109【年末騒動】一方その頃
「……して、客人の様子はどうだ龍影。感付かれた様子は?」
「いえ、特には。今の処は問題無いかと」
「中々に愛らしい見姿の化生だが……貴様は何とも思わぬか?」
「……いえ。率直に申しますと……『済まない事をしたな』と」
「呵々! ……心配するな、まだ何もして居らぬ。貴様が気に病む謂れは無い」
一年、三百六十五日の最後を飾る、十二月の三十一日……大晦日。
翌日……それこそ数時間後には新年元日を控えているとあって、時と共に世間が慌ただしさを増していく現在。
浪越市神宮区の一等地、人々から『鶴城さん』と呼ばれ親しみを受ける荘厳な社にて……とある密会が執り行われていた。
「ヨミ様の権能を疑う訳では無いのですが……本当に来ると云うのですか? 例の厄が」
「其の様だな。一方的な羨望を突き付けおった直後に、掌を返して此の有り難い御託宣だ。余程焦って居るのだろうよ」
「態々今日になって告げられた処に、引っ掛かりを感じざるを得ないのですが……」
「呵ッ々! 其は単にあ奴めの力不足と云う奴よ。俗界の物事ならいざ知らず、此の地に由来せぬ事柄には、さしもの覗き魔も梃子摺るらしい。……まぁ我とて他神の事は嗤えぬか」
ただただ無駄に広い、それでいて人気の全く無い板敷の広間。
この場に居合わせる人物……いや人の形をした者は、尋常ならざる気配をその身に纏う二人の男性のみ。
「他の依代候補は……未だ出雲か?」
「はい。鶴城へと移送するには……この時期も有りますので、七日程は掛かりましょう」
「ふゥム…………仕方あるまいか」
「ええ、仕方無いかと。……あの娘は中々良い娘でした。……此処で絶たれると云うのは、矢張り残念ですが」
「……割り切るが良い。抑も『神』とは理不尽な存在よ。好き勝手に振舞い、気紛れに暴れ、徒に贄を求む。暗澹たる海原の如く、何時荒れ何時凪ぐか杳として知れぬもの。……子風情が気っ風を測ろうなど、抑も無理な話よな」
「……特にあなた様に於かれては、ですか」
「呵ッ々ッ々! 解って居るでは無いか! 応とも。此度も我の身勝手故、ヒトの子らには暫しの微睡に浸って貰おうか!」
どちらも古式ゆかしい装束を身に纏った、しかしその装いが決して不自然には映らない、堂々たる佇まいの男性が二人。
それぞれの格好で板張りの床に腰を落とし、ヒトの気配も聞く耳も存在し得ない空間にて……上に立つ者ならではの、忌憚無き言葉を交わしている。
一人は、鶴城神宮の治安維持担当。神域廻り方の元締を務める、長い黒髪を一つに括った優男。
もう一方は……天真爛漫な稚児のように屈託無い笑みを振り撒く、未だ少年の域を出ないであろう風貌の小柄な男。
きちっと背筋を伸ばした正座を決め込む優男に対し、胡座をかいた上で上体を感情のまま前後左右へ揺さぶる小柄な男。
……どちらが、どれほどまでに上位の存在であるのか、二人の間柄を知らぬ者にとっても一目瞭然の相対だった。
「……肝心のあ奴、化生の娘本人には、未だ露見て無かろうな?」
「マガラが上手く取り成している筈です。……否、矢張り実に惜しい。堅物のあの子も、彼女には絆されて来て居たのですが」
「詫びはせぬ。其の代りとは云わぬが、貴様に【幽世】の行使を一時預けよう。……我が命ず。奴等と化生を上手く閉じよ。緣の深き此の地が焼かれる様を、貴様とて見たくは在るまい」
「其は…………願ったり、ですが」
「今となっては……我を除き、貴様にしか十全には扱えまい。……我は愉しい愉しい『祭』に忙しいのでな。行使に際した些末事を気にする余裕は無い。上手く遣れ」
「!! ……感謝、申し上げます。フツノ様」
「良い良い。貴様からの感謝など……今更よ」
当事者不在のまま、酷く一方的に進められた……人間種などより遥か上位の存在による、この地の行く末を左右する会談。
度々話題に上げられていた『化生の娘』……若葉色の髪と翡翠色の瞳、人間には有り得ぬ長い耳と呪われた力を持つ、今や異形の少女と成り果てたヒトの子。
彼女がことの顛末、このとき交わされた密談の内容を知ることが出来たのは……全てがどうしようもない程にまで、遅きに失してしまってからだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「………………え? は!? ちょっ……も一回いいすかトミさん!?」
『いや、だからな……ウチの従業員……いや、元・従業員がやりやがったんだわ。前に撮った『わかめちゃん』の写真、アレの無断持ち出しが発覚した』
「…………このこと……セ、っ……わかめちゃんには」
『真っ先に伝えなきゃならんって解っちゃ居るんだが……予約のときの記載情報、アレお前のだったろ? 連絡先知らなかったのもあったし、写真の本人とお前とどういう関係か問い質されて……』
「っ、ぁ………………ちな、みに……持ち出し、って、どの程度の……」
『データ自体は、幸いってか触られた形跡が無かった。記録媒体がオレの私物だったからだろな本来褒められた事っちゃ無ぇんだけど! ヤられたブツはアレだ、ポートレート。六ツ切りの……ええと、B5くらいのヤツが三枚だ』
「…………データそのものじゃ無いなら……あぁでもスキャンしちまえば」
『そういうこった。取り敢えず動機が不純極まり無いってことで犯人は即日クビ切って、その後の沙汰をさあどうするかってトコだ。取り急ぎ当事者に報告と……謝罪が出来れば、って感じだな。盗られた写真も返還させたが、正直な所複製されて無いとも限らん。反則的に可愛いからな、あの娘は』
「ぐ、ゥ…………報告、すべきっすよね……ご本人」
『常識的に考えりゃモチロンそうだろうが……今、ってか明日の夜まで、アレだろ? あの子……』
「そうなんすよねェ……!! 先日聞いた話ではもう現地入りしてる時間ですし、お着替えしちゃったらスマホとか持ち歩いてないでしょうし……そもそも、こんなタイミングで伝えるべきなのかどうか……」
『デスマーチの直前にメンタル磨り減る案件とか……さすがにしんどいだろうな……申し訳無い』
「…………ああ、もう! とりあえずもう一人の保護者に相談してみますわ! オレ以上にあの子の事考えてくれるハズなんで!」
『すまん。落ち着いたら会社から直々に謝罪入れる。……後頼む』
「…………ウッス」
電話を切り、大きく深呼吸。伝えるべきことと今伝えるべきではないことを頭の中で整理しながら、祈るような気持ちでコールボタンをタップする。
耳に当てたスマートフォンから、無機質な呼び出し音が鳴る。二回、三回、四回、五回……やはり遅かったか、と落胆する直前。
『おほい? どしたモリアキ?』
「ッ!! 先輩スマセン! 今大丈夫すか!?」
『んー……?(ごめんシロちゃん、ちょっとだけ待ってもらっていい? ん、たぶん大丈夫。ごめんね)……大丈夫だって。でもおれちょっと精神的に立て込みつつあるから……』
「わかってます。……先輩、白谷さんちょっとだけお借りしていいっすか? 白谷さんに相談したいことがありまして」
『ほえ、モリアキん家行ってもらえばいい感じ?』
「そうっす。先輩お忙しいでしょうし、白谷さん一人ならフットワーク軽いかなって」
『確かになぁ。わかった、つたえとく。ほいじゃね』
「……頑張ってくださいね、先輩」
『…………おう! まーかせて!』
通話が切断されたことを電子音が告げ、その音を合図とするかのように大きく深く深呼吸。
……直接伝えることは憚られるタイミングだが、完全に秘匿することもそれはそれでマズいだろう。
オレ一人では……正直、正解を導き出せる自信が無い。
普段は保護者を気取ってる癖に、肝心なところで役に立たない。そんな自分が嫌になるが……今は自己嫌悪に陥っている場合ではない。
もうすぐ【門】を開き、ひょっこりと姿を現すであろう……先輩の頼れる『相棒』。彼女の助けを得るためにも、オレが正確な情報を伝えなければならないのだ。
ああ……それにしても、時期が悪い。
この年の瀬にこんな騒動なんて……年末年始何か良くないことが起こるんじゃないかと、そんな邪推も湧いて出てしまう。
もっとも、これはただの思い込み。何の理由もない思い付きに過ぎないけれど。
……先輩、どうかお気をつけて。
そう祈らずには、居られなかった。




