114【年末騒動】久しぶりじゃないか
ついさっきまではおれたちしか居なかったはずの、コーヒーショップのテラス席。
一切の部外者が存在しないはずの『カクリヨ』結界内、おれたちと『苗』との戦場で……見るからに場違いな佇まいの男性が、いつのまにか寛いでいた。
落ち着いたカーキ色のスーツと、同色生地の丸帽子。テラス席の椅子にゆったりと腰掛け脚を組み、微かに捻れた杖を傍らに。綺麗な白髪と口髭をキチッと整えた……ロマンスグレーを絵に描いたような、見事なイケオジと言える。
街中を歩いているときに見かけたら、思わず見惚れてしまったかもしれないが……現在この状況下においては、その完成度が逆に違和感でしかない。
(……ラニ、『保持者』は四人って言ってたよね)
(ボクもそう記憶してる。でもこれは明らかにただの人間じゃない)
(この結界内に居るくらいだもんね。……いったい何者だろ)
「いったい何者、かね?」
「「!!?」」
謎の老紳士の口から発せられた言葉に、思わず身をすくませる。
ラニとの会話は小声どころではなく、思念を直接送り合う魔法によるものだ。いかに聴覚に優れた存在とて盗み聞きすることは不可能であり、秘匿性は極めて高い。……そのはずだ。
「いや、失礼。私もこの国で長いこと暮らしてきたが、妖精の類は御目に掛かったことが無くてね。……何者だね? 君は。いや、君達は」
「「………………」」
思考を読まれた……わけでは無さそうだが、かといって大した慰めにはならない。やっぱりこのお爺さん、ただの人間じゃない。
今や常人には認識できないハズの白谷さんの存在を……妖精の類の存在を、確実に認識している。
おれたちに話しかけてきたこのヒトが、いったい何者なのか。
考えられる展開は……二つに一つ。非常に単純かつ明解なことだ。
ひとつ。かつてのおれと同様、『種』による改竄を受けて身体そのものが作り替えられ、異能を得つつも自我を失わなかったケース。要するに、味方。
そして……もうひとつ。
今までの『種』や『苗』とは根本的に異なる存在。当然のように異能を備え、明らかに異様なこの状況下においても平然としている……つまりは、何一つ焦る必要が無いケース。
……要するに、敵。
最低限そこのところをハッキリさせないことには、どう対処すべきか方向性も定められない。
いきなり敵意を露にして来るわけでもなく、まず会話から入ってきてくれている。意思疏通の可能性が見受けられるということは……敵ではないのだろうか。そう思いたいが、しかし。
「……わたし達は……今ちょっと、質の悪い『苗』を取り除こうと頑張ってるところです。……そういうお爺さんは、何をしてるんですか? こんなところで」
「私かね? 私は……そうだね。少しばかり探しモノを、ね。……そうだ、お嬢さん。此処で会ったのも何かの縁だ、少しばかり訊ねたいんだが……」
「…………かまいませんよ。……わたしに解ることなら、なんなりと」
さあ……どう出るか。どう来るか。
掴み所の無いこの老紳士は……果たしておれたちにとっての『厄』となるのか。それとも『違う』のか。
意識せずとも鋭さを増してしまう視線で見据える中……老紳士はその穏やかな笑みを微塵も崩すことなく、口を開く。
「私が探しているモノは…………障害の元凶、だね。ヒトの可能性を拡げ、大いなる力を授け、この世界に変革をもたらす福音を……『契約の苗芽』を刈り取り、滅ぼさんとする悪しき元凶。……御存知無いかな? この世界には存在し得ない魔力を備えた、大変可愛らしい刈り手なんだが……」
「………………すみません、あいにく。……ヒトの理性を溶かし、人格を壊し、不要な混乱をもたらす上に、放っておくと殖え続けて全人類を、そしてやがては世界を滅ぼしてしまう……タチの悪い『混沌の苗』を刈る正義の魔法使いなら、不本意ながら心当たりあるんですけど」
おれと同様の結論を下した白谷さんが、臨戦態勢を取りつつ【蔵】から武器を取り出してくれる。眼前でなおも余裕を崩さない敵を睨み付けながらそれを受け取り、おれも覚悟を決める。
遅かれ早かれ、相対する相手だと理解していた。思っていたよりも遥かに早かったが、しかし泣き言は言っていられない。
魔力に乏しいこの世界では、奴に対抗し得る力を持っているのは恐らく……誠に遺憾ながら、おれたちだけなのだ。
たとえ勝ち目が薄かろうと、おれたちが何とかするしかない。
何とかできなければ、そのときはニコラさんの故郷の二の舞になる。
それは……絶対に駄目だ!
「…………【草木・拘束】」
「お、ぉお……? これは……」
テラス席のウッドデッキから勢いよく伸びた無数の蔦が、老紳士の姿を取った敵を椅子ごと厳重に縛り付ける。
常人なら平然としていられるハズの無い圧迫に晒されてなお、老紳士の顔は少々の困惑を浮かべるのみで平然としたものだ。
やはり……やはりこいつは、人間じゃない。
他ならぬ『人間』の姿をしたモノに、それを殺すつもりで攻撃を仕掛けるという葛藤を無理矢理圧し潰し、それを殺すために魔法を紡ぐ。
「……【氷槍】【並列・六十四条】!!」
「我が意よ貫け! 【光矢】!!」
おれと白谷さんがそれぞれ攻撃魔法を発現させる。
頑丈な蔦によって戒められた敵の周囲全周より、雪崩打って襲い来る六十四本の氷の槍と、それらごと纏めてブチ抜く熱量を秘めた光の槍。
全てを焦がす光は突き立った氷の槍を一瞬で融解・沸騰させ、加速度的に膨張した大気は盛大な破裂音と衝撃波を周囲一帯にぶち撒ける。
テラス席の椅子やテーブルが吹き飛び、コーヒーショップをはじめとする駅ビルの窓ガラスがことごとく砕け、荒れ狂う大気の流れは商品を好き勝手に引っ掻き回し、湯気と煙と砂埃がもうもうと立ち籠める中…………
そいつは、当然のようにそこに居た。
「…………無傷とか……さすがに自信なくすわー」
『本当だよ。ボクは躊躇ったつもり無いんだけどなぁ』
「おれだってそうだよ。……まったく」
おれが嗾けた【草木】の拘束、その更に外側。囚われの老紳士をぐるりと覆うのは……複雑に絡み合った根のような魔法条文で綴られた、半球状の防御結界。
あれだけの攻撃魔法と水蒸気爆発に晒されて尚、表層の魔法条文が僅かに欠損する程度。生半可な術理密度の為せる技ではない。
愕然とするおれたちの手前、綻ぶように防御結界が解けていき……スーツにまとわりついた拘束魔法だったものをぱたぱたと叩き落としながら、悠然と老紳士は立ち上がる。
おれの拘束魔法【草木】は見るからにその力を喪失し、かさかさに乾きひび割れていた。
「ホンット……何者なんですか、お爺さん」
「……そういえば、御挨拶がまだだったね。……とはいえ名乗るほどの者でも無いが……姓は山本、名は五郎。見ての通り……枯れ木のような老人だよ」
「またまたご謙遜を。足腰もしっかりしてるじゃないですか」
「…………それに、それこそ御挨拶じゃないか。もう一つの名前も、ちゃんと名乗ってくれないと困るよ。…………メイルス」
白谷さんの小さな唇から紡がれた、その名前。
どうか勘違いであってくれ、というおれの願いも虚しく。
『山本五郎』さんの姿を借りた『メイルス』さん――ニコラさんと出身世界を同じくする彼――は……それはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった。




