36【事態究明】理解は幸せ
異世界の『勇者』、ニコラさんがもたらした情報を整理すると……まず、この世界は魔素というものが(少なくとも現代においては)極めて薄い。
そのためおれたちがこれまで常識として弁えていたように、『魔法』なるものはこの世界では存在していなかった。
だがしかし……そんな環境であっても『魔法』等の異能を存在させる特例とでも言うべきものが、くだんの『種』の存在であるという。
いわく『魔王』の策によってバラ蒔かれた、この世界にありながら位相を別とする『種』。存在はするが触れることが出来ず、普通の人間には見ることはおろか感付くことさえ不可能だという。
人間の黒い感情……特にひときわ深い『絶望』に反応するそれに感染し、根を張られれば……『種』は培地と化した人間に願いを叶えさせようと感染者の存在を改竄し始める。
その過程において、感染者の願望を叶えやすい能力を……『魔法』を始めとする異能を授けることもあるという。
この部分だけを切り取って見てみれば――『深い絶望の感情に反応して発芽・寄生する』という不穏な一点を除けば――人々の可能性を拡げる、それこそ福音のようにも感じられる。……だが。
その『種』はあくまで自分本意な存在であり……全ては自分が成長し『苗』となり、最終的には『花』をつけて『実』を成し『種』を飛ばすためである……という。
『種』が育つためには、水と養分が必要不可欠だ。……ここは異世界でも同じことらしい。
そしてこの『種』が、ただの植物のそれとは特徴を大きく異とするように……この『種』が求めるものもまた、ただの水や養分である筈がない。
……このあたりの説明を受けた時点で、おれはなんとなく予想がついた。
奇しくもつい先日……自分と同様、この世界に出現した『魔法使い』のひとり――理不尽な悪意と不幸な事件に巻き込まれ、全ての幸せを喪った男――彼がその願望を叶えるため、その身を削りながら魔法を行使していたところを目にしていたのだ。
そしてそれはどうやら正解だったらしく……つまりは『種』に根を張られた恩恵である異能を行使すればするほど、いわゆる『魔力』を捻出するために生命力を切り崩し……宿主の身体は蝕まれていくという。
さらにタチの悪いことに、人間に寄生した『種』は効率良く養分を吸収するため、魔力消費に高揚感を与えると共に理性を融かしていくという――つまりは魔力を消費すればするほど気持ち良くなっていき、おまけに冷静な思考をも失っていくという――危険な薬もドン引きするほどに悪辣な性質を秘めているという。
ほんの一時は、魔法を行使できる全能感に満たされるかもしれない。
だが……旨味を覚えてしまった生物は、その誘惑から逃れることなど出来やしない。ましてや理性を融かされていくとあっては尚のこと……意思の疎通が不可能な『獣』に成り果てるのは、時間の問題だろう。
…………さて。
人智を越えた異能……『魔法』に類する力を授ける代わりに、いずれはその身を喰らい尽くす悪意の『種』。
それによる改竄の影響を受けていながら……先述のデメリットを抱えていない、規格外の存在。
それが……何を隠そう、おれこと木乃若芽ちゃんなのである。
「……ボクは聞いたことがないよ。あの悪趣味な『種』を喰らいながら、ここまで人間性を保っていられるだなんて」
「いやー、その……オレも正直解ってないことの方が多いっすけど、それでも結構説得力ある仮説が立ったんすよ」
おれ同様にニコラさんの情報開示を受けていながら、おれとは別の視点から現状を把握しようとしていた烏森は……なにやら勿体ぶったような、しかし珍しく真面目な表情で『先輩の身体の件、なんとなく解った気がする』などと切り出した。
とにもかくにも、おれは自分の身に起こった事態を正確に把握したいのだ。たとえ仮説であろうとも当然気になるし、実際おれが手がかりを見落としていただけかもしれない。……とにかく些細なことでも教えてほしい。
「仮説でも何でも良いから教えてくれ、頼む! 正直このままじゃおれがおれ自身に安心できない!」
「えっ!? 今なんでもするって言いました!?」
「言ってねぇけどおっぱい揉ませてやるから早く!!」
「ははは揉むほど無いじゃな」
「【氷槍】【待機】」
「ホントスンマセン許してください何でもしますから」
「早く言え」
「イェスマム」
「滅茶苦茶使いこなしてるね……」
どこからともなく出現した氷の槍を突きつけられ、烏森はにやにや顔を即座に引っ込める。……若芽ちゃんがあんまりないのはおれもよく知ってるし、そもそも服の上からでも一目瞭然なのだが……いまのは何故か非常にカチンときた。
感心したような呆れたような、複雑な声色のニコラさんのつぶやきを聞き流しつつ……おれは烏森へと無言の圧力を送り、続きを促す。
「ええっと……確認なんすけど、まず『種』が絶望したヒトに取り憑くじゃないっすか。そのヒトの望みを叶えるために根っこ伸ばして魔改造するんすよね? そのヒトの望みを叶えるために……魔法とか使えるように」
「うん。そうだね、その認識で良いよ」
「魔改造、って…………」
「続けますよ。根っこ張られて魔改造されたヒトが魔法とか使うと、生命力を削られたり理性を溶かされたりするんすよね。順番的には『種』による存在改竄が先で、デメリットは要するに魔力を使わなければ発生しない……」
「……そう、だね。存在を改竄されても最初の一歩目を踏み出さなければ……踏みとどまって時間を稼ぐこと自体は、可能なんだ。……ただし、あくまで『時間稼ぎ』にしかならない。『種』が存在して根を張っている以上、少しずつとはいえ吸われ続ける。……止められないんだ」
「…………仮に。仮にっすよ、ニコラさん。……仮に、存在を改編された直後に……何らかの形で『種』が消えれば」
「………………キノワちゃん、だったよね」
可愛らしい小さな身体が、淡い虹色の燐光を散らしながらこちらへ向き直る。
澄んだ青空色の相貌が真剣な光を湛え、真正面からじっとこちらを見つめている。
いや、キノワちゃんじゃなくてキノないしワカメちゃんなんだけど……などと口を挟む余地が無さそうなくらいには、真剣そのものの表情を湛えて。
異世界の知識を持つフェアリーの少女……元勇者ニコラ・ニューポートさんは、やがて意を決したようにその小さな口を開き……その問いを発した。
「キミは…………一体、何を願った?」
「え? え、と……えっと………………おれの代わりに、木乃若芽ちゃんが生きていてくれれば良いのに……って」
「………………そういう、ことか」
「え? 何、どういうこと?」
「ニコラさん……その『種』が根を張るのがヒトの身体である以上、根を張ったらその『種』はもう動けなくなりますよね」
「ああ! そうだろうね……そういうことか! ははっ! 代わりに、か! …………そういうことか!」
「え? なになになに待って待って待って」
なにやら合点がいった様子で、互いに頷きあっている二人……神絵師モリアキと元勇者ニコラさん。二人はどうやら原因というか真相にたどり着きつつあるようで、それは喜ばしくはあるものの正直ちょっと待ってほしいしもう少しわかりやすく説明してほしい!
当事者であるおれ一人だけ置いてけぼりなのは、ちょっとおもしろくない。
そんな思いが通じたのだろうか。……いやそうではなく、どうやら顔に出ていたらしい。烏森がおれの顔を見て苦笑いを浮かべている。ひとの顔を見て笑うなんてひどい。
ともあれ……おれが説明を欲していることは、幸いにして伝わったらしい。
白谷さんはおれと再び視線を合わせ、神妙な面持ちでひとつ頷き……
「キノワちゃん、……落ち着いて、聞いてほしい」
そんな改まった前置きと共に。
「キミは…………前のキミは、恐らくもう存在していない。……『種』に感染した前のキミの身体は、今のキミと存在が丸ごと入れ替わったんだ」
「………………………………ぇ?」
「恐らくだが…………キミは、もう二度と、以前の身体には戻れない」
ほんの数日前、おれの身体に起こった経緯が――仮説にして、恐らく事実が――あっさりと告げられた。