117【年末騒動】彼女の選択
「さァ、て……訊きたい事が在るのだろう? 其処な化生の小娘よ」
敵となるもの全てが消え失せた『カクリヨ』の結界内で……シロちゃんの身体に宿った『剣神』フツノさまは、タクシーのボンネットにどっかりと腰を落として胡座をかくと、堂々たる口調でそう言っ……仰った。
「今の我は機嫌が良い。少々拍子抜けだったと云えど、久方振りに【神器】を振るえたは一応の事実ゆえな。……『赦す』。何なりと問うてみるが良い」
機嫌が良い、というのは本当なのだろう。普段のシロちゃんとは方向性がやや異なるとはいえ、その顔に浮かぶのは晴れ晴れとした笑顔。……控えめに微笑む普段のシロちゃんも尊いが、この青空のような笑顔もなかなか捨てがたい。
違う、そんなこと考えてる場合じゃない。
おれのなかで渦巻いている、ある懸念……それがさっきから気になって、仕方ない。
「…………さっき、『せっかく大切なシロを投じたのに』って言ってましたよね。……シロちゃんは、今どうなってるんですか? フツノさまって、本当にあの鶴城さんの主神のフツノさまなんですか? ……シロちゃんは、大丈夫なんですか?」
「良かろう。順に答えよう。此の依代は貴様が察する通り、今我が依代として用いている。次に、我は正真正銘鶴城の宮の主神『佐比布都天禍尊』その神である。……して、この依代だが……何を以てして『大丈夫』と評すかは解らぬが、仮に『以前と同じ状況へ戻れるのか、否か』と問われたとすれば……『否』だ」
「っ…………!?」
……以前と同じ状況へは、戻れない。
今確かに、はっきりと、鶴城の主神その神である彼(?)は……そう言った。
震えそうになる喉に無理矢理平静を繕わせ、絞り出すように問いを続ける。
「……どう、なっちゃうんですか、シロちゃんは。……フツノさまが離れたら、シロちゃんはどうなっちゃうんですか」
「直ぐに死ぬことは無かろう。……が、此うして鶴城の『神域結界』の外へと出……縁が絶たれたのだ。今我が此の身を手放せば、もう此奴の身へと我が神力を届ける事は叶わぬ」
「な……ッ!? そんな!! そんなの、」
「非道い……と云うか? 小娘。……勘違いするな、此は元来そう云うモノだ。我ら神を其の身に宿し、『神域』の外へと道を拓き、役目を終えれば縁を絶たれ、神性を喪う。そう云う一族なのだ、『依代』とは」
「!? ちょ…………ま、まって……『シロ』って……名前、一族、って……」
「……其処からか。其は『個』を示す『名前』では無い。此の者の『シロ』とは……肩書、役職と呼ぶ方が近かろうな」
「…………そん、な」
あの子が……おれにいろいろと教えてくれた、小さくて可愛らしい頼れる先輩巫女である、シロちゃんが。
自分自身の、本来の名前さえ名乗ることを許されない……そんな『使い捨て』の道具のような扱いを受けていただなんて。
鶴城神宮が。この国の神々が。それに連なるひとたちが。
そんな、彼女を個人とも思わぬような思考の持ち主の集まりだったなんて。
「あぁ、勘違いするで無いぞ? 依代の監督役であった龍影達……真柄や痣丸を始め『廻り方』共はな、此の子を大層可愛がって居ったよ。今日こうなることも、大変に悔いて居った。『残念でならぬ。堅物の真柄も、今代の依代には絆されて来て居たのだが』とな」
「っ、……なんとか! 何とかならないんですか!?」
ほんの数日、ほんの数回顔を合わせていただけだったが……ほんのわずかに、彼ら彼女らの間柄を垣間見ただけだったが。
控えめで大人しいながらも、優しく笑うシロちゃんが。無愛想で不器用ながらも、その実はとても思慮深いマガラさんが。どこか底知れぬところもあるが、心穏やかで調和を尊ぶリョウエイさんが。
彼らの関係が、今日これ限りで終わってしまうということは……『残念』なんていう一言では、到底表しきれない。
「業腹だが……我には何も出来ぬな。結界から出て縁が絶たれた神使に神力を授ける等、我らの神力が狭苦しい『神域結界』に押し籠められている以上は如何しようも無い。此の国・此の時勢に『結界』内で縁を結んだ神々に頼らず、何処からともなく神力を得続ける等……其んな玉虫色の手段等、在る訳が無かろう?」
「…………………………え?」
落ち着け。考えろ。冷静になれ。
今フツノさまは……何といった。
神様との縁が絶たれても。神様から神力を授かることが出来なくなっても。
何処からともなく神力を得続けることが出来れば……シロちゃんは助かると。
そう言ったのではないか?
「………………」
「………………」
おれと同じ結論に辿り着いたのだろうか。おれと深い深い縁を繋いだ存在と……大切なおれの相棒と、思わず顔を見合わせる。
おれという存在から魔力を得続けることで存在を保っている『妖精ラニ』と、目が合う。
「……フツノさま」
「…………小娘が。神から我の神使を奪い取ると……そう云って退けるか」
「はい。…………気に入りませんか?」
「呵ッ々ッ々! 気に喰わぬな! 我の所有物を掻っ拐われると在っては、当然気に喰わぬ!! 気に喰わぬが…………我は此でも子煩悩故、な。子に道を強いる程愚かでは無い。……本人に聞くが良い」
「え、ちょっ……」
シロちゃんに収まるフツノさまは、そう言うと瞼をストンと落とし……それと同時にシロちゃんを取り巻いていた神力が、あっという間に霧消する。
その呼称のとおり真っ白な睫毛に縁取られた瞼がゆっくりと持ち上がり……しばし周囲へと巡らされた瞳が、間近で見つめるおれに焦点を合わせる。
「っ、ぁ…………ワカメ、さま……?」
「シロ…………ちゃん」
「……わた、くしを……シロ、を……いえ…………『依代』では無くなる、わたくしを……」
「…………シロちゃん」
やはり……彼女は全てを知った上で、こうしておれを助けに来てくれたのだ。
おれにこの事態の解決を依頼したのはリョウエイさんだけど、そもそもリョウエイさんが察知して対策を打ってくれなければ……年末年始の大にぎわいな鶴城神宮を襲われ、尋常じゃない被害が出ていただろう。
名も知らぬ多くの人を守るために、シロちゃんはこの辛すぎる役割を引き受けたのだ。
こんな良い子が死ななきゃいけないなんて……そんなのは絶対に、絶対に間違っている。
「『御役目』を終えた、わたくしを……受け入れて…………くださる、ので、ございまする……か?」
「シロちゃんが……良いなら。…………おれは、シロちゃんを……『シロ』じゃなくなったとしても、きみを失いたくない。……きみが、必要なんだ」
「っ……!? わ、ワカメ……さま……」
清らかさが形になったかのように綺麗な純白の髪と、未だ幼げながら浮世離れした風貌を備えた……神の導き手として生を受けた、神狗の少女。
周囲の誰もが想定していたよりも遥かに早くにその御役目を終え、御役御免となった……小さな女の子。
おれの提案、おれの求めに対して……彼女が下した回答。
生まれも役目も関係無く。彼女本人の口から発せられた、他の誰にも……それこそ神様にも強いられない、彼女の希望。
………………それは。




