第五十一話『いじわるですか? いいえ、初恋達です!』
担任教師による帰りの会が終わり、チャイムとともに蜘蛛の子を散らすようにしてクラスメイト達が廊下へと飛び出す。
そんな中、人波を掻き分けるようにしてこちらに向かってくる男の子が一人。
「おい! 金髪女! お前、外人の癖に英語出来ないのかよー」
大きな声でワシを威嚇するように話しかけてきたのは、五年三組のガキ大将こと坂口亮太君。
彼はおそらく、ワシのことが大好きなのじゃ。
思春期特有の好きな子をいじめちゃう期間に突入してしまっているのじゃろう。ここは大人として、優しく見守ってあげるとしよう。
「うん、私は日本育ちだし、そもそもお母さんも英語圏生まれじゃないからね」
今時の小学校では英語教育が進んでおるのじゃが、見た目は金髪美少女でも、ワシは英語が苦手なのだった。
「ちっ、だったら俺が教えてやるよ」
亮太君はそう言って、ワシの席の隣に腰掛ける。すると、その一連の流れを見ていたのか、亮太君の事が大好きな仕切り屋さんの佐々木里穂ちゃんが、教室の端からこちらに向かって駆け足気味にやってきた。
「ちょっとバカ亮太ー! レイナちゃんのこといじめないでよ!!」
「あ? 里穂には関係ねーだろ!」
「か、関係なくないわよ! レイナは私の友達なんだから!」
顔を赤らめながら里穂ちゃんが猛抗議する。
「うっせーな、俺はただ、この金髪女に英語を教えてやろーと思っただけだし」
「本当なの?」
里穂ちゃんが訝しげな顔で問いかけてくる。
「えっと、うん、亮太君は何かと親切にしてくれるよ?」
亮太君は言葉こそ強いが、基本的には良い子なのである。何せワシの事が大好きなようだし。
「英語なら私が教えてあげるから、亮太はそこから離れて!!」
「うっせー、俺の勝手だろ!」
思春期真っ只中の二人が言い争う中、黒板を端から順に綺麗に消していた葵が苦笑いを浮かべながらこちらを振り向いた。
「まーまー、二人とも落ち着いて。それに、レイナちゃんは、今日用事があるから、どちらにしても帰らなくちゃいけないんだよね」
「用事ってなんだよ?」
葵の発言に亮太君がいらつき混じりにそう言った。
「えっと……」
「秋に卓球の大会もあるし、練習しなくちゃいけないんだよね?」
困り顔のワシを見て、すぐにフォローを入れる葵。
「あっ、そうそう、そうじゃった!」
「じゃった?」
里穂ちゃんと亮太君の疑問符が重なる。
「な、なんでもない、練習あるから今日は帰るね。じゃあねーー!!」
ワシは赤いランドセルを勢い良く背負い逃げるように教室を飛び出した。
廊下を駆け抜け階段を降り、靴箱の前で外履きに履き替えるとそのタイミングでワシを追いかけてきた葵が合流した。
「なかなか大変ないざこざに巻き込まれていたね」
「いやー、思春期特有の可愛いやりとりでしょ」
「レイナちゃんも同い年だよ?」
葵が小さく笑いながら言う。
「そう言えば、葵、今日は久々に休みじゃなかったっけ?」
たしか練習の約束はしていなかったはずじゃが。
「いや、まぁ、そうなんだけれどさ、レイナちゃん、困ってたみたいだし。それに、今日も実際に練習すれば、さっきの話は嘘じゃなくなるでしょ?」
「葵は本当に卓球が好きだよね」
葵のそれは、ワシの卓球愛にも引けを取らない程のものだと感じている。
「そうだね、卓球も……」
「ん?」
葵にしては珍しく歯切れが悪い。
「いや、なんでもないよ。そんな事より、レイナちゃんにとっては、大事なリベンジマッチが控えているじゃないか。突然現れたあの子とのさ」
「あぁ、そうだね……」
オレンジの髪を無造作に伸ばした謎の少女。
燎原の火の如く、全てを焼き尽くすような燃えるような目をしたあの子は、卓球を初めて一年未満だと語っていた。
正直に言えば、その存在に恐怖すら感じている。
濃密な敗北体験は、脳内の記憶に強烈に刻み込まれる。
その記憶の箱に触れ、気がつけば、ワシの両手は震えていた。
「レイナちゃん、大丈夫だよ。君は新たな武器を手に、劇的な進化を遂げている。一番近くでそれを見てきたのは僕だ。間違いない」
震えるワシの手を優しく握り、真っ直ぐな瞳で葵が言った。
「ありがとう……」
葵の体温が、両手の震えを止めた。
「いや、僕はただ、君に貰ったものを少しでも返せるのならって」
「私は何もあげてなんかいないよ?」
「いや、貰ってるよ、だって僕は……」
「なに?」
「いや、今は、まだ、その時がきたら言うよ。まずは君のリターンマッチが先さ。さぁ、一緒に戦おう」
その言葉が、ワシの両足を一歩前へと進ませる。
才能同士が強く引き合う引力を生み、その結び付きが人を成長させる。
葵との出会いもきっと運命だったように、謎の少女との邂逅もまた、頂きへと登る為の出会いの中の一つなのだろう。