしまった――あの世界からこの世界へと、ニコラの魔法を無理やり模倣し無謀な跳躍を試み……奇跡的に成功し。
あまりにも希薄な、生きていくのも儘ならないほどに乏しい魔素をなんとか工面するため、『種』をばら蒔き。
私と同様『このまま死ねない』『生きたい』と切望していた『ゴロー』の身体を借り、共犯者として契りを結び。
帰還のための手段の模索と、労働力の確保を試み……自分達同様に死にかけていた者達を、手駒として作り替え。
この世界に魔素が満ち、この世界の人々が魔力を備えるまでに進化を遂げ、あの世界でも生きて行ける程にまで仕上がったら……強引な手段を用いてでも、あの世界へと送り込むつもりであった。
文明が滅びた世界へと送り込み、土地を拓かせ、町を造らせ、生活を送らせ。
そうすれば、いずれは人々の営みを取り戻させ……かつて飽きもせず眺めていた尊い風景を、取り戻せるはずだった。
……だが、そうはならなかった。
何よりも……『ゴロー』の心が、私から離れていってしまったのだ。
自分を見捨てたこの世界に未練が無く、むしろ恨んでさえいた筈の彼は……自身を『父』と慕う娘たちに絆され、彼女らを捨て石とする私の計画に、密かな抵抗を試みていたのだろう。
恐らくは……手懐けた筈の三人の中でも、群を抜いて聡い【睡眠欲】と共に。
全く、あの二人には驚かされる。よくもまぁ私の目を出し抜いたものだ。
他の敗因はといえば……今更振り返るまでも無かろう。
この世界の守り手たる長命種の少女と、あのニコラ・ニューポートが……何処からともなく現れ、私の前に立ちはだかったためだ。
責任感の強い彼は、間違いなく私の計画を止めようとすることだろう。
この世界を犠牲にした『我等の世界の再生計画』など、心優しい彼が到底許容する筈が無い。
だからこそ私は……たとえ彼に嫌われ、怨まれようとも、自分の力で計画を推し進めるほか無かった。
彼の生存を、彼との再会を喜びたい本心を殺し……彼の敵となる道を歩む他無かった。
それも結局は……こうして見事に阻まれてしまったわけだが。
……まぁ、仕方のないことだろう。
親愛なるニコラと彼の仲間達によって、私は今日ここで討たれる。
私の『罪滅ぼし』は、決して成就することは無い。
私の傲りで滅ぼされた、私達の世界……ニコラが愛したあの世界は、ヒトビトの営みを取り戻すことは無い。
文明は儚く崩れ去り、理性に乏しい魔物に溢れ、やがて新たな支配種による社会が形成されていき……かつて『人間』という種が存在した痕跡さえ、いつかは風化していくだろう。
……だが。その代わり。
以前とは似ても似つかない可愛らしい姿で、生き生きと楽しそうに第二の平和な人生を歩もうとする彼に……最期に、大きな『花』を持たせることくらいは、出来るだろう。
この世界を脅かす最悪の植生。
この世界に住まう人類全ての敵。
恐怖と絶望を振り撒く侵略者。
そんな【魔王】を討ち取った『勇者』ともなれば……この世界における彼の『勇者』としての名声は、間違いなく高まるはずだ。
「っ!? ラニさん! 恐らくアレが急所です!」
『!! なるほどね、っ!』
「抉じ開けろ! ノア!!」
『貰ったァァ……ッ!!』
『君の世界を元通りに直す』という夢は、どうやら叶えられそうもないけれど。
もうひとつの……『君に恩を返す』という夢は、どうやら叶えられそうだ。
ベートゥラ。ローウィン。ウィルロー。ホースロン。カルヴァロ。アヴェレイア。ヴィナハ。マシア。ファル。
先に散った彼らは――私が死に追い遣ったかつての同胞たちは――まだ私のことを、覚えてくれているだろうか。
まだ私のことを……恨んでくれているのだろうか。
許しは乞わぬ。詫びもせぬ。……気の済むまで恨み、呪ってくれ。
そして……我が父、我が師、我が友。
親愛なる【天幻】、ニコラ・ニューポート。
どうか……どうか、末永く壮健で。
理屈としては理解している。既に幾度となく、イヤというほどに目にしてきたのだ。
あの『種』による寄生・侵食作用を逆手に取り、今このときに限ってはむしろその作用を助長させる。『バッチコイ』ってしてやるわけだな。
培地とするのはほかでもない、叡知を司る万能の美少女エルフ魔法使い木乃若芽ちゃんの、なんと三人に増えたうちの一人こと賢者だ。特別だぞ。
ギリギリで割り込んだおれの制止を受けて、全身全霊で急制動を掛けたラニによって……かろうじてド真ん中をブチ貫かれる結末は免れた【魔王】の『核』。
今まさに消え行こうとしているそこに、こちら側から逆に無理矢理アクセスを試みる。
膨大な魔力を物質化させて人の形を作った賢者ではあるが、そこにインストールされた『意識』はあくまでも、コピー元である魔法使いの並列思考を当て嵌めているだけだ。
他の『若芽ちゃん』とは完全に分割されているし、なんなら『若芽ちゃん』の意識だけを回収することだって出来るわけで……つまりは、魂の無い『容れ物』を用意することだって出来るわけだな。
あとはこの……全てを諦めきって、今にも無に還ろうとしている【魔王】……いや、『メイルス』の意識を無理矢理ふん縛って取っ捕まえて、賢者の意識もろとも『容れ物』に定着させる。
『メイルス』の意識がどれだけ残っているかが成功の鍵であり、既に跡形もなく崩壊してしまっていたら……当然、彼を掬い上げることは出来ない。
だが……しかし。ここはこの世ならざる異界、【隔世】の結界内だ。
『神秘』に対する懐の深いこの環境ならば……たとえ肉体を失い、魂だけの存在となったモノであっても、暫くはその存在を留めていることさえあるという。
それこそ……怪談なんかでお馴染みの幽霊さんなんかは、普段は【隔世】に住んでる彼らがふとした拍子に現世へと現れてしまったものなのだとか。
まぁ要するに、だ。
この【隔世】を解消してしまわなければ、勝算は充分にあるということなのだ。
観察力や洞察力、思考力に応用力などなど……もともと賢い魔法遣いよりも数段賢い『平穏を乞願う賢者』であれば。
おれと『縁』を結んだ朽羅ちゃんを介して間借りしている、ヨミさまの『全てを見透す眼』の加護があれば。
今現在この地に居らずともおれたちを包み込んでくれている、モタマさま直々の『温かな祈りの力』があれば。
いつもいつでも自信満々なフツノさま譲りの、ここ一番での『勝負強さ』と強力な『自己肯定』の激励があれば。
わたしの持つ『全てのひとを笑顔にする』設定によって……みんなが笑っていられる、望み通りの結末を掴み取ってみせる。
わたしは、人々に『しあわせ』と『たのしい』と『うれしい』をお届けする……この世界を絶望から遠ざけ、悲嘆と絶望を否定する叡智のエルフであり。
この世界唯一の魔法情報局『のわめでぃあ』の、泣く子も笑う敏腕局長『木乃若芽』なのだから。




