290【第二関門】宜しくお願いします!
よろしうにー!!
このオフィスビルそのものには、いろんな会社や団体のオフィスが入居しているらしいのだが……おれたちが今いる八階フロアの全体と七階フロアの半分は、配信者事務所『にじキャラ』の運営母体である『株式会社NWキャスト』さんが押さえているらしい。
つまりこのフロアにいる人間は(おれみたいに商談に訪れた来客や、コーヒーマシンの備品補充業者等のごく一部を除き)全員が『にじキャラ』さんの身内というわけで。
まぁ、要するに……極めてあたりまえのことなのだが、仮想配信者『ミルク・イシェル』のことをよく知っている人しか居ないわけで。
よりにもよって廊下で絶叫されてしまったばかりに、おれたちが通された八〇三号室は勿論のこと、八〇一と八〇二号室にもことの顛末は知れ渡ってしまっており……恐らくは今このときも、この会議室の外には多くの関係者が詰めかけていると思われる。
「…………以上が、わたしと……彼の身に起こった、仮称『身体存在改竄事案』の顛末になります」
「「「「………………」」」」
「えーっと……ご質問等、ございましたら……」
……当初の予定では、まず八代さんと面会して、ことの顛末を伝えて、彼の判断を仰ごうかと考えていたのだが……『もしかしたら居るかもしれない』とは思っていた『村崎うに』さんの介入によって、事態はかなり大規模な騒ぎへと波及していった。
とはいえ、話すべき内容は変わらない。現在おれは『にじキャラ』さん方の四名――『村崎うに』さん(の魂)と、Ⅳ期生【Sea's】マネージャーの八代さんと、同アシスタントの六丈さんと……『にじキャラ』部門の統括本部長である(らしい)鈴木さん――の目の前で、『ミルク・イシェル』さんの演者さんが『ミルク・イシェル』さん本人になってしまった原因と目される事象についての説明を行っているところである。
……まぁ、あれよあれよという間に執行部の役員のお方までお越しになられてしまわれたので……表面上は粛々と進めておきながらも内心めっちゃガクビクしてる、というのは内緒だ。
「…………正直、非常にファンタジーな……非現実的な事象だとは、わたし自身でも思ってます。……いきなり出てきて『信じてくれ』って言われても、困りますよね。……そう簡単」
「うん。驚いたな」
「貰える訳じゃないってことくらいは…………えっ?」
「うん? いや、僕は信じるよ。……驚いた」
「「えっ!?」」
おれの説明……こんな非現実的な事象のアピールを受け、あっさりと『信じるよ』と言ってのけたのは……統括本部長の鈴木さん。
この『にじキャラ』運営の舵取りを行うとてもすごいお方で、本来ならおれなんかがそう易々とお話しできる立場のお方じゃないのだが……そんな偉大なるお方が、おれをまっすぐと見据えてくれていた。
「僕はこれでも……ヒトの表情筋について、色々と勉強してきたつもりだからね。君が……えっと…………ごめん」
「木乃若芽さんです、本部長」
「ごめんごめん。……だから、ウソを言ってるかどうかは割と判るんだけど……若芽さんとミルクさんが虚偽を述べてるんじゃ無いってことは、とりあえず判った」
「ひぇっ」
「……それと…………若芽さんと、今のミルクさん……表情の動きに『つくりもの』っぽさが、少しも見当たらないんだよね。スキンを重ねた特殊メイクなんかじゃ、こうはいかない」
「「おぉー…………」」
意外……と言ったら失礼だが、どうやらちゃんと信じてくれるひとが居てくれたこと(しかもそれがとびきり偉いひとであること)に、とにかくものすごく感謝すべきだろう。
お陰でおれも、信じてもらうためにアレコレ苦心する必要がなくなりそうだ。
「じゃあじゃあ、もう出ても問題無いよね?」
「「「「!?」」」」
「アッ! おばか!」「ちょっ……!?」
「大丈夫、ちゃーんと【静寂】張ってるし。ココダケのナイショってやつだよ」
「そういう意味じゃ…………ぁぅ」
……まぁ、確かに……じっさいに彼女の姿を見せつけてやったほうが、事態を把握させるための最短経路なのだろう。魔法を見せつけてやることも手段のひとつだが、こちらのほうがビジュアル的にもわかりやすい。
なんてったって、見たまんまのファンタジー種族だ。現代日本にとっては……それこそ画面の中でしか有り得ない、多くの創作者が恋い焦がれた幻想存在。
「ふぇありー…………ラニ、ちゃん……?」
「んん? そうそう! いやーお久しぶりだね、ウニちゃん。先日はどーも! また小隊組もうね!」
「おっ、おう! うわぁーマジか!? えぇーマジか!! なんやこれくっそかわやん!!」
「ヤシロさんも……こんにちは、はじめまして。いつもうちのノワがお世話になってるね!」
「あ、いえ……こちらこそ、その節は……こちらこそ、お世話になりました」
手のひらサイズのその身体で、ひらひらと会議室内を飛び回り……うにさんを始め『にじキャラ』さんの面々へ、愛想よくご挨拶を続けるラニちゃん。
おれの相棒にして……頼れるアシスタント妖精さん。
彼女がいきなり姿を現した目的が、おれにもようやく理解できた。
「それで…………キミが、ウニちゃんたち組合の頭目……で、合ってるかな?」
「うーん……微妙なとこですね。会社の経営的にはもっと上がいるんですけど…………『にじキャラ』内での舵取りという意味では、まぁ……責任者の一人、ではありますね」
「なるほど。つまり……ミルちゃんの今後を決定できる立場であるわけだ」
「「「「…………!!」」」」
「…………そうですね」
当初の予定には含まれていなかったのだが……騒ぎを聞き付け、急遽この場に加わることとなった、配信者事務所『にじキャラ』の実質的責任者である鈴木本部長。
前代未聞の事態に直面した所属タレントの処遇について、決定権を有する人に直談判出来るのは……正直、幸運だった。
幸運にも整ったこの場で、おれたちがまず行わなければならないこと。
ラニと思念を繋いでの協議の上で導き出した、最優先事項。……それは。
「「……お願いします!!」」
会議机を挟んだ向こう側に座る、鈴木本部長へ。
おれは勢いよく立ち上がり、腰を直角ちかく曲げた最敬礼で。ラニも空中に浮かんだまま、深々と頭を下げて。
「直接的な原因の一端は、ボクに……異世界人であるこの『ニコラ・ニューポート』にあります。ボクに出来る補償であれば、力の及ぶ範囲で何でもします。……だから!」
「だから、どうか! ミルさんの……『ミルク・イシェル』さんの、続投を! 活動の継続を! もしこのことで生じる損害であれば、我々が……微力ながら、精いっぱい補填致しますので……どうか!!」
「え、ちょっ!? ちょっと、あの、あの……若芽さん!?」
こんなになるまで……これまでの自分を投げ捨ててでもキャラクターに没頭したいと願っていたミルクさんが、その役から外されてしまうような事態にでもなれば――『ミルク・イシェル』を演じることが出来なくなってしまえば――それは間違いなく、深い絶望を生んでしまう。
また同様に……ミルさんを推していた、本気の支援者にとっても、人生をかけて推していた存在が居なくなってしまえば、その喪失感は計り知れない。
そしてそれは。その深く暗い……負の感情は。
この首都東京で何かを画策している『魔王』のばら蒔く『種』にとって、格好の温床となってしまうだろう。
それは……避けなければならない。
「…………まぁ、問題ないでしょう。良いんじゃないかな?」
「「「えっ!?」」」
「実際……一ヶ月近く? 何も問題なく活動出来てたわけだろ? 村崎さん?」
「えっ!? あっ、まぁ……はい。普通に……特に、違和感とかも無く……」
「じゃあまぁ、そういうことで。業務に支障が生じていない以上……まぁ、本人が『辞めたい』とか言うんでなければ」
「言いません! 続けさせてください!」
「なら、問題無いね。今後とも頼むよ、ミルクさん」
「…………っ!! はいっ!! ありがとうございます!!」
「「ありがとうございます!!」」
とりあえず……これで最悪の事態は、免れることが出来た。
ミルさんも思い入れのあるキャラクターとして活動を続けることが出来るし、八代さんも六丈さんも……そしてうにさんも、明らかに『ほっ』としてくれているのが見てとれる。
……本当に、よかった。
「それはそうと……木乃若芽、さん?」
「はっ、はいっ!!」
「それと……ニコラ、さん? で良かったかな?」
「活動中は『ラニ』で通ってるので、そっちで!」
「じゃあ、ラニさんね。……ちょっとお聞きしたいんだけどね」
……この日。
『にじキャラ』さん……いや、この業界は。
「魔法、って……どんなことが出来たりするのか、ちょっとだけ聞かせてもらっても、良いですか?」
「わ、わかりました。わたしにわかることなら」
「お安いご用よ! この『天幻』のニコラにお任せあれ!」
大きな……非常に大きな、転換点を迎えることとなる。




