第七十二話『意地悪ですか? いいえ、教えに忠実なだけです!』
ワシと玲ちゃんによる第一試合が終わり、続く第二試合は対照的な展開になっていた。
セット数はフルセット。第一、第二セットを制したのは山田監督だったが、第三、第四セットを涼香が取り返したのである。
山田監督のプレースタイルはコントロール重視のオールラウンダータイプで、隙の無い卓球は指導者として、正にお手本に相応しいものだった。しかし、隙が無ければ弱点が無いのかと問われれば決してその様なことは無い。
そう、老いだ。
かつては全日本出場の経験もある山田監督だが、その年齢は五十を超えている。当然、無尽蔵な体力とはいかない。
そして涼香はそんな監督を相手に血も涙も無い戦法を採用した。
そう、ロビングによる長期戦だ。
先程から、相手コートへと何度もスマッシュを叩き込む監督の横顔からは滝の様に汗が流れている。
涼香はその激しい攻撃に対して、台から距離を取り、後陣からボールを打ち上げる。
高く高く舞い上がる白球は緩やかなアーチを描きながら監督のコートへと戻る。
一見すると、山田監督が一方的に攻めている展開に見えなくもないが、実際にプレーをしている本人達の心境は真逆だろう。
攻めきれない展開は、攻撃側にとてつもない負担を強いる。肉体的な疲労は言うまでもなく、精神的な疲労も相当なものだ。
特に体力の無い選手を相手にこの戦法は残酷な程に有効だ。その効き目は幼い頃のワシが身をもって証明している……。
その後もじりじりと試合は進み、ついに涼香のマッチポイント。
監督はすでに肩で息をしており、正確なボールコントロールはおろか、フットワークも緩慢だ。
しかしそれでも、涼香はロビングを止めず、監督に強打を打たせ続ける。
ある意味その徹底ぶりは相手への敬意とも取れるが、心なしか涼香の笑みの中に嗜虐的な雰囲気を感じるのは気のせいだと思いたい……。
長時間に及ぶこの試合も、そろそろ決着が付く頃合いじゃろう。
監督の攻撃からは既に勢いが失われていた。
「うぉりゃあ!」
最後の力を振り絞り山田監督がフォアドライブを放った。
疲労故か単調にも見えるその攻撃に対して、ついに攻撃体勢に移った涼香がカウンタードライブを放った。
快音を響かせた白球は監督の構える逆サイドを突き抜け、第二試合に終焉を告げた。
一瞬の沈黙の後、両選手への拍手が響く。
それはフルセットを戦い抜いた二人への最大の賛辞だろう。
「ふぅ、相変わらずお前ってやつは良い根性をしているな……」
息を切らした監督が握手を交わしながら言った。
「監督にはいつも、勝つ為には何でもしろって言われていますからね。教えを忠実に守りました」
涼香は柔らかな笑みを浮かべながら爽やかにそう言った。
その様が逆に怖くもある。
彼女は将来、笑顔で旦那さんを追い詰めるタイプになりそうじゃな……。
そんなやりとりを交わしながらも、監督は自然と笑顔を浮かべていた。
「まぁ、たまには教え子にしごかれるのも悪くないな」
山田監督はそう言ってタオルで汗を拭き、スポーツドリンクをがぶ飲みした。
「監督、スポドリの一気飲みはやめろって、いつも私達に言ってるじゃないですかー」
涼香が少しおどけた調子で言った。
「安心しろ、糖分の過剰摂取をさけるため、ゼロカロリーを選んでいるからな!」
「えー、どちらにしても、一気飲みは良くないですよ。ねぇ、彩もそう思うでしょ?」
涼香はそう言って、ベンチに座る彩パイセンへと話題を振った。
「やめなよ涼香。監督だって教え子に負けて悔しいのよ。一気飲みくらい見逃してあげなよ」
彩パイセンは前髪を弄りながら、興味なさげに淡々と言った。
「まったく、お前達ときたら、頼もしい限りだよ」
言葉とは裏腹に、汗だくの横顔の中に隠しきれない微笑みが見えた。教え子との試合が純粋に楽しくもあったのだろう。普段よりもワントーン高い監督の声が印象的だ。
こうして第二試合は、ワシに続く形で涼香が勝利を収めた。紅組はこれで二勝目。はやくも勝利に大手をかけた状態だ。
「このままだと、僕の出番は無いかも知れないね」
ワシの隣に座り、静かに試合を眺めていた葵が少し悲しそうな口調で言った。
「おい、何言うとんねん! お前、俺らのダブルス見た事無いんか? なまら度肝抜いたるべ」
滅茶苦茶な方言で威勢良く叫ぶ蓮。
「やめてよ、お兄ちゃん……」
玲ちゃんが困り顔で兄を諌めようとしている。
「へー、意気込み十分だね」
一連のやりとりを眺めていた彩パイセンが静かに言った。
「はい! この前のシングルスでは負けましたけど、ダブルスでは絶対負けへんので!!」
蓮が威勢良く啖呵を切ると、試合終わりの涼香がこちらを振り返った。
「ふふ、凄いやる気。私達も負けてられないわね、彩」
タオルで汗を拭きながら、涼香は柔らかな笑顔を浮かべている。
「連戦だけど、いける?」
彩パイセンがスポーツドリンクを差し出しながら問いかけた。
「当たり前よ」
受け取ったペットボトルに口をつけ、涼香は短くそう応えた。
この二人にそれ以上のやりとりは不用なのだろう。彩パイセンは黙って頷きラケットを握った。