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第六十三話『後輩ですか? いいえ、ライバルです!』

 モノクロの世界。意識は混濁しており、はっきりと分かるものなど、ここには一つ足りともない。


 色を失ったその世界の中でワシは、何を思うでもなく只々そこに存在しているだけだ。


「やぁ、随分と久しぶりじゃないか。全然会えないものだから、私は寂しかったよ」


 何も無い虚空から中世的な声が響く。それは一定の気安さの中に小さな軽蔑を含んだ、近くも感じ、よそよそしくも思える、ある種の矛盾をはらんだ声音だった。


「おいおい、相変わらず君は穿った見方をするな。もっとフラットな心持ちで聞いておくれよ」


 ワシの心を読んでいるのか、謎の声は一人芝居でもしているかのように語り続ける。


「それにしても君は運がいいね。ここ最近は割と負けそうな試合ゲームもあったけれど、相手から試合ゲームを放棄する展開もあったからね。いやー、まったく、こちらは退屈していた所だよ」


 神秘的でもあり軽薄さも感じさせるその声が頭の中に淀みなく流れ続ける。


「さて、そろそろ大事な記憶ぶぶんに手をつけようか。君ののろいがいつまで続くか、実に見ものだよ」


 嬉々とした狂気とでも呼ぶのか、純粋な気持ちで不純物を撒き散らすそいつの姿は依然としてぼやけたままだ。


 しかし、何故だろうか。自身の中の何かが薄れていくのと同時に、朧げではあるが僅かに、そいつに輪郭が生まれはじめていた。


「ごちそうさま」


 何も無かったはずの空間に突如として生まれた小さな口がニヤリと笑い、ただ一言、礼を述べた。




 * * *


 最初に視界が捉えたのは、見覚えのない天井だ。隣でスヤスヤ寝ているのは、昨日ワシを倒した小柄な少女である。


 目覚めの悪い朝なのは、昨日の敗北によるものなのか?


 ワシはゆっくりと身体を起こし、部屋全体を見渡す。


 山王に併設されたこの大部屋は、他校の選手が合宿に参加した際に使われるようで、かなりの広さがあるこの大部屋には現在、ワシと玲ちゃんの二人だけだった。


 身体の疲れはとれていたが、意識がいまひとつ覚醒しておらず、思考に靄がかかっている。


 朝は強い方なのじゃが、まぁ、こんな日もあるか。


 判然としない気持ちを振り払うかのように、勢い良く山吹色のパジャマを脱ぎ捨て、小豆色のジャージへと袖を通す。


「よし」


 誰に宛てた訳でもない言葉を漏らし、ワシは日課のランニングの為、玲ちゃんを起こさないようにと静かに大部屋を後にした。

 


 * * *


 小雨が降る中、見知らぬ土地をいつものペースで走る。草と土の匂いが混じり合った、雨の日の朝の独特の空気を胸一杯に吸い込む。


 そうして、真っ直ぐに続く土手を走っていると

正面から手足の長いすらりとした女性がワシとすれ違うようにして走ってきた。黒一色のランニングウェアに身を包むその人には、人目を引く何かがあった。目元はスポーツ用のサングラスで隠されていたが、それでも相当な美人さんであることが伺えた。


 ハイペースで走るその女性とすれ違った数秒後、背後から唐突に声をかけられた。


「あれ、もしかしてあなた、水咲君の?」


 突如かけられた声に、ワシは勢い良く後ろを振り向く。


 そこには今しがたすれ違ったばかりの女性が、少し驚いた様子でこちらを見つめていた。


「えっと、はい……」


 この女性、よく見るとどこかで見たことがあるような気が……。


「あ、急にごめんなさい。挨拶が先よね」


 目の前の女性は洗練された所作でサングラスを外し、続け様にこう言った。


「私の名前は愛川京香。純君とは、とても親密な関係なの」


 サングラスに隠されていたご尊顔が現れると、そこには、ワシのよく知るスターの姿が。


「愛川選手!? え、本物?? え、お父さんと親密!?」


 あまりに唐突な邂逅に、何から突っ込めば良いのか分からない。脳が軽くパニックを起こしていた。


 元全日本女王、愛川京香。卓球界隈でその名を知らぬ者はいないだろう。その美貌からファッション誌の表紙を飾るなど、卓球以外にもマルチな活躍を見せるスーパースターだ。


「あら、知ってくれているのね? 私ももちろん知っているわよ。次世代のエース候補、そして、二代目閃光の呼び声高い、水咲レイナちゃん」


 何故だろう、その優しい声音の中に独特の緊張感を覚えてしまう。


 はっきりとした理由は無いが、直感で分かった。この人はきっと、柔和な笑顔の中にとてつもなく強い対抗意識を隠し持っている人だ。


 その目は語っている。私こそが一番だと。


 長年トッププレイヤーとして最前線で戦える選手の多くには共通点がある。それは勝利への底なしのハングリー精神だ。


 勝利への渇望、病的なまでの執着、その思いの強さを人は才能と呼ぶ。


 この人が長年に渡って世界で活躍出来る理由がここにあるのだろう。


 今の台詞一つとってもそうだ。この人は、一回り以上も年下のワシにすらライバル意識を持って生きているのだ。それはとてつもなく辛く厳しい道だ。人間の身体的パフォーマンスの全盛期は限られている。一流のアスリートは全員、日々、己の老いと戦っている。

 現状維持すら難しくなっていく時間の壁を相手に、維持ではなく乗り越えようとする執念が、この人の言葉には宿っていた。


 次から次へと現れる新たな才能達と、正面から戦ってきた人の顔だ。

 第六感とでも呼べば良いのだろうか、ワシの全細胞が伝えていた。この邂逅もまた、ワシの卓球人生を大きく左右する分岐点であることを。

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