第九十七話『懺悔ですか? いいえ、誓いです!』
俺の四回戦目の相手が決まった。
スーパーシードの俺にとっては初戦の相手だ。
「まさか、龍さんの息子と全日本の舞台で戦う日が来るとは思ってもみなかったです」
俺は目の前の尊敬する先輩に向かって言った。
「わざわざ時間作って貰ってすまんな。明日は大事な試合だし、すぐ帰るからよ」
二人きりのホテルの一室に、龍さんの低い声が響く。
「何言ってるんですか。龍さんの為なら、いつでも時間作りますよ!」
「あぁ、すまねぇな。あともう一つだけお願いして良いか?」
「はい」
俺は内容も確認せず返事をした。
「葵を救ってくれ。あいつが俺みたいになる前に」
震える声で龍さんは言った。
こんな先輩の顔は初めて見た。
「その為に俺は強くなりました」
俺の弱さが龍さんを孤独にしてしまった。だからもう二度と同じ過ちはおかさない。
「純、お前は優しいから、俺がこうなったのは自分の責任だと思っているだろ。それは違う。単に俺の心が弱かっただけの話だ。だから、恥を承知で頼む。葵を孤独から救ってくれ」
龍さんが大きな体を折り曲げて、深々と頭を下げた。
「やめてください! 龍さんが頭を下げる必要なんてないんですから!」
「これはお前にしか頼めないことだ」
「俺はあの日誓いました。絶対に誰よりも強くなると。そしていつか、龍さんの孤独を分かち合えるような人間になると。随分遅くなりましたが、俺は明日、それを証明します」
「恩に着る」
男二人の会話は数分にも満たなかったが、これ以上の言葉は要らなかった。
俺はただ、あの日果たせなかった誓いを果たすだけだ。
* * *
夢を見た。
俺が高校生だった頃の夢だ。
尊敬する先輩がいた。
誰より強いその人は、負け知らずのエースだった。
出る大会は全て優勝。勝つ事が当たり前とすら言われたその人は、それでもまだ高校生だった。
強過ぎたその人は、ずっと孤独だったのだろう。
絶対視される勝利への重圧は日に日にその重さを増す。だが、その重荷を肩を並べて分かち合うことの出来る選手はただ一人も現れなかった。
俺がそのただ一人になると誓った。
だが、俺はあまりに無力だった。
己の無力をあれ程までに嘆いたことはない。
悔しさと情けなさが俺を襲った。
重圧と孤独が先輩を蝕んでいった。
俺はそれを間近で見ていることしか出来なかった。
イップスという言葉が、まだ世に浸透する前のことだった。
それはある日、唐突に起きた。全国大会の最中、先輩は突如としてサーブを上げることが出来なくなった。
サーブのモーションに入ると、手が震えるのだ。これ以上はもう、戦いたくないと。きっと、先輩の心は限界だったのだ。常勝による圧力と、同じレベルで戦える理解者のいない孤独に。
それ以降、龍さんが公の場でラケットを握ることは無くなった。
あの日ほど涙を流した日はない。己の弱さが、彼を孤独にしたのだと。
あの時の感情が、俺を日本一へと育て、この椅子を守り続ける原動力を生んだ。
再び俺は誓った。
俺がラケットを握り続ける限り、もう誰にも、同じ思いはさせないと。