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第六十二話『凡人ですか? いいえ、努力の天才です!』

 皆さんがお風呂に行ってしまい、女子の大部屋には私一人が残された。


 桐崎先輩がお風呂に誘ってくれたけれど、今日初めてお会いした人達とお風呂に入るなんて、私には恥ずかしくて無理だった。


 それこそラケットをお風呂にまで持っていけるのであれば、私も皆さんと裸のお付き合いが出来たのかも知れないが……。


 私は、自分の引っ込み思案な性格が嫌いだ。


 そんな私が唯一自分の本音を出せるのがラケットを握っている時だけだ。それはきっと、自分にとって唯一誇れる努力の証が、あのラケットに詰まっているからだ。



 私は塔月という家系に生まれた。


 私の周りは天才と呼ばれる人達ばかりで、口を開けば親戚の誰かと比べられた。


 凡人の私はいつしか自然と口を閉ざすようになった。静かにしているだけで大概の大人は私の事を良い子だと言った。中身などは関係無しに。


 年が一才差ということもあり、昔はよくルナちゃんと比べられることもあった。


 物心ついてすぐの頃だったから、そこまで鮮明な記憶でもない。ただ、勉強もスポーツも全てを完璧にこなせるルナちゃんを見て、私のお母さんは思う所があったのだろう。姉の娘と自身の娘の埋めようのない性能の差に。


 言葉にされずとも分かった。子供は案外親の顔色をみて育つものだから。


 ルナちゃんが英語を習えば、私もそれを習わされ、ピアノに水泳、茶道に生花、そしてその中で唯一、私が続けられたのが卓球だった。


 腐っても塔月の血が流れていることもあり、習い事全般は人よりも多少は上手くこなせた。


 しかし、私のそれはとても才能と呼べるような代物ではなく、器用の域を出ることは無かった。


 塔月玲という人間は器用な凡人止まりなのである。


 そんな私が卓球だけは続けられたのは、卓球のおかげでは無い。


 私にはお母さんの違うお兄ちゃんがいる。


 塔月の子は決まって女の子が生まれ、男の人を婿養子として迎える習慣があった。


 お兄ちゃんはお父さんの連れ子だったらしい。お父さんが婿養子として塔月家に来る際に、一歳のお兄ちゃんと一緒に塔月家に籍を入れたのだ。その後、お父さんと、私のお母さんの間に、私が生まれたというわけだ。


 最近まで、連れ子という言葉も知らなかった私だが、その事実を知った時、私は更にお兄ちゃんを尊敬した。


 塔月蓮という人間は努力の人だ。


 家柄や血筋にうるさい塔月家の中で、辛い目にあった事もあるのだろう。それでも彼は、その全ての言葉を努力一つで撥ね除けてきた。


 もともと勉強が苦手なお兄ちゃんは、手に血豆を作るまで鉛筆を握っていたし、足が遅いと馬鹿にされれば、外靴の底が破れるまで走り込んだ。そうやってお兄ちゃんは理想の自分に近づく為に努力をし続ける人だった。


 私はその不器用な努力の天才を横で見続けている内に、いつしか、何か一つでも彼のようになりたいと思ったのだ。


 私を惹きつけたお兄ちゃんを一番惹きつけたのが卓球であり、ルナお姉ちゃんの存在だった。


 私は再び原点へと立ち帰る。


 私の人生の先には常に塔月ルナという人間が走っているのだ。


 もうその背中すら点のように見える程遠い才能の塊。


 しかしお兄ちゃんは諦めていない。その背がどれだけ遠かろうと、彼にはそれが、足を止める理由にはなり得ない。


 私よりも不器用な人が、走ることを辞めないのだ。ならば私も走ってみようと。


 お兄ちゃんと並走を続けているうちに、私はいつの間にか、卓球の事も好きになっていたのだ。



 * * *


 思考の海から私の意識を引き戻したのは、湯浴みを終えて、少し頬を紅潮させたレイナさんの姿だった。


「良いお湯だったよ〜」


 リラックスした様子のレイナさんが部屋の隅で座っていた私に声をかける。



「あ、あの、先程は偉そうにすみませんでした……」


「え、何が?」


「いや、私なんかが試合の感想をべらべらと……」


 年下の私が差し出がましい振る舞いをしてしまった。


「いや、とても勉強になったよ。王子サーブはもちろんだけど、他のプレーもコースの打ち分けが良くて、完敗だった」


 私はその真っ直ぐな瞳を知っていた。明確な目標を持ち、自らを律し、当たり前のように高みを目指し続ける人の目だ。


 私が憧れ、恐れ、それでも羨み、近づきたくなる綺麗な瞳。


 複雑なプレッシャーが私を襲い、私の脳から平静さと語彙を取り上げる。


「え、いや、その……」


 レイナさんはあまりに輝いていて、その真っ直ぐな在り方そのものに畏怖すら感じてしまう。


「次はリベンジするから宜しくね」


 まごつく私に向かって、彼女は明るくそう言った。


「あっ……。はい、お願いします」


 色んな言葉が脳内を巡るのに、出てきた言葉は実に貧相なものだった。我ながら情けない。


「お風呂はまだなんでしょ?」


「えっと、こ、これから入ろうと思っています」


「そっか、あんまり遅くなるとあれだし、行ってきな〜」


「はい……」


「ん? どうしたの?」


「い、いえ、その、私の事、変な奴だと思いませんか?」


 こんな事を言っても、相手を困らせるだけだと、そんな事は理解していたが、気付けば口が動いていた。


「え、何が?」


 レイナさんがキョトンと首を傾げる。


「いや、その、私ラケットを握っていないと上手に言葉が出てこなくて、お兄ちゃんの事とか、卓球のことなら話せたりもするんですけど……」


 いつからだろうか、平常時に人との会話が億劫だと感じるようになったのは……。いいや、億劫というよりも、漠然とした恐怖が嫌なだけかも知れない。


「別に上手に話す必要なんてあるのかな? それに、好きな事が語れればそれで十分だよ。しかも、私達には卓球っていう最高のコミュニケーションの手段があるし」


 それは一筋の光にすら見えた。レイナさんの言葉には不思議な重みと説得力が感じられる。たった一年という時間の差が人をここまで分けるものなのだろうか。


「やっぱり凄いや……」


 この人にはルナお姉ちゃんに似た不思議な何かを感じる。前に進む天才の光とでも言うのか。


「何が?」


 レイナさんが再び、不思議そうな顔で首を傾げた。


「いや、なんでもないです。あ、明日からも宜しくお願いします」


 私は勢い良く頭を下げ、よく分からない高揚感を胸に、そのまま大部屋を後にして、大浴場へと向かった。

 その足取りは軽く、一歩先の何かが見えた気がした。

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