中編:占星術師のエルフ幼女 その1
それは夢だ。夢なのは明らかだった。
「うわあああ遅刻するぅ!」
その少年は、ファンタジー世界である日本という国にある町の一角を駈けていた。
そしてなぜかモノローグが流れる。
『俺、ユウキ・タチバナは中学三年生! 妹のルカ・タチバナは今日も俺を起こしてくれず、さらに不運にも目覚ましが鳴らなかったために、遅刻しかけているのだ!』
そうして町を駈けるタチバナ少年は、曲がり角で誰かにぶつかる。
「うわ、いたたた……」
しりもちをつくタチバナ少年。すると、彼にぶつかった、高身長で端正な顔つきをした、高校生らしき少年が、タチバナ少年に手を伸ばした。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ。大丈夫」
そうしてお互いの顔を見つめあい、お互い顔を赤くする。そのままの勢いで、男性同士の二人、禁断の愛の第一歩さえ飛び越えて唇を重ね……
………………
…………
……
「……ハッ!?」
ミカは全身に汗を流しながら目を覚ました。
ファンタジー世界の中で、男同士が唇を重ねるという、ミカの趣向とはまったく異なる、ミカにとっては悪夢になる夢を見て、目が覚めた。
さらに、ミカが目を開いた瞬間だった。
「……」
「……」
ミカは目が合った。自分の顔を覗き込んでいる存在に。
真紅色の瞳に、純白の髪を持ったエルフの幼女の姿が。
エルフの幼女は、ミカが目を開いてすぐ、言った。
「おはようございます」
「……わあああああ!?」
目を開いてすぐ、目の前に現れた見慣れない少女の顔に驚いたミカは、そのまま勢いよく飛び起きた。
そしてベッドの端に後ずさりして、ようやく今の状況を理解する。
「そ、そうか……君か。占星術師の」
「はい。占星術師です。おはようございます」
昨日青空の尻尾のパーティハウスへとやってきた占星術師の少女。その少女は自分を雇ってほしいとミカ達に言った。
ミカ達はとりあえず一泊させ、明日、つまり本日彼女をどうするか決めることにしていた。
「に、にしても、なんで君がここに?」
ミカが寝泊まりしている部屋は、アゼルと共用で使用している部屋だ。そして占星術師の彼女は、ミカ達の案内で、来客用の部屋に泊まっていたはずだった。
すると、その占星術師の少女は言った。
「いえ、占いによると、あなたがパーティで一番早く起きていらっしゃるようでしたので、起こしに参りました」
「そ、そうだな……確かに俺が一番最初に起きてる傾向があるが。それに確かに、いつもなら起きてる時間だな……ありがとう」
ミカは感謝を述べつつも、頭を抱えた。そんなミカを心配してか、占星術師の彼女が話しかける。
「いかが致しましたか」
「いや、ちょっと嫌な夢を見てな……」
「そうですか。それはどんな夢ですか?」
「ファンタジーの世界での話なんだが……男同士が唇を重ねてな……俺はそういう趣味が無いから……」
「なるほど。まるで私が、朝読んでいた本みたいですね」
そう言うと、占星術師の少女は、一冊の本をミカに見せてきた。
「暇でしたので、共用の本棚にあったものから一冊取らせていただきました。ショーティア、という方の本のようです。ファンタジー世界において、男性同士の恋愛を描いた作品でした」
「……俺の見た夢に似てるな」
「あなたが起きるまで暇でしたので、部屋で読んでいました」
「読んでたのか」
「はい。読み上げながら」
「なるほど、読み上げながら」
人は寝ている間も、耳は機能している。それは耳が大きい猫のリテール族ならなおさらだ。
そして寝ている間に耳に入ってきたものは、場合によっては夢に影響を与えることがある。
「……お前の、仕業、だったのか」
「なんのことでしょう」
首をかしげる少女に、ミカは肩を落とした。
とそのとき、同室で寝ていたアゼルが、むにゃむにゃと口をもごもごさせながら、寝言を呟く。
「むにゃ……ミカァ、今ウチらは男同士だぜぇ……なんてチューしようとしてくるんだぁ……」
「……あとでアゼルに、どんな夢を見ていたか問いたださないとな」
そしてベッドから飛び起きたミカは、そのまま部屋を出ようとした。
「俺は今から朝食の準備をするよ。君の分も作るから、楽しみにしていてくれ」
とミカが占星術師の少女に言うと。
「ご心配ありません。既に準備はできております」
「……へ?」
〇〇〇
その一時間後、青空の尻尾のパーティは、いつものように朝食を取るべく、広間へと集まっていた。
広間には、いつもと同じく朝食が並んでいる。今日はスクランブルエッグと焼きたての香ばしいパン、そしてミルクという、朝らしい食事だった。
自分の席に座ったショーティアは、ミカに感謝を述べる。
「ミカさん、いつもご朝食、ありがとうございます」
「ああ、実は今日は違ってな、彼女に礼を言ってくれないか?」
そう言って、ミカは自分の背後に隠れていた占星術師の少女を皆に見せた。
「実は今日の朝食、ほとんど彼女が作ってくれたんだ」
ミカが言うと、皆は一斉に驚きの声を上げた。
第一に声を上げたのはルシュカだ。
「ほ、本当でありますか!? たしかに、いつものミカどのに作って頂いている朝食とは、雰囲気が少し違うであります! 失礼してパンを一口……お、美味しいであります!」
「あらあら、香りもとてもいいですわ!」
「なんてことだ……僕が二番目に料理が上手だったはずなのに、三番目に格下げじゃないか!」
「ちょっとガリ猫、聞き捨てならないわ。彼女が二番目なのは確かだけれど、三番目はあたしよ!?」
「……にゃ」
シイカはカーテンの影でパンをむさぼると、カーテンの影から両手でピースサインを出した。これはシイカにとっての、最大級の賛辞だ。
と皆が占星術師の彼女を褒めたたえる。同時にアゼルも。
「すげぇな! 今朝『男になって、男のミカとチューする』夢見て変な気分だったけどよぉ、そんなもん吹き飛んだぜ!」
「あらあら、アゼルさん、そのお話をもう少し詳しく聞かせて頂けませんか?」
「ショーティアさん、俺からのお願いだ。その話はやめてくれ」
と、皆で占星術師の少女を褒めたたえた。その時、ふとクロが首を傾げる。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかった。名前はなんと言うんだい?」
クロが尋ねると、占星術師の少女は。
「お好きにお呼びください」
「え? なんでだい?」
「わたしには、名前はありません。わたしの雇い主は、今までわたしを好きに呼んでいました。親の顔もしらないため、正式な名前はありません」
少女の一言に、皆が一斉に黙ってしまう。そんな状態を打ち破ったのは、ショーティアだ。
「大変でしたね……お好きに呼んでも良いとのことなので、皆さんで、どのようにお呼びするか決めませんか?」
「おお、いいぜ! 聞いた話じゃ、今日ウチで雇うか決めるんだろ? なら、ウチらで呼び名決めようぜ!」
「そうでありますな。こんなに美味しい食べ物を作れるのなら、ぜひ雇いたいでありますし!」
「で、でもちょっと待ってよ皆。僕たちが前猫の名前を着けようとしたとき、大変だったじゃないか」
パーティで飼っている猫のユーキ。彼の名前を着ける際、皆で各々どの名前が良いかで、時間をかけてしまった。
同じことが起きるのでは、と考えるのは当然のことだ。
そこに、リーナが一言提案する。
「よくわかんないけど、そういうのは皆でその場で考えようとするから駄目なのよ。一度良い名前を考えて、夜皆で意見を出し合って決めないかしら?」
「リーナ、良い意見を言うじゃないか。俺も賛成だ」
ミカもリーナの意見に同意する。二人の意見に反発する者はおらず。
「あらあら。では、夜に決めましょう。この子を雇うか、いっその事パーティに入っていただくかもそこで。それまでは、どのようにお呼びしましょう?」
意見を求められたミカは、ショーティアに言った。
「そうだな。冒険者間では、名前がわからないとき、クラスの名前で呼び合ったりするな。学術士さん、聖魔導士くん、パラディンちゃん、のようにな」
「では、夜までは占星術師ちゃんと呼ばせて頂きます。それで良いでしょうか?」
占星術師の少女は、こくりと頷いた。
〇〇〇
そうして朝食を終えた青空の尻尾の皆は、占星術師の少女を家に置いて、依頼をこなしに行った。
占星術師の少女は自ら家で待っていると言い、皆気兼ねなく依頼へ向かった。
しかし大攻略の時期が近く、さらに大空洞の第二の入り口探索でヴェネシアートに冒険者が集っている都合上、目的であったBランクの依頼は無く、仕方なくCランクの依頼をこなした。
しかし、七人でかかればCランクの依頼は、もはや簡単になっているレベルで、午前中に依頼が完了してしまった。
そして今、依頼の報酬を手に、パーティハウスへと向かっている最中だ。
「なんだかウチら、前よりは強くなってる感じするなー」
「そうでありますなぁ! 以前はDランクの依頼だって無理であったであります!」
「あらあら。油断してはいけませんわ。ミカさんや、リーナさんの力が大きいですし、もっと精進しないとだめですわ」
「あなたたちを見ていると、あたしの前のパーティ、紅蓮の閃光の奴らにも見習ってほしく感じるわ」
「……にゃ」
と話している皆。その一番後ろを歩くミカは、クロの様子がおかしいことに気づいた。
「うーん……」
「クロ、どうしたんだ?」
クロはというと、腕を汲んで唸っていた。何か考え事をしているかのようだった。
ミカが尋ねると、クロが顔を上げてミカに言う。
「ミカ。あの占星術師の子なんだけど……」
「あの子がどうかしたのか?」
すると突然、クロは瞳を輝かせ。
「あの子の外見、僕が読んでいた『マンガ』のヒロインにそっくりなんだ!」
「ま、マンガ? ああ、最近若い奴らに流行っているっていう、絵の物語か」
「そうさ。マナストーンを利用した透写技術で、紙に描かれたものを他の紙に移す技術が発達したからね。それに最近、紙の材料となる樹木の栽培や、マナストーン技術の改良で、紙の生産効率も上がって、本が身近になった。それで、最近はマンガというのが人気なんだ。僕はマンガに限らず、色んな本を読んでいる。けれど、あの子は最近僕が読んだマンガに出てくるヒロインそっくりなんだ!」
いつもとは打って変って、饒舌になるクロ。さらにクロは、ミカに語り続ける。
「昔からね、幼いエルフの少女というのは、小説でもキーキャラクターで出ることが多かったんだ。アメリカや中国、日本といった幻想の国を舞台にしたファンタジー小説では出てこないけど、僕らの世界にそっくりな、剣と魔法の世界では、よくエルフの女の子がキーキャラクターに出てくるんだ」
「へぇ。確かに。俺はマンガは知らないが、小説はよく読むよ。確かにエルフの女の子は良く出てくるな」
「……昔の小説とかだと、僕らリテール族は、やられ役とかペットで出ることが多いのは残念だけどね。エルフの少女って、昔から神聖なものって考えられていたらしいから、そのせいかも」
すると、クロは顎に手を当てニヤリと笑みを浮かべると。
「あの占星術師の子も、不思議な感じがするよね。料理は美味いけど、俗世離れしてそうな気もする。まるでマンガや小説に出てくる、キーキャラクターだ。僕はあの子が気に入っちゃったよ。ぜひ僕らのパーティで一緒に過ごしたい」
「俗世離れねぇ……」
ミカは思い出す。今日の朝、占星術師の彼女が、男性同士の恋愛模様を描いた小説を読んでいたことを。
「……クロ、マンガに影響されすぎじゃないか?」
ミカが指摘すると、クロは一歩後ずさり、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「うっ……そ、そうかな。確かにマンガのキャラクターにそっくりだから、彼女を好きになるというのも、良くないかな……」
「それに、俗世離れしてるって言ってたが、あの子はたぶん、俗世離れしてるような子じゃない気がするぞ」
「どうしてだい? だって朝、自分の名前は無いって言ってた。ちょっと普通な感じじゃないな、と僕は思って、それでいてそんな彼女にワクワクしちゃったんだけど」
「まぁ、たぶん話してみればわかる」
クロは首を傾げると、ミカに言った。
「でもミカの言う通り、外見や少しの言動で判断するのは駄目だよね。あの子の事がよくわかるよう、夜までにお話してみるよ」
そうしているうちにパーティハウスへとたどり着いたミカ達。
玄関の扉を開き、皆が室内に入る。そのまま、今日の依頼の内容を振り返ろうと、広間へと全員が向かったのだが。
「……これは一体なんでありますか?」
ルシュカが言う。それもそのはずだ。テーブルには、美味しそうな昼食らしきものが並べられている。
そしてそんなテーブルの側には、エプロン姿の占星術師の少女が。
「お帰りなさいませ。依頼でお疲れでしょう。昼食をご用意しておきました」
「あらあら。なぜこの時間に戻るとおわかりで?」
「占いましたので」
そう言って、占星術師の少女は、あたまをぺこりと下げて言った。
「どうぞ温かいうちに、お召し上がりください」




