第七十九話『最後の一本ですか? いいえ、もう一本です!』
一切の決め事のないシンプルなサーブレシーブを繰り返す。互いに二球ごとにサーブを出し合って、自由にレシーブを行い、フリーのラリーが繰り広げられる。
最もシンプルだからこそ、この練習は実力がはっきりと浮き彫りになる。
練習を開始して十五分程が経過した。たった十五分と思うかも知れないが、この十五分は、ワシにとって驚きの連続じゃった。
中ペンを握った鏡宮有栖のプレースタイルは、昨日の葵との試合で見せた姿とは真逆で、安定したプレーと呼ぶにはあまりに変則的だった。それ故にコースの読み合いが難しく、不意に炸裂する中ペンならではの強烈なバックドライブにひどく振り回されていた。しかし、ワシもこの合宿でフットワークのレベルが上がり、全体のプレーの底上げも着実に進んでおり、互角以上の戦いが出来ているように感じる。
「これが、自分と試合した時の日陰鳴のプレースタイルっすね」
「凄い再現度ですね」
正直、驚きを隠せないでいる。これが完全記憶能力が成せる技か。あまりの再現性の高さに、あの日の敗北が脳裏を過ぎる……。
実際に本人を目の前にしているような錯覚にさえ陥る。
「でも、レイナちゃんが日陰鳴に勝つには、過去のあの子に勝っても意味ないっす。だからこっから先は未来の日陰鳴を再現するっすよ?」
「え、そんな事、可能なの?」
「あの子は、自分との短い試合の最中ですら成長してたっす。だから、その成長速度を加味して、大会の時期までの仕上がりを想定してプレーのレベルを上げるっす」
「え、かなり無茶苦茶な事言ってますよ?」
正直な意見が口をついて出た。
「自分の頭の中には、今まで見てきた選手の全てのデータが鮮明に入ってるっす。百パーセントの再現は難しくても、百二十パーセントなら出来るっすよ?」
「どういうこと?」
「つまり、完全に同じ実力のプレーをぴったり再現するのは難しくても、それよりも多少強い状態で再現する分には問題ないってことっす!」
彼女のその言葉に嫌味は感じない。自信というよりも、事実を口にしているように思える。
「か、かっけーっす……」
あまりの格好良さに、思わず有栖ちゃんの口調がうつってしまった。
「なんっすか? モノマネは自分の専売特許っすよ?」
彼女はそう言って豪快に笑った。そうしてひとしきり笑った後に、少し真剣な面持ちで再び口を開く。
「じゃあ、はじめるっすよ」
その言葉の直後、先程よりも洗練された手付きでトスが上がった。
変わったのは動きだけでは無い。サーブが内包する回転量が先程までとは比較にならないレベルで増加している。
手元で変化するボールに対し、保守的なツッツキでボールを繋ぐも、手首を最大限に活かしたフォアドライブがワシの真横を打ち抜いた。
「さっきまでとは全然違う……」
ボールの勢いもコースの鋭さも段違いじゃ。
「日陰鳴の成長速度を考えれば、このくらいは見積もった方がいいっすね」
「はい!」
覚悟を決め、再度ラケットを構える。
強烈なサーブに対し、先程よりも攻めの姿勢でフォアドライブを放つ。互いに左右への揺さぶりをかけながらも高速ラリーが続く。
コースの読み合いに加えて、回転量や回転方向の騙し合いをしながらのフットワークは、精神的疲労と肉体的疲労を同時にもたらし、背中から大量の汗が流れる。
試合さながらの緊張感の中、あっという間に時間が過ぎ去って行く。ゆったりとした午後の日差しはいつの間にか茜色の夕焼けへと変わっていた。
「だーっ、流石に疲れたっすね!」
額に汗を浮かべた有栖ちゃんが大きな声でそう言った。
「もう一本お願いします」
「えっ! もう今日は嫌っすよ〜。疲労困憊っす」
「もう一本だけ、お願いします!」
一本でも多く練習がしたい。それに練習とはいえ、負けっぱなしでは終われない。
「いや〜何気に人のコピーはめっちゃ疲れるんすよ〜」
「あぁ、そうか……。ごめんなさい。続きは明日の方が良いですよね」
言われてみれば当然だが、他人のプレーの模倣をしながら、この精神的にも身体的にもハードな練習を行っているのじゃ。その疲労度合いはワシの比じゃなかろう。ワシの配慮が足りなかった……。
「一本だけっすよ?」
有栖ちゃんはそう言って、ワシに向かってウィンクを飛ばし、本日最後のトスを上げた。
長いラリーが続くも、僅かに浮いたチャンスボールをワシが全力のスマッシュで叩き込む。
ボールは有栖ちゃんの真横を突き抜け、最後のラリーは珍しくワシが制した。
「もぉ〜、あと一本だけっすよ?」
有栖ちゃんはそう言って何事も無かったかのようにもう一度サーブを繰り出す。
またもハイスピードなラリーが続くが、彼女にしては珍しく、凡ミスと言って良い程のチャンスボールが浮き上がった。ワシはそれを先程同様にスマッシュで決めた。
「あんれー、おかしいっすね。もう一本」
そう言って更にトスを上げようとした有栖ちゃんを師匠の手が制した。
「はいはい、負けず嫌いなのは良いけど、もう駄目よ。鏡宮さん、あなたの模倣は、本来自分のフォームではない動きを再現するのだから、身体への負荷が大きいし、何よりも脳がプレーと並行して詳細な記憶を辿りながら、運動と確認作業を並列して処理しているのよ。今日はもう限界よ」
「後一本だけっすから!」
「駄目よ、監督にも言われてるの。あなたに無理はさせるなと。それにね、最後の二本はあなたらしくない浮き球だったでしょ? 休む事も一流のアスリートの条件よ」
「はい……。その通りだと思うっす」
師匠の言葉に納得したのか、どうやら彼女はそれ以上は食い下がらないようだ。
そんな彼女を見ていると、天真爛漫な姿と理路整然とした思考回路が同居しているようにも思え、鏡宮有栖という人間の正体がより一層分からなくなるのであった。