第六十一話『貧乳ですか? いいえ、機能美です!』
敗北の悔しさを洗い流す一番の方法、それは熱い熱い湯船に浸かることじゃ。
流石は名門青森山王。選手達の疲れを癒す為、学生寮に大浴場が併設されているとは。
身体を芯から温める湯船に浸かり、一人ぼーっと天井を眺めていると、何やら脱衣所から姦しい声が聞こえてきた。
「はー、相変わらず彩は手足もすらっとしていて綺麗よね」
「別に、私はただ長いだけ」
「彩、それは他の女子の前で言ったらダメよ? 変な恨みを買うからね」
涼香と彩パイセンが女子トークに花を咲かせながら脱衣所の扉を開き、浴室へと入ってきた。
「あら、レイナが一番風呂だったのね」
浴槽に浸かっているワシを発見した涼香が笑顔で言った。
「先輩を差し置いて一番風呂とは良い度胸」
涼香の背を追うようにして浴室内へと入ってきた彩パイセンが呟くようにそう言った。
「え、だって、彩パイセンが言ったんじゃん。次に私が勝つまで先輩扱いしなくて良いって」
「言ったけど、普通ここまで鵜呑みにする!? あと、パイセン言うな」
「あらあら、彩に大声出させるなんて、流石はレイナね」
「涼香はこいつに甘すぎよ……」
呆れた様子で彩パイセンが呟く。
「まぁ良いじゃない。練習中はちゃんと敬語なんだしさ。それに山王直属の後輩ちゃん達は私達に気を使い過ぎるしね」
「まー、涼香がそう言うなら良いけど……」
そう言って渋々頷く彩パイセン。
「彩パイセンって、本当に涼香の事が大好きだよね?」
あまりに露骨で分かりやすい。
「はぁ!? いや、べつに、その、いや……」
「え〜、彩、私の事好きじゃないの?」
涼香が明らかにからかう様な声音で彩パイセンへと問いかける。
「いや、その、す、す、すぅ……」
「すぅ?」
涼香が満面の笑みで彩を追い込む。
「すぅぉんな事より、彩パイセンって言うな!!」
顔を真っ赤に染めたパイセンが誤魔化すようにそう叫んだ。
「彩パイセン落ち着いて下さい。まだ湯船にも浸かっていないのに、白い肌が真っ赤ですよ?」
「う、うるさい! パイセン言うな!!」
出会った頃のクールな印象は何処へやら、全身を真っ赤に染めた彩パイセンが抗議の声を上げた。
それにしても、前々から思っていたが、このパイセンの手足の長さは、まるでモデル並みだ。あの無駄の無い動きで広範囲を守備出来るのは、この長い手足があってこそだろう。
「彩パイセンって本当に無駄の無い身体ですよね?」
アスリートとしては羨ましい限りである。
「は? 嫌味?」
タオルに覆われた自身の慎ましい胸元と、湯に浮かぶワシのたわわ乳房を見比べた彩パイセンが、ドスの効いたハスキーボイスでそう言った。
「え、いや、動きやすそうで羨ましいなーって」
「よし、殺す」
彩パイセンはそう言って、静かに木製の桶に湯を汲み、全力でそれを振り抜いた。一切の無駄の無いフォームから繰り出されたお湯が桶の形を残したまま、ワシの顔面を直撃した。
「ブフォ」
強烈な速度で放たれたお湯が顔面を襲い、鼻から大量のお湯が侵入した。
くそ、まずい。いくらお湯とはいえ、こんな速度で放たれたものを何発もくらってはシャレにならない。
「謝るなら今のうちよ?」
彼女の目は本気だ……。
「お、落ち着いて下さい。彩パイセンのパイセンは、まだ成長期に突入していないだけで、まだまだ無限の可能性を秘めています! そもそも、こんなものをぶら下げて卓球をするのは、結構大変なんですよ??」
ワシは自らの乳房を持ちあげ、この身体で卓球をする事の窮屈さを全力で訴えた。
「誰がパイセンのパイセンよ!」
火に油とはこの事で、湯よりも沸騰した彩パイセンは殺戮お湯投げマシーンと化した。
桶を振り抜く速度が尋常ではない。完全に桶の形を保ったままのお湯が凄まじい勢いで飛来する。
「グホォ!」
あまりの衝撃に、金髪碧眼美少女らしからぬ声を漏らしてしまった。
そうして、お湯爆弾を五発ほど顔面でキャッチしていると、彩パイセンの身体を覆っていた白いタオルがヒラリヒラリと宙を舞った。
そこに現れたのは適度に鍛え抜かれた、彫刻のような裸体だ。その四肢は細く、適度についた筋肉からは機能美を感じ、その慎ましやかなおっぱ……。ヒュッ! 顔の横を木製の桶が尋常ならざる速度で通過した。
「ちよっと、何するんですか!? 桶の形をしたお湯ならセーフでも、桶の形をした桶はアウトですよ??」
本当に間一髪のところじゃった。鍛え抜かれた反射神経がなければ、完全に直撃コース間違いなしであった。
「ふん、あんたなら避けられるのも分かっていたのよ」
後輩に桶を投げた人間の第一声とは思えない言葉じゃのう……。
桶どころか、棺桶に入るところじゃったわい。まぁワシ、もう入ったことあるんじゃがな。
「ごめんねー、レイナ。この子昔から素直じゃなくてさ。本当はさっきまで、あなたの事心配していたのよ?」
「え?」
「ちょっと、涼香、余計なこと言わないで!」
またも真っ白な顔を真紅に染める彩パイセン。
「レイナはきっと下の世代に負ける事に慣れていないだろうからって」
涼香が彩パイセンの心の内を明かす。
「彩パイセン……」
「勘違いすんな。私はただ、万全の状態のあんたと試合をしたいだけよ」
恥ずかしそうに目を逸らし、誰よりも負けず嫌いの彼女はそう言った。
「ありがとうございます!」
ワシは湯船から立ち上がり、背筋を伸ばして真っ直ぐに頭を下げた。
「誰にだって、こんな日はある。だから気にせず、今日は何も考えずに寝なさい」
彩先輩はそう言って、浴槽に背を向けて、黙ってシャワーを浴び始めた。
先輩のその言葉は湯よりも熱く、ワシの心を芯から温めた。