第九十八話『孤独ですか? いいえ、一人じゃないです!』
試合前のラリーで再認識した。葵君の卓球には龍さんの血が流れていることを。
パワフルなバックハンドも、流れる様なステップも、その全てが懐かしい。
込み上げてくる感情を今は心の奥に仕舞い込んで、目の前の相手へと意識を集中する。
俺も天才なんて言葉でメディアに持ち上げられる事もあるが、俺は自分がそんな存在では無いことを理解していた。
もとからの差を縮めようにも、努力の速度すら追い付かない人間がいることを知っている。
全ての期待を一身に背負い込み、極限まで研鑽し続ける人間を知っている。
誰よりも強く、心優しい人間を知っている。
技を磨き、より鋭く。心の摩耗は加速する。
俺が才能というものを明確に感じた相手はただ一人。龍司先輩だけだった。
目の前の少年がその二人目となるだろう。
葵君の卓球にはそれ程までのポテンシャルを感じさせられる。
だが、積み重ねてきた時間は嘘をつかない。
彼がどれだけの才能を持って、どれ程の時間を卓球に費やしてきたのかは分からない。それでもただ一つ確かな事がある。
先輩を救えず、己の無力を噛み締めたあの日。葵君が生まれるよりも遥か前から、俺はずっと力を蓄え、備えてきたのだ。もう二度と、誰も孤独にさせない為に。
才能の芽を守る為に、俺は葵君を万全の力を持って倒し切る。
空は広く、可能性は先へ先へと無限に広がっているのだと伝えてみせる。それが俺の最大の役目だ。
俺が君を孤独から救う。
* * *
ワシは今、歴史的試合を見ているのかも知れない。
破竹の勢いで勝ち上がってきた最年少出場者と全日本最多優勝記録を持つ王者との戦い。
そのラリーは一本一本が熾烈を極めた。
ドライブ対ドライブのまさに王道対決。
打ち合う毎に前進回転は増し、両者後陣に下がってのパワー対決となっておる。
互いに多種多様な技を持ちながらも、小手先の技術は使わずに、自身が持つ最大の武器をぶつけあっているように思えた。
昨今、現代卓球は高速化が進み、台上での戦術が進化している中、この大舞台で後陣に下がりながらのダイナミックな打ち合いが見られるとは思っても見なかった。
ド派手なラリーは会場を盛り上げ、観客達の視線を釘付けにする。
葵がバックハンドを振り抜けば、パパンも負けじとフォアハンドを振り抜く。
純然たる威力のぶつかり合い。
両者一歩も譲らない、意地と意地とのぶつかり合い。
ラリーは拮抗するものの、スコアは意外にもワンサイドゲームとなった。
互いに素晴らしいプレーが続くも、そのどれもが、僅かに王者が強かった。
一つ一つは小さな差でも、試合を通して見れば、その差はとてつもなく大きなものへと変わる。
パパンがここまで攻撃だけにこだわる試合は珍しい。
あくまでも正面から。
純粋な力の差を見せつけるように。
トリッキーなプレーも得意な彼が、ここまで正面対決にこだわるのには大きな意味があるのだろう。
それは新時代の才能に宛てたメッセージのようにも思える。壁の厚さを自らが示し、まだまだ先があるのだと。
三十歳を迎えてなお、最強の座は譲らないと。
父の背中は語っていた。
君達はまだ、走り出したばかりなのだと。
余計な事は考えずに、全力を尽くして上がって来いと。
会場の熱気を全て集める二人の天才。
真正面から放たれたのは、幾度となく世界の強敵達を打ち破ってきた絶対王者のフォアドライブ。世界最高峰の威力を誇る打球が、新時代の才能を真っ向から打ち抜く。
死力を出し尽くした先にある結末。
終わってみれば王者の圧巻のストレート勝ち。
しかし、東京体育館を埋め尽くす拍手と歓声が、この試合のレベルの高さを物語っていた。
敗北したはずの葵の顔にはかつてない程の笑顔が。勝利したはずの父の目には涙が。
「葵君、君は一人じゃない! 何度でも俺が相手になる。また来年も上がって来い!!」
王者は涙を拭う事無く、大きな声でそう叫んだ。
固い握手を交わす二人に鳴り止む事の無い拍手が響く。