第九十五話『過ちですか? いいえ、必要な時間です!』
息子との十数年振りの再会から約一ヶ月が過ぎ去った。またもワシは大都会東京の地へと足を運んでいた。
その理由はただ一つ。
全日本卓球選手権大会。天皇杯・皇后杯を見届ける為じゃ。
年齢制限の無い、日本一の卓球選手を決める為の大会。七日間にも及ぶ戦いの末に、日本一の王座が決まる。
残念ながらワシは、足の怪我もある為、今年の出場は見送ったが、今大会はなんと、ワシの天才幼馴染が全日本デビューを飾るのじゃ。それを見逃す訳にはいかない。それに、なんといっても、うちのパパンは全日本で十回以上も優勝している日本のエース。その生ける伝説の勇姿を娘として、一人の卓球選手として見届けに来た。
女子の部には当然、ワシの世界一カワイイ孫も出場する。それに加えて、敬愛する愛川師匠も出場するということで、ワシとしてはイベント目白押しの大会なのじゃ。
ワシは現在、ママンと二人で大会前夜に東京のホテルに宿泊している。
出場者の葵やパパンは何日か前にすでに前乗りしており、今日も最終調整を行っていることじゃろう。
ワシとマミーはすでに夕食を済ませ、部屋の中でゴロゴロしていた。
「もぉう、みぃごとなぉBeef Stroganoffでぇすたね!!」
「うん、美味しかったよね!」
どうやらママンは、ディナーで出てきたビーフストロガノフをえらく気に入ったようで、先程からその話ばかりしていた。もしかすると、久しぶりの故郷の味が懐かしかったのかも知れない。
「ママは緊張しないの?」
ワシはふと気になったことを口にした。
「なぁんでぇ、どぇすか?」
「パパ、今年も優勝出来るかなって」
「だぁいぞぉーぶどぅえす。ずぇったいにかぁちます!!」
その言葉には一ミリの疑いも無かった。
「流石の自信だね」
この二人の夫婦愛には度々驚かされる。
「そぉれぇに、まぁけたっていいんどぇす。また、たちあがぁれば、かちだぁから」
そのカタコトな言葉の中には、確固たる信念があり、今のワシの胸にも強く響いた。
また、立ち上がれば良い。その通りだ。
ママンの瞳はいつだって、前を向いている。
そんなパートナーがいるからこそ、パパンはこれまで、第一線で戦い続けることが出来たのじゃろう。
* * *
一夜明け、開会式。
国旗掲揚に続き昨年度の男女シングルスチャンピオンの水咲純と碇奏より天皇杯、皇后杯の返還が行われた。
パパンと孫の登場に緊張しながらも、ワシはどこか誇らしい気持ちでいた。
「日頃の練習の成果を発揮し、最後まで堂々と戦います!」
東京体育館に訪れた全ての人の視線を集めながら、愛しの孫が選手宣誓を行った。
会場を包み込む拍手の量は、奏のファンの多さを示していた。
もちろんワシも観客席から全力で拍手を送ったファンの一人である。
そんな大盛り上がりの中、大会は無事スタートした。しかしながら、ワシにとっての楽しみは大会三日目からである。
一日、二日目は、混合ダブルスや、出場年齢の決まったジュニアの試合などがメインで、葵や奏が出場する男女シングルスは、三日目からなのだ。更に付け加えれば、パパンは第一シードの為、四回戦からのスタートとなり、我らが日本のエース登場は四日目からである。
そんな経緯もあり、今日はゆっくりと色々な人の試合を見て回ろうと考えておる。
まだ知らぬ才能の原石や、ダークホースと呼ばれるような選手を探すのも大会観戦の醍醐味じゃ。
出場しないからこそ見える外側からの景色や気付きもある。全てが学びの場ということじゃな。
思えば、純粋に見る側として卓球を楽しむのは久しぶりかも知れない。
一見すると足の負傷は回り道のようにも思えるが、この負傷が無ければ息子と再会することも無かったかも知れない。
人生とは実に過ちから学ぶことが多い。
それに運命とは不思議なもので、その瞬間は駄目だと思った出来事も、歩んだ道を振り返った時に、その一つの出来事が成功への分岐点だったりもする。二度目の人生を歩むワシだからこそ、強く実感するのじゃろう。
ワシはリュックから双眼鏡を取り出す。
覗き込んだレンズの先には、これからスターになるかも知れない原石達がラケットを振るっている。
ワシはその光景を脳裏に焼き付ける。
近い将来、自身がこの舞台へと上がり、奏や師匠と肩を並べて試合をする日を思い描きながら。