第八十話『気のせいですか? いいえ、確信です!』
まさか、初恋相手の子どもに卓球を教える日がくるとは、十年前の私には思いもよらなかっただろう。
私の目の前で輝く二つの若い才能の種。
後数年もすればきっと、二人は私の手の届かないところまで成長するのだろう。
結局は彼と同じ。私はもしかすると、絶望の種に水をやっているのかも知れない。自らが育てた才能にいつの日か食われてしまう恐怖に怯えながら。しかし、それでも目を離す事が出来ないのだ。ジョウロを手に苗を見守るしかない。
その才能が開花する日を恐れながらも、待ち焦がれ、そして最後には、その輝きに焦がされるのだろう。一片の欠片も残さず燃やし尽くしてくれるのであれば、せめてもの救いと言える。
そんな暗雲とした思考を断ち切ったのは、私を師と仰ぐ、初恋相手の娘の言葉だった。
「どうしたら、師匠のような卓球が出来ますか?」
合宿最終日、額に大量の汗を浮かべた水咲レイナがそう言った。
「何言ってんのよ、百万年はやいわよ」
私は憎まれ口を叩きながらもどこか救われた思いでいた。
あれはまだ、私と彼が十才にもならない頃だっただろうか? 蝉が激しく鳴く暑い正午。彼も私に同じ事を言った。
『どうしたら俺も、京香みたいに強くなれる?』
そう口にした彼は、あっという間に私を抜き去っていったが、あの時の純君の言葉が、今も私を支えている。
例え、ほんのひと時であっても、私の憧れが私を憧れていたのだと。
だから私は今日も一歩前へと進むのだ。
例えこの足がもう、彼に追いつくことはなくとも。
そして見届けるのだ、彼の娘の行く末を。
* * *
合宿最終日。師匠が見守る中、有栖ちゃんとの中ペン対策を行っていた。今日も型にはまらないフリーのラリーが繰り広げられているのじゃが、ここにきて突如、異様な程に自身の調子の良さを感じている。
強敵との濃密な練習がそうさせたのか、自分でも怖い程の仕上がりの良さを感じていた。
かなりの練習量のはずなのに、不思議と身体は軽く、心の乱れもなく、意識のまとまりも良い。
これならばもしかすると、そんな思いが自然と己の口を開かせていた。
「有栖ちゃん、ワンセットマッチどうですか?」
「いいっすね、望むところっす!!」
汗で湿った人工的な色味を感じさせる金髪をかき上げながら、やる気満々の様子で有栖ちゃんが言った。
「サーブかレシーブどっちが良い?」
相手の癖を完全に記憶し、動きを予測する彼女の前では、じゃんけんという概念は無意味だろう。ならば最初からサーブ権は委ねよう。
「えーーっと、じゃあ、サーブでお願いしまっす!」
有栖ちゃんはそう言って勢いよくトスを上げる。
手首を使った細かいフェイントが三回。
ボールに加えられた強烈な左横回転。
その全てが当たり前のように認識出来る。
足には確かな力が加わり、地を蹴るタイミングは完璧じゃ。
余計な力は抜け最善策が自然と理解出来ていた。
点と点が繋がった。今まで手にしてきたピースがここにきて急激に組み合わさっていくのが分かる。
ラケットを振り抜く瞬間、確信した。
目に見えないはずの壁を何十枚と突き破る感覚。
一本目で勝利を確信したのは、生まれて初めてのことだった。