第八十四話『潜水ですか? いいえ、浸水です!』
快進撃は続き、三回戦、四回戦ともにストレート勝ちで突き進み、大会二日目は幕を閉じた。
三日目の今日もまさに絶好調。準々決勝も危なげなく勝利し、次はいよいよ準決勝。
天の采配なのじゃろうか、奇しくもワシのリベンジ相手である日陰鳴はトーナメント表の対極におり、決勝までは当たらない。
その日陰鳴の戦績はというと、ワシと同様に全ての試合をストレート勝ちで終わらせている。しかも、第三シードの格上選手すらもストレート勝ちで破っていた。
男子の部はというと、今大会のダークホース、浪花のスーパー小学生こと塔月蓮がその頭角を現し始めていた。全ての試合がフルセットという、ギリギリの内容ではあるものの、並み居る格上を打ち倒し、準決勝へと駒を進めていた。
一方、今大会大本命の青山葵は、全ての試合の失点を合計してもワンセットにも満たないという、目を疑いたくなるような強さを示し、当然のように準決勝へと進んだ。
男女それぞれの準決勝進出者が決まり、会場の熱気も高まってきているのが分かる。
何せメンツが異例。
男子の準決勝に小学生が二人。女子に至っては、四人中、三人が小学生なのだから。
中学生選手も豊作と言われている世代の中で、今大会は異様な空気に包まれていた。
そんな中でも、特に注目を集めていたのは、滅多に国内大会へは出場しないことで有名なJSエリート学園、未来の日の丸エース候補、鏡宮有栖の存在だった。
対戦相手ごとにラケットやプレースタイルを完全に使い分け、相手選手のコピーをしながら戦うその異様な光景に、会場全体が魅了されていた。
色濃く染められた金髪に真っ黒な巨大リボンをつけたその姿は会場全体の視線を集めており、その変幻自在なプレースタイルは見ているものに次の試合を期待させる。
会場に来た人々は自然と有栖ちゃんを応援していた。
そんな彼女の準決勝の相手は、ワシがリベンジを誓った、今大会最大の標的、日陰鳴。
正直、こんなにもワクワクする対戦カードは滅多に無いじゃろう。しかし、当然ながら今は自分の試合が最優先。
それに準決勝の相手は、ワシも良く知る人物じゃ。少しでも気を抜けば、決勝への道は閉ざされる。
深く息を吸い、身体の緊張をほぐすようにゆっくりと屈伸をする。
雑念を払い、台へと向かう。
対面でワシを待つのは、長身痩躯の少女が一人。
今大会ベスト四まで勝ち上がった唯一の中学生選手、金城彩。
真っ直ぐな瞳がこちらへ向けられる。
「ようやくリベンジ出来る」
そう口にした彼女の表情には、いつもの気怠げな様子は無く、日本刀のような研ぎ澄まされた力強さを感じる。
「彩パイセンには悪いけど、私も負けるわけにいかないから」
両者のコンディションは語るまでも無い。
互いに充実した英気を感じ取っているはずじゃ。
審判の合図でサーブ権を賭けたじゃんけんが執り行われる。
少し癖っ毛の茶色がかった髪を手で触りながらも、彼女の双眸は抜け目なくワシを観察している。流石はパイセン、じゃんけん一つですら抜かり無い。
拳と拳がぶつかり合い、その後、二度のあいこを経て、サーブ権は彩パイセンの元へと渡った。
必要最低限の小さなトスが上がり、コンパクトなフォームから勢いのあるロングサーブが放たれた。
なるほど、最初から自身の得意なテンポのはやい前陣卓球を繰り広げるつもりか。
ならばその誘い受けて立つ。
左手に構えたラケットを最小限の動きで制御しつつも、相手の構えた逆サイドを突く。
鋭い打球が台上の角を穿つ勢いで突き進むが、流石は彩パイセン、一切フォームを乱さずに最速かつ最小限の足捌きでボールを弾く。
現代卓球を象徴するかのようなピッチのはやいラリーが続く。
会場の熱気とは裏腹に、互いが冷静な一手を選び続ける。
必然の連続、最善手の積み重ね。一点目を賭けた激しいラリーの軍配は相手に上がった。
水咲 0-1 金城
スコアボードが捲られる。
先制点を奪われたが、不思議と焦りは感じていない。
失点の原因を結論づけ、反省点を踏まえた次の作戦が脳内に展開する。
先制点を手にしたパイセンも、先程と変わらぬ様子で抜かり無くこちらの様子を探っている。
油断や慢心を排除した、互いの答え合わせが始まった。重ねた努力を突き合わせ、どちらか一方の正解を証明する作業。
相手のトスから二本目のラリーがはじまる。
会場の音は遠ざかり、鼓膜が拾うのは打球音のみになっていく。視界は白球をフォーカスし、意識は静かな深海へと潜っていく。
集中は疲労感を打ち消し、意識は加速度的に研ぎ澄まされる。
深く深く、より底へ。
小さな違和感を残しながらも、より深くへと潜っていく。
水深による圧力などはお構いなしに。引き返す事など、想像だにせずに。