第九話『難敵ですか? いいえ、超難敵です!』
試合前のラリーが始まる。ただのラリーといえど、この段階で相手の実力はおよそ見当がつく。目の前の銀髪幼女は間違いなく強者じゃ。ボールのリズム、ホームのキレ、どれをとってもバンビ最強クラスじゃろう。いや、その上のカブ、ホープスですら通用する動きじゃ。
相手選手のラケットはシェークハンド。両面には粘着系のラバーが貼られており、今までの試合を見る限り、おそらくは回転重視のドライブマンじゃろう。ドライブ勝負ならば負けはせん。
サーブ権が相手側に決まり、いよいよ試合が始まる。
銀髪の長い髪が揺れ、ボールが天高く舞う。
ほう、投げ上げサーブか。
落下速度による勢いをいかした強烈な下回転サーブがバック側へと跳んでくる。それをワシは回り込み、ボールの底を力強く擦り上げる得意のフォアドライブで仕掛ける。
ワシの放った打球が相手のラケットに触れた瞬間、前進回転の威力が強烈に作用し、ボールはあらぬ方向へと跳んでいく。
塔月 0ー1 水咲
先取点は頂きじゃ。
「ふーん、しゅこしはやるみたいね」
最初の1点を奪われたというのに、相手選手の小さな顔には余裕の笑みがはりついている。舌足らずな言葉とは対照的な威圧感を纏っている。
再び天高く上がったトスから、今度はスピード重視のロングサーブがワシのバック側を襲う。台詞は甘噛みでも、プレイ自体は激辛だ。流石のワシもこの速度では回り込めない。ワシはバックのショートで敵のバック側へと返球する。サウスポー同士のクロス対決。
しかし、それを読んでいたのか、すでに回り込んでいた相手が強烈なフォアドライブを打ち込んできた。ワシのラケットに触れたボールは、強烈な回転の勢いを殺しきれず、打球はコート外へと飛ばされた。
塔月 1ー1 水咲
「仕返しよ」
そう言って、小さく微笑む銀髪幼女。
真っ白なボールが青色の台上を高速で行き交う。白い軌跡がブルーのキャンバス上で芸術的な線を描く。それは力強くもしなやかな線だ。
塔月 2ー1 水咲
脈打つ心臓の音が告げる。こやつは強いと。心地良い打球音を感じながらも、頭の中はフル回転している。ある有名選手はこう言った。卓球とは100メートル走をしながらチェスをするようなスポーツだと。運動量もさることながら、頭をフル回転させて戦う頭脳派スポーツだ。ワシはあらゆる展開を想定しながら、コースの打ち分けをする。
塔月 2ー2 水咲
そこからは激しい点の奪い合いが始まった。シューズが床に擦れる時の独特の甲高い音が響く。乾いた打球音が鼓膜を揺らし、心に火をつける。全身の筋肉の伸縮さえ感じる。
塔月 9ー11 水咲
夢中で白球を追いかけている内に、気がつけばワシはワンセットを先取していた。
コートチェンジの前に、互いにベンチへと戻る。
「いいぞ、回転量もスピードもレイナが上だ、このまま次のセットも取るぞ」
ベンチに立つパパ上が落ち着いた様子で話す。
ワシはその言葉に短く頷き、スポーツドリンクを軽く含み、再び戦場へと戻る。
そしてちらりと相手選手の様子を覗き見る。すると、その異変はすぐさま伝わってきた。
目の前の幼女の顔つきが明らかに変わっているのだ。つい先程までは試合中だというのにそのままになびかせていた銀髪のストレートヘアが今は青色のヘアゴムによって一つに結われている。
「覚えたわよ、水咲レイナ。確かにあんたは強い、でも勝つのは私、塔月ルナよ。さぁ、来なさい、おどってあげりゅ」
1セットを失ったというのに、その台詞はまさに、挑戦を待ち受ける強者の在り方そのものだった。しかし、甘噛みする所は年相応で可愛らしい。ふと相手の顔を覗くと、白い頰に僅かな朱色が刺している。
じゃが、いくら可愛い幼女とて、それとこれとは話が別じゃ。勝負の世界を教えてやるわい。
フリーハンドでトスされた球が真っ直ぐに天を衝く。ワシはサーブのモーションに二段階のフェイクを混ぜ、右横回転のサーブを繰り出す。しかし、流石と言うべきか、目の前の幼女は回転の方向をすぐさま看破し、鋭いツッツキで返球する。ワシはそれをフォアのスピードドライブで返す。ストレートの角をつく渾身の球だ。先程までの流れならば、間違いなく点が取れる。このゲームも先制点は貰いじゃ。ワシがそう確信した瞬間……。
ーー床とシューズが擦れ合う甲高いスキール音が響く。
塔月ルナは軽やかなフットワークで後陣へと下がり、素早い腕の振りで、空気を切り裂くような鋭いバックカットを繰り出した。
水咲 0ー1 塔月
動揺したワシは、そのボールをネットにかけた……。
「私はカットマンよ? 今まではカットを使うほどのドライブマンと当たらなかっただけ。私にカットを使わせたのだから、光栄に思いなしゃい」
目の前の銀髪幼女が得意げに言い放つ。
なん……じゃと!? 先程までの見事な両ハンドドライブは本来の戦い方ではないのか?
それにしても噛むのなら、難しい言葉を使わなければよいのに……。しかしそれはそれとして、この幼さにしてこの語彙量。目の前の銀髪幼女は、卓球だけではなく、勉学の方面においても天才的な才能を持っているようだ。
あぁ、しかし、まずいことになった。まさかバンビの部でまともなカットが使える相手など想定していなかったからな。幼女の身体になってからはカット打ちなど、ろくに練習しておらんかった……。
水咲 7ー11 塔月。
ワシもそれなりに善戦はしたが、いきなりの戦型チェンジに動揺し、2セット目は奪われてしまった。
3セット目は、カット対策で回転量の多い弧を描く軌道のループドライブを試すが、この小さな身体の膂力では満足のものが打てなかった。
セットカウント
塔月 2ー1 水咲
まずい、次のセットを取られれば負ける……。
あれを使うしかないのか。ワシが頭の中で一人逡巡していると、対面の敵が口を開く。
「まさか、このままで終わり?」
台を挟んでこちらを見つめてくる銀髪幼女。その瞳には、失望の色が見て取れる。
「まさか、試合の醍醐味はこっからじゃよ!!」
「じゃよ?」
怪訝な顔でこちらを見つめる塔月ルナ。
「と、とにかく勝負はここからだから!!」
僅かな動揺を誤魔化すように、ワシは叫び、構え直す。
サーブはシンプルなロングサーブを選択する。先程の反省点を踏まえて、ストップレシーブとドライブの連携で、相手を前後に揺さぶっていく。
先取点をもぎ取ったワシは、その流れで若干のリードを保つ。
水咲 6ー4 塔月
秘策を使うならば今だ、次の得点は間違いなくこの試合を左右する。ワシが次の点を取れば 7ー4、相手が取れば 6ー5。この差は精神的にも大きい。
相手がサーブをトスした瞬間、ワシは台の下でラケットを左手から右手に握り変える。
ワシのフォアドライブを警戒した相手は、バックの角に勢いのあるロングサーブを出してくる。じゃが、もはや、ワシにとってそこは、フォアハンドの絶好球。
「これが本当のオールフォアじゃ!!」
右手に構え直したラケットで、全力のフォアドライブをかます。
ワシのあまりにも予想外の攻撃に、塔月ルナはラケットを振ることすら忘れていた。
加速した白球が彼女の横を通り過ぎる。
一瞬の沈黙の中に、床を跳ねる白球の音だけがリズムを刻む。
「そ、そんな、利き手を変えたというの!?」
目の前の銀髪幼女は、動揺も隠さずに叫ぶ。
かっかっか!! 前世でのワシは、右利きじゃわい!!
これぞワシが生み出した、秘技、スイッチドライブじゃ!!
変幻自在のスイッチ打法により、勝負の流れはこちらに傾き始めた。
その勢いのままに4セット目は連続得点によりワシが制した。
次はいよいよ、運命の5セット目。恐らくもう奇襲は通用しないじゃろう。相手選手の対応力が並ではない。まさか、フルセットまで追い込まれるとは、試合前には想像すらしていなかった。
ベンチに戻り、タオルを手に取って額から流れる汗を拭く。
「レイナ、いいタイミングで仕掛けたな。あと一押しだ」
練習の時からこのスイッチ打法を見てきたパパンが優しい笑顔を浮かべながら言った。おそらくは具体的なアドバイスを娘に与えたいのが本音なのだろうが、それは世界トッププレイヤーとしてあまりに公平性を欠くと考えているのじゃろう。ワシは水咲家の娘歴で言えば三年半じゃが、それでも見えてくるものがある。彼にとっては、このベンチコーチ自体が公平性を考えた場合のギリギリのラインなのだろう。観客席からは母上のカタコトながらにも必死な応援が聞こえてくる。
あぁ、ワシはこの両親の愛に応えたい。
流れた分の水分を補給し、ワシは自身に気合いを入れる。
『集中』
ワシの呟きと、相手の呟きがシンクロした。
相手のサーブから、ラストゲームが始まる。互いに、今見せられる手口は見せ合った状態。自ずとラリーも慎重になり、長い膠着状態が続く。
塔月 5ー4 水咲
フルセットの最終ゲーム、片方の得点が5点に達したのでコートチェンジを行う。
くそ、相手の得点で立ち位置が変わる展開は嫌じゃな。まぁ、しかし、気持ちを切り替えるしかあるまい。
スコアボードに表示されている得点は絶妙なバランスで均衡が保たれている。追い抜いては、追い抜かれ、並んでは、離され、離されればまた並ぶ。まさにこれがシーソーゲーム。
気がつけば試合はデュースにもつれ込み、先に2点差でリードした方が勝ちとなる展開にまで広がっていた。サーブ権が1本交代になったことにより、試合は更に長引くこととなる。
塔月 13ー14 水咲
水咲 14ー14 塔月
塔月 15ー14 水咲
水咲 15ー15 塔月
全身から溢れる汗に不思議と不快感はない。今この瞬間が楽しくて仕方がない。
更に交互にポイントを重ね続けるワシら。
キレのあるカットにより、またもリードを奪われるが、まだまだワシはやれる。
ワシの全力のドライブを、塔月ルナの鋭いカットが拾う。ワシは不規則にラケットを持ち替えるが、相手もそれに順応する。
ワシの激しい攻撃を、相手の鉄壁の守りが防ぐ。最強の矛と最強の盾、果たしてどちらが強いのか。そんな矛盾に答えを出すかのように、ワシらのラリーは勢いを増し続ける。
しかし、先に綻びを見せたのはどうやら、最強の盾のようだ。
先程から徐々にではあるが、カットの軌道に甘さが生じている。
ワシはここぞとばかりに勢いのあるフォアドライブを打ち込む。
確かな手応えを感じた。これでスコアは再び並ぶはず。そんな考えが油断だったとでもいうのか、相手が苦し紛れに手を伸ばしたボールがネットに引っかかり、そのままこちらのコートへと落ちる。
ワシは全神経を集中させながら必死に手を伸ばす。
「頼む、届け!!」
ラケットの先にボールが触れる。僅かにボールが宙へと浮く。
頼む、頼む、頼む。
世界の全てがスローになっていた。
だが、しかし、ワシはこの時点で理解していた。ワシの数多の経験がこのボールの行方を誰よりも先に己へと知らせていた。
その予測通り、ボールがネットを越えることは無かった……。
塔月 25-23 水咲
試合が終わり、握手を交わす時間……。
目の前には涙で瞳を濡らす、勝者の姿があった。
「こんな終わり方で、こんな終わり方で負けたなんて思わないでよね! だって、最後の打球は、私が……」
目の前に立つ幼女の青い瞳から、次々と涙が溢れ出している。これではどちらが勝者なのかわからない。
「最後のネットインは、私のドライブの威力が足りなかっただけ。それに、ネットインを返せなかったのも、私の実力不足。だから、今日はあなたの勝ち」
気がつけばワシは、相手が幼い子どもということも忘れて、思っていることをありのままに伝えていた。
「あなたじゃないわ、私はルナ、ルナと呼びなしゃい。この勝負の続きは全国大会で決着をつけるわよ。だからレイナは私に当たるまで、絶対に誰にも負けちゃダメなんだから!!」
その真っ直ぐな言葉に、ワシの心は深く感銘を受けていた。
勝利してなお、納得がいかなければ悔しがることが出来る。これはもはや、天性の才能だろう。ワシの目の前にいる幼女は、尊敬すべき卓球プレイヤーの一人だ。ワシはその強さに、憧れすら感じている。ワシはおそらく、この子のファン第1号であり、ライバル第1号となったのだ。
「約束する、次にルナと戦うまで、私は絶対に誰にも負けない」
試合が終わり、最後の握手の代わりに交わされたのは、小さな幼女たち二人の小さな小さな指きりだった。