第九十四話『子どもですか? いいえ、もう立派な父親です!』
「えっ、どっ、どうしたレイナ?」
急に奇声を上げた我が子を見つめ、心配そうな眼差しのパパン。ピンチに強い流石のパパンも助走無しの娘の奇行に動揺の色が見受けられる。
はっ! しまった!!
あまりに唐突な息子との再開に思わず奇声を上げてしまった。
「あっ、えっと、いや、その、気合いを入れていただけ!!」
こうなればもうパワープレーである。
『え?』
パパンと息子の声が重なる。
「私、これからリハビリが必要だから。気合いを入れていたの!!」
気合いじゃ! 気合いじゃ! 気合いじゃ!
もうどうせ整合性などとれまい。
ならばもう、この一本槍で言い張るしか道は残されていない。
「き、気合いですか……。あぁ、その、自己紹介がまだでしたね。私はお父さんのスポーツトレーナーをやっている碇護と申します。よろしくお願いします」
ワシの奇行に顔は少々引きつっておるが、子ども相手にも丁寧に頭を下げるその姿勢、さぞ親の教育が良かったのじゃろう。まぁ、こいつの親、ワシなんじゃが。
「水咲レイナと申します。いつも父がお世話になっております」
正直に言えば、自分のパパンが自分の息子にお世話になっているという事実に頭の整理が追いつきそうにない……。
「いえいえ、お父さんのような素晴らしい選手のサポートをする事が、私にとっては何よりの喜びですからね」
すっかりシワが増えたようじゃが、温和な声音は昔から変わっておらんなぁ……。
月日が与えてくる抗えない衝撃に、思わず右目から涙が溢れ出した。
「レイナ!? ど、どうした? 今日は体調が悪いのか?」
そりゃあ、流石のパパンも動揺くらいするだろう。娘が急に奇声を上げたと思えば、突如泣き出したのだ。
はたからみれば今のワシは反抗期の家出少女なみの不安定さである。
パピィが驚くのも当然じゃ。
「あの、私、最近怪我をしてしまって。何か効果的なリハビリ方法があれば教わりたくて、父に連れてきて貰いました。よろしければ、診てもらえませんか?」
ワシは自らの近況を息子へと伝えた。
「あぁ、腰周りと左足だね。半月板かい?」
「え!? なんで分かったのですか?」
「いや、立ってる時の重心が変に片方だけをかばっているように見えたからね」
「す、凄い……」
護のやつ、いつの間にこんなにも成長して。
「コルセットもつけているみたいだし、腰の方は腰椎分離症かな? 膝に関しては既に病院でも治療は行われているね」
「は、はい」
ゆったりとした服の上からでもコルセットの存在を見破ったのか。それに加えて膝のことまでこと細かに言い当てるとは、恐るべし我が息子。
「なら、身体への負荷も考えながら、ストレッチや軽い体幹トレーニングから始めようか。ちょっと待ってね」
護はそう言って、部屋の中央の少し広いスペースに、青色のストレッチ用マットを敷いた。
「さぁ、ここへ」
ワシは息子の言葉のままにマットの上に立つ。
「ストレッチの効果はね、案外馬鹿に出来ないよ。関節を支える筋肉や靭帯の緊張を緩めて、柔軟性の向上にも繋がる。それは今後の怪我の防止にも繋がるし、今まで以上のパフォーマンスの向上も望める。さぁ、私と同じポーズをとってくれるかい?」
息子の言葉に従い、ポーズを真似して、膝、太もも、お尻の順に各部位を伸ばしていく。
「痛みを感じない程度にね。あと、呼吸をなるべく止めないで」
「はい」
不思議な気持ちじゃ。
こうして十数年振りに再開して、息子から指導を受けているのじゃから。
相手はまさか、目の前の金髪少女の正体が死んだ父だとは考えもしないじゃろうが。
そんな不思議と心地良い時間の中、三十分近くもゆっくりとストレッチを行った。
たわいもない会話をいくつもした。
ここは仕事をする為だけに借りている部屋で、家族とは別の家で一緒に暮らしているのだとか。
いやぁ、一安心。どうやら、ワシの可愛い孫をこんな懐かしさ溢れる場所で育ているわけではないらしい。
ワシが愛しの孫に思いを馳せていると、不意に護が口を開いた。
「私にも娘がいてね。レイナちゃんも知っているかも知れないけれど」
「はい、奏選手ですよね! もちろん知ってます! 日本一の選手ですから!!」
何せワシの孫じゃからな。
「うん、親バカかも知れないけれど、あの子は私に似なくて、とても才能に恵まれた子なんだ。父も奏には期待していたなぁ……」
護はそう言ってどこか遠い目をしていた。
「お父さんと何かあったのですか……」
ワシは聞かずにはいられなかった。何があったのかなど知っていたのに。しかし、どうしても、息子の本当の気持ちが聞きたかった。
「いやぁ、つまらない話だよ?」
「聞きたいです」
ワシは息子の目を正面から見つめる。
パピィが一瞬、娘の急な言動を止めようと間に入ろうとしたが、ワシの視線から何かを感じとった護が再びゆっくりと口を開いた。
「私の父は卓球選手だったんだよ。それはそれは強い選手で、世界大会で優勝したこともある程の選手だった」
「えー凄い!」
ワシなんじゃがな。
「私はそんな父が誇りだったし、父の指導もあって、小さな頃から卓球をはじめた。父は私にオリンピックの金メダルを獲らせたかったのさ。自分が現役時代にはオリンピックの競技に卓球はまだ含まれていなかったからね。でも残念なことに、私に卓球の才能は無かった。私は自然とラケットを手放し、選手を支える側の今の仕事の道を選んだのさ……」
「人を救える素晴らしい道じゃないですか」
息子の苦しそうな口調に思わず、言葉を挟んでしまった。
「うん、この道を選んで後悔した事はない。むしろ、後悔はその後のことなんだ」
「その後?」
「私はこのスポーツトレーナーという仕事のおかげで今の妻と出会った。妻はテニスの選手で、彼女のリハビリを手伝う内に親密になった。そうして、彼女と結婚し、妻との間に奏が生まれた。最高の瞬間だったよ」
「まさに順風満帆ですね」
ワシは話の続きを知りながらも合槌を打った。
「あぁ、奏は妻の運動神経を引き継ぎ、類稀なるスポーツの才を持っていた。その奏の才能を見て父は、孫に己の悲願を託そうとした。私もそのことが誇らしかった。自分には達成出来なかったことだけれど、自分の娘が父の願いを叶えるのだと。そこまでは順調だった。父は孫に全てを教え込もうとした。しかしその熱量は強く、スポーツトレーナーの私からすれば、オーバーワークに思えた。奏自身もおじいちゃんっ子で父を凄く慕っていた。しかし、私はオーバーワークを見過ごせなかった。そして、ある日、奏が足をつった時に、私は父を怒鳴りつけてしまった。孫に夢を押し付けるなと。それっきり、私と父は疎遠になり、私が謝る間もなく、父は亡くなってしまった。悔やんでも悔やみきれないよ。もっと別の伝え方があったはずなんだ……」
息子の言葉に自然と涙が出た。
「ごめんね、変な話をして。子どもにする話じゃないよね。レイナちゃんは大丈夫だよ。大きな才能があって、お父さんもきっと鼻が高いよ」
何かを取り繕うように、護は急いで言葉を紡いだ。
「護さんは何も悪く無いよ。きっと護さんのお父さんも、今の護さんを見たら、その時の判断は間違っていなかったって言うよ。ただきっと、言葉のすれ違いがあっただけだって。絶対! 絶対にそうだよ!!」
ワシは泣きじゃくりながら、我が息子へと思いを伝える。
「ふふ、ありがとう。何かつっかえていた物がとれた気がするよ」
息子の笑顔に、更に涙が出た。
くそぅ、涙腺そのものは若いはずなのに。
「いえ、こぢらごそ、急にすびまぜん」
涙で鼻も喉もつまり、もうまともに話せそうにない。
「純君、いい娘さんを育てたね」
護がパピィの目を見つめて静かに言った。
それは紛れもなく、一人の父親の顔だった。
「日々様々なことに気付かされます。この子と一緒に成長していると感じるのです」
「あぁ、素敵な親子関係だね。これからも大事にね」
護のその声はどこか晴れやかで、先程よりも明らかに伸び伸びとした明るいものに思えた。