第九十話『引き下がれない意地ですか? いいえ、引き返せない過ちです!』
緩急、視線誘導、コースの打ち分け、回転量の調整。それら全てを駆使して、地道な一点を積み重ねていく。
派手な得点は奪われても、得点差は開くことなく試合が進む。
スーパープレーも地味な凡ミスも、結果としては同じ一点。
相手のフラストレーションを溜めながら、自身の反撃チャンスを確実なものへと変えていく。
そうして、泥臭くも確実な得点を拾い続け、ついに一セット目のゲームポイントを迎えた。
前世の経験上からも、この手のスーパープレイヤーの素質を持った選手を相手取るには、正面からの打ち合いよりも、自身のミスを徹底的に減らし、相手のミスを誘発するのが効果的じゃ。
老獪極まる戦術じゃが、それは偏に、目の前の少女の実力を認めているが故。
ネットスレスレの短い打球。
小さな駆け引きの連続。
我慢の限界をむかえた相手が、無理な体勢で強打を放つ。
そう、それを待っていた。
僅かに回転の甘いドライブに渾身のカウンターを叩きつける。
心地良い打球音が確信を与えた。
打球の行き先を固唾を呑んで見守っていた審判がスコアボードを捲る。
水咲 11-9 日陰
強烈なドライブに防戦が続く展開もあったが、冷静に展開を見極めたワシが、第一セットを制した。
順調過ぎるスタートじゃ。しかし、一つ気になるのは、事前に動画でも予習した、日陰鳴の最大の武器がまだ使われていないこと。
防御を捨てたフルドライブを警戒していたが、使う素振りすらない。
油断や慢心の類いならば、こちらとしては構わないが、何か他に特別な事情でもあるのか……。
コートチェンジを行い、二セット目が始まる瞬間、苛立ちを隠そうともせず、日陰鳴が口を開いた。
「おめー、足痛んでるだろ? どーせ俺に負けんだ。この試合は諦めろ」
「は?」
あまりにも唐突なその言葉に疑問符だけが口を出た。
「おめー、無意識に左足を庇って動いてんだろ? オーバーワークの証拠だ」
「そんなに大した痛みじゃない」
確かに先程の試合では、足に僅かな違和感を覚えたが、アイシングもした上でこの試合に望んでいる。今はまったく痛みもない。
「そーかよ、警告はした。後は好きにしな。そのかわり俺も好きにするぜ」
彼女は吐き捨てるようにそう言って、フリーハンドでトスを上げた。
ネットギリギリのショートサーブ。
ワシは前へと足を踏み出し手首を使った返球をする。
そこからのラリーは一セット目とは打って変わった内容となった。
パワープレーにより押し切るだけの一辺倒だった相手の打球は、短いボールや台の角を狙った、相手を動かす卓球へと変わっていった。
じゃが、フットワークには自負がある。
ワシの夏は全て卓球に捧げた。
これしきの揺さぶりに負けるような鍛え方はしていない。
ニセット目も接戦となる。
互いが縦横無尽に素早く動き、際どいコースを狙い合う。
汗が飛び散り、心拍数が上がる。
意識はより鮮明になり自身のパフォーマンスが上昇していくのを感じる。
しかし、エイトオールを迎えた瞬間、僅かにではあるが、左足に痛みを感じた。
じゃが、こんな痛みなど、今までだって何度と経験しておる。
ワシは更にギアを上げ、畳み掛ける様に猛攻を仕掛けた。
ここが勝負処。
この局面は必ず取る。
そうでなければ、今までのワシを否定することに繋がってしまう。
ワシの脳裏には、生前に犯した取り返しの付かない後悔の記憶が浮かんでいた。
ワシは己の過ちから逃げるようにして、全力でラケットを振り抜いた。
暗い穴から目を背けるように、己の足を酷使する。
深い深い闇の中をあてもなく進んでいく。
自傷行為にも思える痛みの中、意識が現実へと回帰する。
気がつけばワシは、左足の激痛とともに、第二セットを手にしていた。