第七十五話『大敗ですか? いいえ、次への布石です!』
衝撃に次ぐ衝撃。
多芸多才とはこの事で、鏡宮有栖の卓球は万能の二文字を想起させる程に隙の無いものだった。多種多様の技術を扱いながら、そのどれもが高いクオリティを誇っている。
王子サーブを皮切りに、ワシのスイッチドライブを模倣するだけでは留まらず、彩パイセンがその場で披露したカーブドライブすら再現して、当たり前のように得点を重ねていた。
瞬く間に点差は開き、第一セット、第二セットを鏡宮有栖が先取した。
第一セット 鏡宮 11-8 金城
第二セット 鏡宮 11-5 金城
彩パイセンは持ち前の鋭い洞察力で試合の突破口を模索するも、プレーが長引くに連れてその冷静な横顔が苦悶の表情へと変わっていった。
ワシの横で静かに試合を見ていた葵が口を開く。
「なるほど、打開策を考え実行すると、すぐにそれがコピーされるのか。起死回生どころか、これでは相手の手札を増やすだけだね。並の選手ならばその場で心が折られかねない」
真面目な声音で語ってはいるが、葵の横顔に恐怖心の色は無く、むしろ隠し切れない程の好奇心が漏れ出しているようにも思えた。
底の見えない才能という点においては、葵も彼女同様に得体の知れない恐ろしさを感じさせる種類の人間だ。
葵の双眸が鏡宮有栖を真っ直ぐに見つめる。
目の前に現れた強敵と早く試合がしたいと、彼の瞳は力強く語っていた。
全員が息を呑み、試合の行く末を見守る。
彩パイセンが得意の前陣速攻に持ち込むも、鏡宮有栖もそれに合わせて無駄の無いコンパクトなフォームで対応する。
急ピッチなラリーが続く。
まるで鏡の世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまう程の見事な模倣。鏡宮有栖は試合の中で、彩パイセンの技を恐ろしい程の早さで吸収していた。
鏡合わせのようなラリーが続くが、そこに永遠は無い。
基本的には同じ技の応酬が続くのだが、彩パイセンに僅かな隙が生じると、鏡宮有栖は途端に化けるのである。相手のコピーをやめ、その隙を突く為の違う技を繰り出すのだ。
実際に相手をしている彩パイセンからすれば、地獄のような時間だろう。
自身の技が全て模倣され、僅かな隙を見せた途端、自分には無いプレーを繰り出されるのだ。
それはある種、自分よりも強い自分を相手にしているようなものじゃ。
突破口を見つけようにも、少しずつ手札を奪われていく。そして、その都度相手は強大になり、己の前に立ちはだかるのだ。
一セット目よりも二セット目、二セット目よりも三セット目と、徐々に打てる選択肢は限られ、相手は加速度的に強くなっていく。
普通の選手ならば、そんな悪夢からの解放を求めて、自暴自棄なプレーで試合を放棄してもおかしくはない。
しかし、金城彩は立ち続けた。
無駄を嫌い、常に最善策を探る彼女は真っ直ぐに現状を見つめ戦っている。不安も疲労もあるだろう。しかし、それでも彼女は前を見つめる。
気持ちでは埋まらないものがある。彼女もそれは知っている。だがそれが、最善を怠って良い理由にはならない。
彩先輩が必死に白球へと食らいつく。
その背はとても美しく、その在り方は尊いものだと感じた。
だがしかし、それでもなお、届かないのか。
鏡宮有栖のマッチポイント。
彩先輩の横顔にいつものような余裕は無い。しかし、その瞳は依然として勝利への突破口を探している。
息もつかさぬ高速ラリー。ハイレベルなコースの打ち分け。
回転、速度、コース、その全てが最高水準の打ち合いが続く。
常に最善手と思える程の無駄の無い打ち合いが続く中、僅か数ミリ浮いた打球を鏡宮有栖は見逃さない。
フルスイングで振り抜いたバックスマッシュが体育館全体に快音を響かせた。
鏡宮 11-4 金城
スコアボードが静かにめくられ、第四試合の勝敗が決まった。