第六十五話『試合ですか? いいえ、別メニューです!』
この合宿では完全に決められたメニューをこなす午前の部と、各々が自身の課題を見つけそれに取り組む午後の部のニ部構成に分けられている。
もうすぐ昼休憩が終わるので、午後の部の練習相手を探そうと立ち上がると、少し遠くのベンチに座っていた山田監督と目があった。
「水咲、ちょっとこっちに来い」
「はい!」
ワシは勢い良く返事をして、小走りで監督の元へと向かう。
もうすぐ休憩が終わるからか、入念にストレッチをしている選手が多く、その邪魔にならないように体育館の端を通って移動した。
心なしか様々な種類の視線を感じるが、それにはもう慣れたものじゃ。有名選手を親にもち、おまけにこのプラチナブロンドである。見るなという方が無理がある。
視覚的なノイズを断ち切りながら淡々と前へと進む。シューズと床が擦れる甲高いスキール音が不思議と心を落ち着かせる。
軽く息を吸い呼吸を整え、目の前の監督へと問いかける。
「なんでしょうか?」
「水咲、午後からお前はべ……」
「すびばせーーーん! 遅刻しました!!」
それは何の前触れもなく現れた。
体育館全体に響き渡るその叫び声が監督の言葉の続きを完全にかき消した。
突如として響き渡ったその音源を確かめるべく、体育館にいた全員が声の発せられた入り口付近に視線を向けた。
数多の視線の先に立つのは一人の小柄な少女だ。水色のジャージに身を包み、長い金髪が特徴的だ。ワシの髪とは違い、わざわざ染めたであろう金髪はある種攻撃的にも見えかねないが、彼女の無邪気そうな笑顔がそれを中和していた。
「かんっぜんに遅刻しました! JSエリート学園初等部六年、鏡宮有栖でございまっす!!」
モノクロの巨大なリボンを付けた頭を勢い良く下げ、体育館中に響き渡る自己紹介を繰り出す少女。
皆が突如として現れた謎の少女に圧倒される中、監督は顔色一つ変えずに口を開いた。
「鏡宮、いくらお前がエリート学園の選手だろうと、山王に来たからにはここのルールに従って貰うぞ。遅刻のペナルティだ、外周三十周行ってこい!」
「はい!!」
到着したばかりだというのに、その少女は大声で返事をし、その場にカバンを置き去り、そのまま体育館の外へと勢い良く飛び出して行った。
体育館中が呆気に取られていた。
「か、監督、誰なんですか、彼女は?」
思わず聞かずにはいられない。彼女からはそれ程までに衝撃的な印象を受けた。
「あー、彼女は鏡宮有栖。JSエリート学園初等部のエースだ」
「エリート学園ってあのですか?」
まだ開校して歴史はそう長くないはずじゃが、JSエリート学園と言えば、オリンピック選手の育成を目標にした、スポーツの英才教育を施す教育機関の名称だ。そこに所属する選手の多くが海外遠征などをメインにしており、国内大会に顔を見せる事はほとんどないという。
「まぁ、エリート学園の選手は国内での試合はほとんど行っていないし、メディアからの取材も学校側が拒否をしているから謎の部分が多いが、彼女の実力が一級品だということは私が保証するよ」
「え、監督は彼女のプレーを見た事があるんですか?」
「あぁ、まぁ、な……」
山田監督にしては珍しく歯切れの悪い返答だった。
「私、鏡宮さんと試合してみたいです!!」
オリンピック選手を育成する為の学校に通っている同世代の選手、そんなの気にならないはずがない!
「あぁ、ダメだ」
監督が無情な一言を口にする。
「え! 何でですか!?」
「水咲は午後から別メニューが決まっている」
「え!?」
まったく聞いておらぬのじゃが!?
「さぁ、ラケットとタオルを持って、トレーニングルームへ行ってこい!!」
「えっと……」
急な展開に思考が置いてけぼりをくらっていた。
「あぁ、場所か? おーい、桐崎、水咲をトレーニングルームへ案内してくれ」
「はい!」
監督に呼ばれた涼香が勢い良く返事をして、テキパキとした動作でこちらに向かってくる。
「さぁ、レイナ行きましょーね!」
涼香はそう言って、ささっとワシの手を握り、スムーズにワシを連行した。
あまりに滑らかなエスコートに疑問を覚える間もなく足が進む。
「えっと、桐崎先輩、私は今から何をするのでしょうか?」
「え、私も知らないよ?」
「え!?」
ワシ、一体、どうなっちゃうの!?
「私も急に案内を頼まれただけだし、よく分からないけど、レイナならきっと大丈夫!!」
涼香の真っ直ぐな瞳はそれ以上のことは聞くなと語っていた。
「あぁ、ね、うん、ありがとう」
ワシはそこはかとない不安の香りを感じつつも、涼香に手を引かれ、ただ無心で真っ直ぐに歩く事を決めたのだった。