第八十一話『わたしですか? いいえ、あなたです!』
驚異的成長速度を前に、素の自分が顔を出す。
これはあくまでも練習。ただのワンセットマッチだったはずだ。私は淡々と日陰鳴のプレーを模倣し、水咲レイナに経験値を積ませれば良いだけ。そのはずだった……。
なのに、何故だ?
この試合に負けたからと言って、私はただ、日陰鳴のプレーを模倣しているだけだ。
何をムキになることがあるのだろう?
目の前の少女のひたむきで真っ直ぐな瞳が私の大切な人を思い出させる。
水咲 10-8 鏡宮
スコアボードはいつの間にか、相手のマッチポイントを告げていた。
水咲レイナが強烈なサーブを繰り出してくる。
もともと才能のある選手だとは思っていたが、それにしたって急過ぎる成長だ。
私は一体、何を相手に戦っているのだ?
「ちっ、ただの練習なのに」
普段のおちゃらけた口調は消え去り、私の醜い本性がメッキを突き破り外に出ようとしていた。
何故だ。たかだか練習。誰かの模倣。
勝っても負けても関係ない。
そのはずなのに。
負けたくない。
たった一つのシンプルな感情が、模倣を手放し、私本来のスタイルを引きずり出す。
相手のスマッシュを完璧に捉えた。
全てを拒絶するような反射が相手の逆サイドを撃ち抜く。
目で追う事すら困難なはずのその打球に、目の前の少女は当たり前のように反応して見せた。
カウンターの威力を上乗せされた白球が私の反応速度を置き去りにして、真横を突き抜けていった。
水咲 11-8 鏡宮
同世代の女の子に負けたのは何年振りのことだろうか? ワンセットマッチとはいえ、私に勝った女の子はこれで二人目だ。
試合が終わり握手を交わす。
水崎レイナの真っ直ぐ過ぎるその瞳は、誰より大切だった姉を思い出させた。
* * *
真っ白な病室の中央に横たわっているのは、私と瓜二つの少女。
一卵性双生児の私達を見た目で区別するのは困難だったが、今はそれも簡単だ。
最近姉は私と同じ真っ黒の髪を金髪に染めた。それに加えてよく分からない巨大なリボンまで頭に付けていた。
「ねぇ、なんで金髪なんかにしたの?」
姉のその行動は急過ぎて、何一つ理解出来なかった。双子と言えど、私達二人の性格は真逆であり、姉の有紗は私と違って、人に好かれて明るい人間だった。
「うーん、この方がみんなにずっと覚えていて貰えるからかな」
姉は窓から覗く外の景色を見ながらゆっくりと語った。
「ふーん、変なの」
「ふふ、私達は人の事を忘れられないけれど、普通の人はそうじゃないからね」
「こんな力無ければ良かったのに……」
嫌なこと一つ忘れられないこの身体は、悲しい事ばかりが重なる。
「有栖、あなたは私と違って賢いから、より不安に感じることばかりなのかも知れない。でも忘れないで、私はずっと有栖を愛しているから」
「急に何よ」
私は姉の真っ直ぐな言葉が照れ臭くて、突っぱねるようにそう言った。
「感謝は伝えられる内に伝えておくものなの。あっ、約束の漫画持ってきてくれた?」
「持ってきたよ。でも、なんで漫画なんか読み返すのよ。内容なんて一言一句覚えてるのに」
忘れる事の無い私達にとってそれは無駄な行為に思えた。
「もー、有栖はつまんないわね。確かに絵も台詞も全部覚えているけれど、こうして実際に手でページを捲る良さがあるじゃない」
姉はそう言って、漫画の単行本を捲る。
「私も読んだけど、そんなに面白い?」
「えー、面白いよー。特にこの主人公の喋り方がめちゃくちゃな感じが好きなの」
「暑苦しくて私は好きじゃない」
「えー、面白いっすよ!? 勢いあって良いじゃないっすか!!」
姉はふざけた様子で漫画のキャラクターの真似をはじめた。
「やめてよ。こんなくだらない記憶も忘れられないんだから……」
「ふふ、じゃあ私の勝ちだね」
「何よそれ。意味わかんない」
それが、私と姉の最期の会話だった。
難病だった姉との最期の記憶。
姉が元気だった頃は、私よりも卓球が上手く、私よりも勉強が出来て、なんでも私より上手くこなす彼女を見て、病気で死ぬのが姉ではなく、私だったら良かったのにと思った。
その日から私は、二度目の人生を送ることを決意した。
髪を金色に染め、大きなリボンをつける。それはどこか儀式めいていて、不思議と力を与えてくれるような気さえした。
今までの私を殺し、明るく優しい姉を真似て、彼女の好きだったものを残し続ける存在でいようと。
初めて神に感謝した。
全てを忘れる事の出来ないこの身体は、この為にあったのだと。大好きだった姉は、私を通して生き続けるのだ。