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第九十二話『当たり前ですか? いいえ、特別です!』

 目が覚めたら、日本一になっていた。こんなにも釈然としない優勝は初めてかも知れない。日陰鳴の怪我で試合は続行不可能に。そして、その判断が下された直後に、ワシは意識を失ったそうじゃ。なんともやるせ無い結果じゃ……。


 男子の部は決勝で葵と蓮がぶつかり合い、葵がストレート勝ちで優勝したそうじゃ。ぜひとも生で試合を見たかったが、ワシが意識を失っている間に試合は終わっていた。


 その他にも日陰鳴の容体など、気になることは山積みじゃが、現在、ワシの知らされている情報は限られていた。


 見知らぬ病室で意識が覚醒し、言い渡されたのは、左足の半月板損傷と腰椎分離症という傷病名だった。どうやら大会会場の近くにある奈良県の病院に運ばれたようで、今はそこでお世話になっている。


 不幸中の幸いなのが、若い身体のおかげで、退院後も一年近くしっかりリハビリを続ければ怪我が癖になる可能性は少ないそうだ。


 スポーツ選手にとって、怪我の癖は最も注意すべき事項の一つ。


「はぁ」


 一年か……。


 やはりワシが間違っていたのかも知れない。


 ワシは前世で、己のひとり息子と大喧嘩をしてしまっていた。そしてそのまま謝ることも出来ずに死んでしまった。


 怪我の恐ろしさへの認識不足。あの時もそうじゃった。


 ワシが過去の過ちを振り返ろうと、記憶の蓋に手をかけようとしたタイミングで、病室のドアがゆっくりと開いた。


 白衣を着た背の低い優しそうなおじさんが病室へと入ってくる。


「一週間退屈だったかな? 今日からお家に戻れるよ」


 柔和な雰囲気のお医者さんがゆっくりと語りかけてくる。


「はい、大変お世話になりました」


 ワシは言葉とともに頭を下げる。


「分かっているとは思うけれど、しばらくは安静にね。それと、これからも卓球を続けたいのなら、今回みたいな無茶はしないこと」


「はい、気をつけます……」


 返す言葉もない。


「少し厳しい言い方になるけれど、努力と無茶は別物だよ。若い才能が潰れるのを見るのは居た堪れない。それにね、君の身体は君だけのものではないのだよ」


「はい」


 含蓄のある言葉を胸に刻みながら、ワシは深く頷いた。


「ロビーにお母さんがお迎えに来ているよ。君はきっと賢い子だから、お母さんの気持ちが想像出来るよね? さぁ、行っておいで」


 柔らかな笑顔とともに優しく背を押され、ワシは病室を後にした。



 病院内のロビーにはママンが一人で待っていた。ワシが向こうへ近づくと、それに気づいたママンが小さく手を振ってくる。


 ワシも最愛の母へ向かって手を振り返しながら駆け寄っていく。


「ぶぅじぃでよくぁった……。ほんとぉに、ほんとぉに」


 両目に大粒の涙を浮かべたママン。震えながら発するカタコトな言葉にワシの涙腺がゆるむ。


「ごめんなさい。心配かけて」


 大切な母親にこんなにも心配をかけた自分が情け無い。


 この身体は、己一人のものではないのだ。


 己が傷つき痛むのは、己の身体だけではない。


 大切な者が傷ついた時、その周囲の心も深い傷を負う。そんな当たり前のことを失念していたのだ。


 死してなお、愚かな自分を恥じる。


 しかし、ワシには二度目の生が与えられている。


 次こそは同じ過ちを繰り返さぬよう、この出来事を心に刻む。


 一歩前へと足を踏み出す。


 白く細い母の手を引き寄せる。


 いつも底抜けに明るい母の手が小刻みに震えているのが伝わってきた。


 黙って静かに身を寄せる。親子二人、身体を抱き合い、ひとしきり涙を流し尽くし、ワシらはゆっくりと病院を後にした。




 * * *


 退院して二週間、日常生活を送るには問題なく足も動くようになっていた。


 ワシを心配していたパピーとマミーにもようやく元気が戻ってきたところじゃ。


 キッチンからはキャベツを切る心地良い音が聞こえる。ママンの手料理は世界一。今日の晩御飯は豚カツじゃろうか?


 ワシが握力を鍛える器具をにぎにぎしながら、テレビに映る水戸○門をぼーっと眺めていると、不意にパパンが口を開いた。


「来月、パパがお世話になっている東京のスポーツトレーナーに会いに行く予定なんだけれど、レイナも一緒に行くか?」


「えっ! 行きたい!!」


 パパンが信頼している人ならば、間違いなく一流のプロに違いない。


 千載一遇。渡に船とはこのこと。なんとタイミングの良い巡り合わせ。


 ワシが己の幸運を噛み締めていると、キッチンから聞こえる調理の音が止んだ。


「ふぅたぁるぅともぉー、ごはんできますたぁよぉー!!」


 キッチンからママンの声が聞こえる。


『はーーい!』


 パピーとワシの返事が重なる。


 二人同時に腰を上げ、食卓へと足を運ぶ。


 穏やかないつもの光景。


 それがどれだけ貴重なことか。


 ワシは己の幸福と目の前に並べられた豚カツを同時にゆっくりと噛み締めた。


 口いっぱいに広がる肉汁。心を隅々まで広がる幸福感。


 肉の甘みと人の温かさ。


 当たり前ではないその双方を噛み締め、明日の活力へと変える。


「ありがとう」


 自然と口を出たその言葉。


 死ぬ前に、言うべき相手がいた言葉。


 今の幸福と過去の後悔を噛み締めながら、ワシは未来へと進むことを決めた。


「わぁたしぃこぉそ、うまれぇてきいてくれて、ありがとでぇすよ!」


 不意に言われたママンの真っ直ぐな言葉に、パピーもワシも同時に笑顔を浮かべるのであった。

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